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AI人材争奪
リクルートはグーグルの頭脳一本釣り

AI人材争奪リクルートはグーグルの頭脳一本釣り

 人工知能(AI)による事業変革の能力を持とうとする企業はすべて、人材争奪戦に巻き込まれる。AI研究者は現在のテクノロジー界で最も希少だ。先端IT(情報技術)に携わる人材「ニューカラー」を確保できないなら、自ら育てるしかない。

 「第45代の米国大統領選挙の当選、おめでとうございます」

 2016年11月、ドナルド・トランプ氏が勝利すると、IBMのジニ・ロメッティ最高経営責任者(CEO)は手紙を出した。公開された手紙の中で、経済成長へのアイデアとしてニューカラーの創出を挙げた。

 「ニューカラーの仕事はこれまでにないもので、AIやサイバーセキュリティー、データサイエンスの分野です」

 勃興する先端IT分野にたずさわる人材を、ロメッティ氏はブルーカラーでもホワイトカラーでもない呼び名であらわし、育成を訴えた。

 ニューカラー層の頂上にいるのは、大学や企業の大物研究者たち。国境と産業の枠を越えた引き抜きが激しく、日本企業ではリクルートのスカウトが注目された。

 アロン・ハレヴィ氏、53歳。米アルファベット傘下のグーグルから15年に電撃移籍した。現在、米リクルート・リサーチ・インスティテュート(カリフォルニア州)のCEOを務めている。

 グーグル・リサーチでデータマネジメントの研究責任者を務め、ウェブデータをビジュアルに整理する同社の技術などに貢献した。研究者としての実績を示すのは、論文の数と引用回数から算出するhインデックスのスコアが93であることだ。ノーベル物理学賞受賞者の平均が40といわれており、ハレヴィ氏の大物ぶりがわかる。

 アルファベットの時価総額は米アップルに次ぐ世界2位の74兆円におよび、リクルートの20倍を超える。資金と人材の差が大きい企業間で起こったこの移籍に、日本のIT大手のみならず欧米勢も驚いた。ハレヴィ氏はなぜ移ったのか。

 「AIで人を幸せにしたいと考えている。それが可能なのはグーグルよりもリクルート」。今年5月末のインタビューで、理由を明かした。

 「グーグルにはアルゴリズム(計算手法)がある」。だが、具体的に役立つAI事業を生みだすデータは十分でない。検索エンジンを窓口とするインターネット上の情報が中心だ。

 さらに、実際のビジネス上の課題がわかっていなければAIの活躍の場がない。「グーグルはそれがわからない」


宝の持ち腐れ

 リクルートは人生にかかわる豊富なデータを持つ。勉強や進学のスタディサプリ、就職のリクナビ、結婚のゼクシィ、住宅のスーモ。旅行や外食もある。同社は「小さいものも合わせると数百種類」といい、ハレヴィ氏は「消費者のニーズがリアルにわかる」と語る。

 長期の目標だと前置きし、「AIは将来、本人のやりたいことを本人より正確に理解する」と話した。例えとして旅行の計画づくりを挙げた。今は旅券と宿泊先を予約して終わり。将来は個人の家族構成、好きな食べ物、興味のある事柄など様々な情報をもとにAIが最適な観光プランをあらかじめ提案してくれる。リクルートのデータを生かせば、こうしたサービスがあらゆる場面で提供できるかもしれない。

 元リクルートの石山洸氏が、論文を読んでハレヴィ氏に白羽の矢を立てた。ある論文は、AIの精度を上げるうえでアルゴリズムの改良よりも種類の違うデータを加えた方がいいことを証明していた。

 リクルートは「うちには様々なデータをどう使うかという課題がある。これはハレヴィ氏の挑戦になるだろう」と考えていた。同社では、せっかくの豊富なデータも事業部門ごとに違う形式で使われ、まとめて分析できていなかった。部門に権限を委ねる経営スタイルの裏返しだった。ハレヴィ氏には宝の持ち腐れに見えた。

 同社は、研究部門に招くとはいえ「ビジネスに精通した人物がほしい」と考えていた。ハレヴィ氏はもともとワシントン大学で教壇に立ち、情報統合技術のニンブルテクノロジーや異種データ統合のトランスフォーミックを創業した起業家でもあった。後者をグーグルが買ったことは成功の証しとなっていた。

 米国では有望な新卒のAI研究者に2000万~3000万円、大物研究者に数億円かける例があるといわれる。移籍で収入がどうなったのか、ハレヴィ氏もリクルートも言及を避けたが、やりがいが大きな要因だったことは確かだ。

 企業は人材が人材を呼ぶ好循環に期待しており、リクルートもそれを狙った。実際に、米カリフォルニア大学のワン・チュウ・タン教授はハレヴィ氏と仕事がしたくてリクルートに移った。ハレヴィ氏を引き抜いた石山氏は「彼が来なければ、現在のメンバーのほとんどはいない」と話す。

論文引用5000回超

 大物研究者はあまりに希少で、多くの企業は獲得のチャンスがない。16年秋の時点で、AI分野の論文が5000回以上引用された研究者は、世界でわずか900人近く。リクルートはハレヴィ氏とタン氏の2人だが、それでも10本の指に入り、AI研究の有力企業にとつぜん仲間入りした。このラインを上回るニューカラーがいかに少ないかを示している。

 ただ、企業はいったん人材を獲得したからといって安心できない。

 中国のグーグルと言われるネット検索大手、百度(バイドゥ)は最新のAI技術であるディープラーニング(深層学習)の権威、アンドリュー・ヌグ氏を米スタンフォード大学から招いたが、今年3月に同社を去った。世界トップ級のニューカラーを求める企業は、圧倒的な売り手市場に飛び込むことになる。


国も拠点 争奪拍車 20年に4.8万人不足

 3月、カナダのオンタリオ州。国と州の政府がトロント大学内にベクター研究所をつくった。最先端のAI研究拠点を目指しており、世界中からトップ級のニューカラーを集めるため、150億円を用意した。

 同大教授を兼務するリチャード・ゼメル研究部門長は「AIのあらゆる分野でリーダーを目指す」と語っている。

 人材を呼び込むため、ニューラルネットワークと呼ぶ分野の第一人者、ジェフリー・ヒントン教授が顧問に就いた。2012年の国際的な画像認識コンテストで周囲が驚く精度を見せつけ、現在の第3次AIブームの火付け役となった。

 日本では、国立の2つの研究機関が新しいセンターを設けた。理化学研究所は16年4月、AIの原理の探求と応用の両方をテーマとする革新知能統合研究センター(東京・中央)を発足させた。その前年に、産業技術総合研究所が人工知能研究センター(同・江東)を始動させている。

 カナダ、日本で新設されたような拠点は他にも広がっている。政府が資金を投じるのは、産業界とつながり、国力を底上げするためだ。

 ただ、企業は次々と研究所を設立し、陣容の拡大を目指している。人材市場という点からみれば、政府と企業が取り合う状況は避けられない。

 AIの普及に伴って、ニューカラーを形づくる人材の層も厚みを増してくる。アルゴリズム開発などの研究者、データ分析や事業への応用の担当者、データ整理などの実務者らだ。

 ただ、現状をみると、人材の需要に供給がまったく追いついていない。

 日本の先端IT人材は、IT(情報技術)企業とユーザー企業を合わせて9万7000人。需要を満たす上で必要な数に対し、1万5000人足りないとの試算がある。このまま行けば、20年には不足数が4万8000人に膨らむという。

 企業がビジネスにAIを活用しようとするとき、技術に強いベンチャーなど社外にすべて任せるすべもある。だが、少しでも社内にAIの能力を築こうとするなら、世界的な人手不足と無関係ではいられない。
(篤田聡志、ゼンフ・ミシャ、吉田楓)[日経産業新聞2017年6月16日付、日経電子版から転載]

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