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憲法のトリセツ(17)授業料・教科書代
無償教育の範囲はどこまでか

憲法のトリセツ(17) 授業料・教科書代無償教育の範囲はどこまでか

 憲法改正論議のテーマの一つに高等教育の無償化が浮上しています。この問題は次回に取り上げるとして、まずは憲法にすでに明記されている義務教育の無償について考えてみましょう。国はどの範囲まで面倒をみるべきなのでしょうか。

 憲法26条2項はこう定めています。

授業料だけか、それ以外もか

憲法改正論議のテーマの一つに高等教育の無償化が浮上している(県立千葉女子高校の授業風景=千葉市稲毛区)

 「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする」

 これは親に課された義務です。子どもが学校をサボった場合、罰せられるべきは子どもではなく、保護者です。「法律の定めるところにより」とあるのは病気その他の事情で学校に通うことが難しいケースなどを例外扱いするためです。

 現憲法が施行された70年前の日本には貧しい地域がたくさんあり、子どもを労働力として扱う親がまだいました。そのうえ、教育にカネがかかるとなれば、ますます「学校なんぞ行かなくてよい」となりがちです。そこで義務教育はタダである旨が26条1項の教育を受ける権利のところではなく、2項の義務のところに書いてあるのです。

 無償とはどの範囲をいうのでしょうか。施行と同時に、さまざまな解釈がなされました。教育権は25条の社会権の「文化的側面」(佐藤功著『憲法』)を持つので、社会権のときと議論が似ています。大まかに3つの説が登場しました。

(1)無償範囲法定説

 26条2項はプログラム規定(憲法や法律に書かれているが、「国家の政策の指針」にとどまり、国民に権利を保障したものではない)であり、どこまで国が負担するかは、財政事情なども踏まえ、法律で決めればよい。

(2)授業料無償説

 教育とは授業のことなので、その対価、すなわち授業料だけが無料である。

(3)就学必需費無償説

 授業を受けるには教科書、ノート、筆記具、運動着などが必要で、それらすべての費用を国が負担する。

最高裁は1964年、「教科書代は無償ではない」との判断を示した。

 これらの学説の争いに決着を付けたのが、教育費国庫負担請求事件です。1955年、小学校2年生の子どもを持つ親が2年間に払った教科書代865円を返せと裁判を起こしたのです。

 東京地裁は56年、親の請求を棄却しました。「憲法26条2項後段(義務教育は、これを無償とする)は国に対し、国政上の任務を規定したにとどまり、個々の保護者に国に請求する具体的権利を付与したものではない」という判決でした。つまり学説(1)を採用したわけです。

 62年の東京高裁判決は「無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である」との判断を示しました。親の請求を認めないのは地裁判決と同じですが、学説(2)に軍配を上げました。

 64年の最高裁判決は基本的には高裁判決を踏襲しつつ、「教育基本法で義務教育については授業料を徴収しない旨、規定している所以(ゆえん)も憲法の趣旨を確認したものである」と付言し、学説(1)にも配慮をみせました。

高校無償化でも必ず議論に

奥平康弘氏はリベラル派憲法学者の代表格だったが、「国は学用品も支給せよ」とは言わなかった。

 これは最高裁が判決を出す前年の63年に教科書無償措置法が成立したという事情が影響しています。当時は高度経済成長時代です。財政に余裕があり、高裁判決が「授業料だけが無償」だったにもかかわらず、国の独自判断として教科書も無償にしたのです。

 最高裁にしてみれば、せっかく国の負担を軽くしたのに、勝手に背負い込んで、司法の気配りは何だったのか、というところでしょう。裏返せば、財政が逼迫してきたときに国が教科書を有償に戻したとしても、それだけで憲法の教育権を侵害したとはいえません。

 最高裁が支持しなかった学説(3)にも触れておきましょう。第1次世界大戦後のドイツのワイマール憲法は145条で学用品の無償支給を定めていました。ワイマール憲法が日本国憲法に多大な影響を与えていることは何度も指摘してきました。お手本が学説(3)なのだから、日本もそうあるべきだ。そう考える人がいたのは当然でしょう。

 もっとも最高裁は採用しなかったのみならず、日本の憲法学の世界でも学説(3)は多数説にはなりませんでした。「経済上の理由による未就学児童・生徒の問題は教育扶助・生活扶助の手段によって解決すべきである」。リベラル派の憲法学者だった奥平康弘東大名誉教授でさえも81年に書いた論文『教育を受ける権利』で学説(3)をこう批判しました。

 26条を改正する場合、高等教育の無償化の範囲を巡る論争が起きると思います。その際、土台となるのは今回取り上げた義務教育における無償の範囲です。最高裁がいちばん狭い学説(2)の立場であることは、留意すべきです。
(編集委員 大石格)[日経電子版2017年6月14日付]

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