日本経済新聞 関連サイト

OK
[ skill up-自己成長 ]

社会起業という選択(2)英語のできなかった私が
留学先で有名人になるまで

大木洵人 authored by 大木洵人シュアールグループ代表/手話通訳士
社会起業という選択(2) 英語のできなかった私が留学先で有名人になるまで

 第1回でお話ししたように、耳が聞こえる私が手話の会社を起業したというと、ほぼ間違いなく聞かれる質問は「なんで手話を始めたのか?」というものです。私の家族や親戚には聴覚障がい者は一人もいません。そもそも初めて聴覚障がい者と出会ったのは手話を学び始めた後でした。そんな手話とは無縁だった私が手話の活動を始める一つのきっかけは、アメリカ高校留学生活でした。

ジャーナリズムを学ぶためにアメリカに高校留学

学校の仲間たちと

 私の高校時代の夢は戦場カメラマンになって世界中の真実を世の中に広めることでした。そのために、絶対に必要だったものは「英語」でした。英語力がなければ、海外で活動をする事はできませんし、記事を書いて世界に向けて発信する事もできません。しかし、高校1年生の最初のテストでは学年最下位......。進級すら危ぶまれる英語力に、必死に英語を勉強しましたが、努力の割に成績は伸びませんでした。

 そんな時、別の高校に行った中学時代の同級生がアメリカに留学したという話を聞きました。海外留学をすれば、最先端のジャーナリズムと英語の両方が身に付けられると思い、高校留学支援団体のPIEEが主催する1年間の交換留学プログラムに2年生の時に申し込みました。あまりの英語力のなさのため「仮合格」でしたが、なんとか追加課題を頑張り、3年生の夏から1年間、アメリカ・ミシガン州へ留学できることになりました。

Publicationのメンバーと

 留学した最初の1カ月間は留学生だけの語学研修で、日本人も多くいたので特に問題なかったのですが、実際に現地の高校に入学すると、全校生徒約600人中アジア人はもう1人の日本からの留学生を含め、5人だけ。語学研修とは比べ物にならないスピードでの英語の会話についていけるわけもなく、友達も出来ずに苦労しました。

 ジャーナリズムを学ぶために、午前中はアメリカ政治とPublication(出版)の授業、午後は一般科目を選択しました。最初は授業にも付いていけずに苦労しましたが、徐々に日本で鍛えた写真の技術で写真部門のサブリーダーになり、スポーツ担当として高校の各スポーツの写真を撮りに行くようになりました。

知らない世界に飛び込み、友達を作る楽しさ

 スポーツ担当になったのは、日常生活で最も戦争に近い環境だと思ったからです。コマーシャル写真やアート写真も好きでしたが、やはり私は演技なし、台本なしのスポーツ写真が好きでした。試合の写真が学校新聞に掲載されると「この写真は私が日本から来なければ生まれなかった写真なんだ」と思え、更に写真にのめり込みました。

フォトブースからの撮影。遠くて迫力に欠ける

コート横でぎりぎりまで近づいたので、臨場感たっぷり!

 ある日、いつも通り、アメフトの試合をコートの端にあるフォトブースで撮影している時、もっと選手の近くで撮影したくなりました。しかし、過去の先輩たちの写真を見ていても、遠くから撮った写真しかないので、フォトブースのみでしか撮影が許可されていないのだと思っていました。

放課後はチアリーディング部に所属。その話は、またの機会に…

 ただ、どうしても近くに寄りたい感情が抑えられずに、審判に相談したら、意外にもコート内に入らなければ、どこで撮っても構わないと言われました。私は嬉しくて、コートぎりぎりに立って撮影をしていました。ラインぎりぎりで撮影をしていると、選手たちがタックルして雪崩れ込んでくる事もあり、一瞬でも逃げるのが遅れると骨折では済まない大怪我をするような状況の中、私は撮影を続けていました。

 少しすると「コートぎりぎりの危険な場所で撮影している変な日本人がいるぞ!」とスタンドで話題になりました。スタンドにいたPublicationのライター担当のメンバーが「あれはジュントだ!」と言ったため、選手ではない、カメラマンの私に向けてスタンドから「Junto! Junto! Junto!」とコールが響き渡りました。私が学校で一気に有名になった瞬間でした。

 それがきっかけで学校中のみんなに私のことが知られるようになり、最終的には学校の人気投票で優勝するほど、たくさんの友達を作れるようになりました。

全く新しい世界を経験したい!

 私は留学を通して、英語もほとんど話せない状況で、知り合いが全くいないアメリカの高校に飛び込み、少しずつ英語を身に付け、最終的にたくさんの新しい友達を作るという素晴らしい経験を得ることが出来ました。

 「もう一度、アメリカの高校時代のような全く新しい世界での経験がしたい」。それが、全く手話とは関係のなかった私が、手話の世界に飛び込もうと思ったきっかけの一つです。

卒業式で

「日経College Cafe」のお勧め記事はこちら>>