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アメリカ南部奮闘記(2)「東大も東工大も合わない」
サマーキャンプで進路変更

香山葉子 authored by 香山葉子米ワシントンアンドリー大学
アメリカ南部奮闘記(2) 「東大も東工大も合わない」サマーキャンプで進路変更

 こんにちは。今回は私のアメリカ受験に成功したラッキーなエピソードを披露させてください。繰り返しになりますが、私がワシントンアンドリー大学へ入学できたのは本当にラッキーの連続です。

 初めて「留学したい」と思ったのは14歳のころ、米テレビ番組「Glee」をみたのがきっかけでした。なんとなく自由な雰囲気と音楽に心惹かれ、アメリカへの憧れが私の中で芽生えました。しかし、15歳の頃、気が付けば自分はアルバイト先の外食店で先輩にいびられたり、お客さんに怒られたりの連続でアメリカ大学進学とは程遠い経済状況にありました。

バイト先で格差社会実感

高校の卒業式で恩師・友人と(後列右から2人目)

 中学は「いちがく」こと市川学園(千葉県市川市)です。いちがくのいわゆる「ゆりかご教育」で育った私は、アルバイト先の外食店で生まれて初めて格差社会の現実を目の当たりにすることとなりました。学費、食費、交通費、教科書代等、これら全てを親に賄ってもらうことが当たり前ではないこと、毎日帰れる家があってあったかいごはんが待っていることが大変ありがたいことであるという事実が、高校一年生の夏、15歳の私の心に容赦なくつき刺さりました。

 経済的理由から仕方なく残業を強いられるパート・アルバイト・社員がいる一方で、定時に帰宅し、子供を私立学校に通わせながら毎週家族で外食する余裕のある家庭があること、人々がこんなにも社会的に分断されてしまうことを知ることができました。当時アルバイト経験がなかった自分は、勤務先の先輩に、よく「いちがくの高校生がここで何をしているんだ」、「勉強はできても仕事は出来ない」などとからかわれていたのをよく覚えています。そのたびに、「お金を稼ぐためです」「ごめんなさい」と答えていました。

 1つ上の高校生や3つ上の大学生だって皆、お金を稼ぐ目的でシフトを入れているわけで、その意味では「同士」と呼べる関係のはずなのですが、年上の同僚は私の高校を知っていたせいか、いつも私と一線を画していたような印象がありました。当時私と一緒に働いていた人たちは皆それぞれ複雑な家庭の事情を抱えていました。距離を置かれたとはいえ、あきらめずに夢を追いかけている同僚、必死に幸せをつかもうとあがいている同僚から私は「人生における不平等」と闘うエネルギーをもらえた気がします。高校1年生で、こんな経験ができたのは紛れもなくラッキーだと思いました。

 引っ越しもあって外食店のアルバイトは辞め、その後は趣味でバスケを始めたり、別のアルバイトを始めたりしました。アルバイトで勉強に支障をきたしたと思いきや、高校2年も幸い理系選抜クラスに編入されることとなり、ラッキーなことに愉快なクラスメイトにも恵まれ勉強・バスケ・バイトの三拍子で瞬くように毎日が過ぎていきました。

 そして迎えた高校2年春休み時の恒例行事、「勉強合宿」が私の「国立難関大に行く」という選択肢を大きく曲げました。「勉強合宿」は皆携帯電話やゲーム機器を取り上げられ、3日間ひたすら昼夜勉強する、という内容でした。しかし、合宿最終日、受験数学の神器と言われる参考書「Focus Gold」を机に置いた私の手が「これ以上は働けない」とでも言うように動きをパタッと止めてしまいました。

GAKKOの記憶よみがえる

 その時、「東工大にも東大にも本当は行きたくない...」と痛感した時の記憶が脳裏をよぎりました。高2の夏休みに参加したGAKKOという日本を含め世界から集まった大学生がワークショップを行うサマーキャンプに参加したときのことで、そこで出会った人々との思い出が鮮明によみがえりました。これこそ私が目指す場所なのだと、一瞬にしてアメリカ受験の決断をしました。やっぱり自分には、勉強だけでなく、今までの様々なアルバイト経験やボランティアの経験、その他色んな面を総合的に評価してくれるアメリカの大学が合っていると強く思いました。

 気持ちがあれば行動はまるで苦になりません。情報収集や英語の猛特訓、現役でしか受けることが出来ないアメリカの大学に、「Now or Never!」とこころ踊る受験の毎日でした。そして何よりラッキーなことに、インターネットが普及しているご時世に生まれた私はGoogleでなに不自由なく受験に関する情報を集めることができました。

 勉強はそこそこできたもの、他のいちがく生とは明らかに違う体験をしてきたこともあり、「普通の受験」をすることが、何となく自分の中では納得できませんでした。同世代より圧倒的に多く積んできた社会経験を確実に評価してくれる学びの場を私は求めて、アメリカ出願に向けて着実に準備を進めていきました。高校2年時に試しで受けたTOEFLは80点ほどでした。留学生に奨学金を与えてくれる一流私立大学合格には100点必要でした。塾に通うほどのお金もありませんでしたが、ラッキーなことにいちがくの先生と、GAKKOで知り合った友達が無償で受験勉強の支えになってくれました。SAT(日本のセンター試験のようなもの)ではギリギリ難関校の合格ラインまで成績を伸ばすことができました。また幸運なことに、小学校時代に暮らした中国・北京で培った中国語も受験時に大いに役立ちました。

友人が連名で大学に手紙

 高校3年生でも私は引き続き選抜クラスへ進学することとなりましたが、授業が難しく、成績は右肩下がりだったけれど、またもやラッキーなことに推薦状を書いてくれる先生も見つかり、なんとか無事出願を終えることができました。

 卒業式を終えた頃、ワシントンアンドリー大学への補欠合格通知が届きました。ほかの合格校からは奨学金を十分にもらえないため、留学資金作りのためにとりあえず自分ができることをしてみようと、1日10時間のアルバイトをしていたころでした。親友の帰国子女のグループが連名でワシントンアンドリー大学へ手紙を出してくれたことが奏功したのかもしれません。見事に補欠から昇格することができました。多額の奨学金付きのラッキーな合格をもらった日は、正に有頂天で、それまでの人生のご褒美を身いっぱい浴びたような気持でした。

 勢いに乗って入学後は1年目から順風満帆な学生生活が始まると期待していました。しかし、初渡米ということもあって、「カルチャーショック」「人間関係の行き詰まり」「生活への不慣れ」などに悩まされました。その結果、1年目は自分がイメージしていた学生生活とはとても違う経験となりました。今までのラッキーはどこへ行ったのやら、全く冴えない年を過ごしました。

 これを打開しようと、2年目は自分なりに方向転換し、遂にはカメルーン行きのチャンスに恵まれました。この一連の詳細は次回お伝えします。

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