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アイドルへ自在に接近
5Gが開く映像配信の新世界

アイドルへ自在に接近5Gが開く映像配信の新世界

 2020年をメドに実用化される次世代通信規格「第5世代(5G)」の商用サービスをにらみ、通信大手やテレビ局などがコンテンツ開発に動き始めた。超高速・大容量通信が可能な5Gでは配信できる映像コンテンツがより立体的で仮想現実的となり、従来のテレビ放送とは異次元の楽しみを利用者に与える。5G時代には通信と放送の垣根が崩れるとされ、コンテンツを巡る競争が早くも過熱している。

 神奈川県横須賀市にあるNTTドコモの研究施設では世界に先行して5G時代を見据えたコンテンツ開発が進められている。VR(仮想現実)映像技術に強いクレッセント(東京・墨田)がドコモとともに開発するコンテンツは5Gの特性を最大限に生かしている。

 クレッセントの技術スタッフが詰めているのは研究所内のスタジオだ。中央ステージには男性ダンサーが登場し「聞こえてますか」と語りかけた。その映像と音声は離れた部屋で専用のVRヘッドセットを取り付けたデモ見学者にリアルタイムで送られる。「はい、聞こえてます」と答えれば、ダンサーはうなずいてダンスを始める。隣にいる2人の女性ダンサーも一緒に歌って踊る。

視点・遠近自在に

 これは現在の第4世代(4G)時代の常識では考えられない世界だ。男性ダンサーの周囲に16台設置されたカメラで360度から撮影して人物の動きだけを切り出して3次元映像化する。あらかじめ製作していた2人の女性ダンサーのVR映像と一緒にリアルタイムで離れた部屋に5G技術で伝送する。

 驚きなのは専用ヘッドセットをかぶった見学者が左側の女性の方に身体を動かせば、ほんの数センチまで近くに寄ったり、後ろに回ったりして見ることができる。ヘッドセットに位置センサーなどが搭載されているからだ。これは5G技術で強みとされる「自由視点」という技術だ。

 現在でもブロードバンドに接続されたコンピューター環境ならできる、だが、5G時代になると、スマートフォン(スマホ)のような携帯端末や、受信機能を備えたVRヘッドセットを使い、どこにいても男性ダンサーとの双方向コミュニケーションなどを含めて異次元の体験ができるようになる。

 「5Gでは憧れのアイドル歌手やスポーツ選手を間近で見られるような、新たなエンターテインメント体験ができる」と、NTTドコモ移動機開発部で次世代コンテンツ制作開発を進める的場直人担当課長は指摘する。クレッセントの鈴木理之プロデューサーは「現時点で人物をリアルタイムで3次元化して伝送できるのはうちぐらいではないか。ドコモと協力して業界に先行して、より臨場感のあるコンテンツを作りたい」と語る。

 現在の実験段階ではダンサー映像の通信速度は毎秒200~300メガ(メガは100万)ビットだ。現在最速の4Gでは実効速度が数十メガビット程度で到底送れない。5Gの商用化では一段と高速化されることからフルハイビジョンの16倍も解像度の高い「8K」の動画なども簡単に送れるようになる。

 しかも、非常に鮮明で、立体的なVR映像をユーザーが見たい視点から選んで楽しめる。業界では「5Gの実用化により3次元インターネットをどこでも楽しめる時代になる」とも言われる。

4Gの制約除く

 KDDIも5G対応のコンテンツ開発に取り組む。業界関係者の間で話題になったのは同社が5月の実証実験で公開した「仮想月面旅行」だ。

5GではVR端末をつけてバスに乗り、月面旅行のような体験ができる

 バスに乗り込んだユーザーがVRヘッドセットを付けると、目の前に月面のリアルなVR映像が見える。バスが動くと、月面探査車に乗っているように風景が変わり、実際に道路の坂を登ると月面のクレーターを上がっていくように見える。後ろを振り向けば今まで通ってきた風景が見える。

 「5Gは4Gの制約を取り除き、自由な映像体験が可能になる」と、KDDIの松永彰シニアディレクターは指摘する。月面旅行では5Gを使ってバスの位置を伝送、これにサーバー内の膨大な月面のVR映像が選ばれユーザーのヘッドセットにリアルタイムで送られる。自由視点のほか、通信データのやりとりの遅れが4Gの十分の1程度という5Gの強みを生かした。移動体通信の新たな可能性を切り開くコンテンツ技術だ。

 調査会社トレンドフォースによれば、5Gサービスが本格化する20年にはVRの世界市場が16年の10倍以上の700億ドル(約8兆円)になる見通しだ。情報通信総合研究所の中村邦明主任研究員は「5GサービスがVRの普及に重要な役割を果たす」と指摘する。

 5Gのインフラ整備で巨額の費用がかかる携帯電話大手にとって顧客を獲得して投資を回収することが不可欠。そのためにVR映像などコンテンツへの積極投資が今後も続きそうだ。

テレビ局は及び腰 5G、通信と垣根崩す懸念

 NTTドコモなど携帯電話大手の第5世代(5G)サービスを見据えたコンテンツ開発への動きに危機感を募らせるのが大手テレビ局だ。魅力的なコンテンツがスマートフォン(スマホ)などで簡単に楽しめれば、テレビ離れに拍車がかかりかねないからだ。

フジテレビはゴルフ選手の映像に様々な情報を加えて提供する実験を進める

 テレビ大手ではフジテレビジョンがNTTドコモと協力し5G対応コンテンツの制作実験に取り組む。昨年開催の女子ゴルフ大会「フジサンケイクラシック」での中継映像を使い有力選手の動きを自由視点でスマホで見られたりコース内の風の向きなど様々な情報を拡張現実(AR)として浮かび上がらせたりする。

 フジテレビのVR事業部の小倉敦之氏は「5Gを活用することで、生中継の進化形として自分が欲しいアングルの映像を見られる。テレビの楽しみ方が変わる」と語る。

 テレビ局も放送コンテンツをネットでも配信することに力を入れている。ただ、基本的には視聴機会を増やすことが狙いだ。5Gを本格的に活用した自由視点やVR映像のような新たな視聴体験をもたらす内容にはなっていない。そこにはジレンマがあるからだ。

 例えば、NHKはKDDIやNTTドコモと、5Gを活用した8K映像の伝送実験を開始した。もっとも5Gを活用するのは、現場で撮影した「8K」映像を中継基地局などに送るだけ。8K映像の配信については、基本的にはNHKは関わっていない。映像配信部分まで5Gに頼ってしまうと、放送用電波の割り当てを受ける、テレビ局としての存在意義が問われてしまうからとされる。

 5Gの商用サービスは来年初め、米国の携帯電話サービス最大手、ベライゾン・コミュニケーションズが先陣を切る。魅力的なコンテンツの配信でケーブルテレビ局など放送局を含めたライバルから顧客の争奪に動く。5Gを巡る戦いは遠い未来の話ではなく、半年後にまず米国で始まる。

 5Gの登場で通信と放送の垣根が崩れていくなか、革新的な通信ネットワークの特徴を最大限に活用して競争力のあるコンテンツを提供できる企業こそが新たな時代の勝者となると言えそうだ。
(企業報道部 堀越功、大西綾)[日経産業新聞2017年7月11日付、日経電子版から転載]

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