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[ liberal arts-大学生の常識 ]

まーるい緑の山手線
内回りが女性で、外回りが男性?

まーるい緑の山手線内回りが女性で、外回りが男性?

 東京中心部を走るJR山手線。循環する路線には内回りと外回りがあるが、とっさに進行方向が分からなくなることがある。そんなとき、簡単に見分ける方法があるという。山手線の正式な読み方や踏切の数、標高が高い駅・低い駅など、東京を代表する鉄道のトリビアを集めてみた。

◇  ◇  ◇

内外回り、アナウンスの声で識別

ウグイス色がトレードマーク(東京都北区)

 内回りと外回り。初めて東京に来た人には何とも分かりにくい表記だ。だが、車と同じく左側通行と考えると、理解しやすくなる。その上で、循環する路線の内側を走るのが内回り。外側が外回りだ。

 そうなると回り方は必然的に、「時計回り=外回り」「反時計回り=内回り」となる。渋谷駅から乗るなら、時計回りになる新宿方面が外回りで、反時計回りとなる東京方面が内回り、というわけだ。

 では、とっさに内外を見分けるにはどうしたらいいのか。実は、2つの方法がある。

 まずはホームに流れる自動アナウンスの声。内回りが女性の声で、外回りは男性になっている。JR東日本に確認すると「ホームごとに男女を使い分けており、必ずしも統一しているわけではない」という。そこで実際に電車に乗り込み確認したところ、内回りは全て女性だった。

 声を聞けば、階段を上り下りしているときに、次に来る電車が予想できる。内回りと外回りが向き合っているホームでは使えるワザだ。

 ちなみに京浜東北線と向き合っているホームだとどうなるのか。調べたところ、山手線が男性の場合は京浜東北線が女性となるなど、きちんと性別で分けていた。

 男女の声で分ける手法は、他の路線にもある。東京ふしぎ探検隊では以前、「地下鉄アナウンスの秘密 女性の声は荻窪行き」(2011年7月1日公開)で読み解いた。参考にしてほしい。

ホームドアの緑の帯が1本だと内回り(写真右)、2本だと外回り(同左)

 内外回りの見分け方、2つ目はホームドアだ。山手線のホームドアには緑色の帯が入っている。この帯、内回りが1本、外回りが2本になっているのだ。設置されている駅限定ではあるが、覚えておきたい。

正しい読み方は? ヨドバシカメラの歌詞も変更

 さて、ここまで山手線を漢字で書いてきたが、正しい読み方をご存じだろうか。やまてせん? それともやまのてせん?

 正解は「やまのてせん」。国鉄の社史、「日本国有鉄道百年史」によると、1971年2月26日に「日本国有鉄道線路名称の一部を改正し、『山手線』を『山手(やまのて)線』に改めるなど線路名称にふりがなを付し読み方を統一」とある。3月7日に施行した。

 2000年9月19日付の朝日新聞に、名付け親で後に日本交通協会理事長となった柳井乃武夫さんの回想が載っている。

 「やまてせん 『の』が抜けたら批判の声」と題した記事によると、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が路線名にローマ字表記を求め、「YAMATE LINE」と「の」が抜けた。これを機に国鉄に批判の声が届くようになる。「下町に対する山の手なのにおかしい」と。

山手線の正式名称は「やまのてせん」。ローマ字表記だとはっきり分かる

 「やまのて」に親しんできた柳井さんはいつか変えたい、と機会をうかがい、71年、吾妻線延伸のタイミングで踏み切った。吾妻線の地元から「あがつま」と呼ぶよう要望があったのをとらえて、全路線にふりがなを振ったという。

 山手線の読み方は、現在でも混在している。そんななか、25年ほど前に変更に踏み切った事例があった。ヨドバシカメラのテーマソングだ。

 「まーるいみどりのやまのてせん......」で始まるおなじみの歌詞は、実は一度変更している。1993年のことだ。同社によると、もともと「やまてせん」で歌詞を作ったが、正式名称に「の」が入ると知り、変更したという。

標高1位は代々木駅 最低は品川駅

 東京主要部を循環する山手線。34.5キロ29駅を1周してみると、東京の地形がよく分かる。

 「東京鉄道遺産」などの著書があり、鉄道の歴史に詳しい鉄道総合技術研究所の小野田滋さんを訪ねると、古い資料を見せてくれた。国鉄時代の線路縦断図だ。現在の山手線ができたときの図で、距離や高さ、勾配などが詳細に書いてある。現在の高さと微妙に異なる場合もあるが、大きな変更はないという。

 縦断図によると、最も標高(施工基面)が高い駅は代々木駅で39.2メートル。最も低いのは品川駅で2.9メートルだ。実に40メートル近い高低差がある。

 標高を調べてみると、目黒駅と田端駅が分岐点となっていることが分かる。「山手線は台地と低地を結ぶ環状路線。目黒駅と田端駅がちょうどその境目になっている」(小野田さん)

 目黒~田端間の西側、つまりは渋谷・新宿・池袋側は台地で標高も高い。一方の東側、品川・東京・上野側は低地になっている。

 実は、かつてこの2カ所にトンネルがあったという。目黒駅周辺の永峯トンネルと、田端~駒込間の道灌山トンネルだ。それぞれ台地と低地が切り替わる場所だった。

 小野田さんによると、道灌山トンネルはまだ痕跡が残っているという。さっそく訪れてみた。

左に見えるレンガ造りの構造物が道灌山トンネルの遺構。田端~駒込間にあった(東京都北区)

 場所は田端駅から駒込駅に向けて坂道を上った先。線路脇ののり面に、トンネルの一部が露出していた。あらかじめ聞いておかなければ分からないようなさりげない遺構だ。

 道灌山トンネルは山手線開通時に造られた。この区間が複々線化された後、1928年(昭和3年)に廃止されたという。現在、山手線内にトンネルはない。

山手線唯一の踏切「第二中里踏切」(東京都北区)
第二中里踏切の近くにかつて、中里踏切があった。今は撤去され通れない(東京都北区)

 ちなみに踏切は今でも1カ所だけ残っている。こちらも田端~駒込間で、「第二中里踏切」という。近くにあったもう一つの中里踏切は既に撤去され、ここが山手線唯一の踏切だ。

鉄道発祥の地は品川駅

 ここまで環状線という前提で書いてきたが、実は線路管理上で見ると、山手線は環状線ではない。厳密には品川~新宿~田端間が山手線で、田端~東京は東北本線、東京~品川間が東海道本線だ。

 品川駅の線路上には、山手線の起点を示すゼロキロポストが設置されている。コンコース上にもレプリカのゼロキロポストが置かれ、案内板には「山手線は一回りしているため、起点があまり知られていませんが、品川から新宿を経由して田端までをさします」と書いてあった。

JR品川駅コンコースにあるゼロキロポストのレプリカ
品川駅にある山手線のゼロキロポスト

 品川駅を歩いていたら、ホーム上に「鉄道発祥の地」と書かれたタイルを見つけた。恐竜風の絵と一緒に「山手線0km」「Since1885」と書いてある。これらの表記には説明が必要だ。

 山手線0kmは起点であることを示し、1885年は前身の日本鉄道が品川~赤羽間で開業した年にあたる。では「鉄道発祥の地」は?

 一般的に、鉄道発祥というと1872年10月14日の新橋~横浜間を指す。「鉄道の日」にも認定されている。だが実は、その4カ月前に品川~横浜間が先行して仮開業したのだ。

品川駅ホーム上にある「鉄道発祥の地」のタイル

 恐竜風の絵は何なのか。JR東によると、1954年公開の映画「ゴジラ」で、ゴジラが品川付近に上陸したことにちなんでいるという。「シナガジラ」と呼ばれているそうだ。

監獄が変えたルート 池袋駅はなかったかも?

 山手線といえばウグイス色(緑)がテーマカラーだが、最初からこの色だったわけではない。1963年から順次投入された車両で初めて採用された。それまでは一時期、カナリア色(黄)だったこともある。現在の総武線の色だ。

 路線や駅も二転三転した。中でも「歴史を変えた」といえるのが、池袋駅を巡る物語。小野田さんによると、池袋駅は当初の計画には入っていなかったという。

 山手線の前身、日本鉄道品川線が品川~赤羽間で開業した1885年当時、池袋に駅は設置されなかった。その後、品川線を分岐させた豊島線が田端に向けて敷設されることで現在の山手線が形作られていくわけだが、当初は池袋の手前にある目白駅から分岐する計画だったという。

 だがここで難題が浮上した。ルート上に巣鴨監獄があったのだ。曲折の末、監獄を避けて池袋に駅を置くルートに変更となった。巣鴨監獄がなかったら、繁華街の勢力図は大きく変わっていたのかもしれない。

 東京在住なら知らない人はない山手線。誰もが知る路線にも、知られざる物語が眠っている。
(生活情報部 河尻定)[日経電子版2017年5月21日付]

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