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[ liberal arts-大学生の常識 ]

攻殻機動隊、気づけば現実 
世界観が研究者触発

攻殻機動隊、気づけば現実 世界観が研究者触発

 SF漫画「攻殻機動隊」は、アニメや実写で映像化され、クールジャパンの代名詞として海外でも人気が高い。近未来を舞台に全身を機械化した女性捜査官がサイバー犯罪に立ち向かう――。その独特の世界観は研究者や企業を魅了し、作中の技術は研究開発の指標にもなっている。空想と現実が交錯する、作品世界の広がりを追った。

 米ハリウッドが攻殻機動隊を実写化した映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」が今春、全世界で公開された。

 主人公の女性捜査官を演じたのは、米女優スカーレット・ヨハンソン。冒頭、彼女が犯罪者を追跡する場面で、その姿が風景にすっと溶け込む。

 「うまく実写で表現していると思った」。こう評価するのは、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授だ。

 これは身を隠すための技術で、いわば、てんぐの隠れみの。作中では「熱光学迷彩」と呼ばれる。原作漫画やアニメ版にも登場する、ファンにはおなじみの技術だ。

雨がっぱに投影

 稲見教授の研究室に、熱光学迷彩を再現した装置がある。スイッチを入れ、特定方向から眺めると、稲見教授が背後のポスターと同化した――。

 秘密は雨がっぱにある。入射した光をまっすぐに反射する素材、再帰性反射材で作られている。プロジェクターで背後の画像を投影することで「透明に見せる」。稲見教授は作品からヒントを得て、AR(拡張現実)技術として実現した。

 産業界も注目する。稲見教授は自動車の内装に組み込む実証実験を実施した。車外の映像を車内に投映し、運転者から見た車体を透明化。死角をなくす効果が期待できる。「建機メーカーも興味を持っている」とも。

 稲見教授の専門は、人間拡張工学。仮想現実(VR)やAR、ウエアラブル技術などを駆使し、人間の能力の限界を広げる研究だ。稲見教授にとって、攻殻機動隊はイマジネーションを与えてくれる「必読書」という。研究室には原作漫画やアニメ版のDVDが並ぶ。

 「作品では未来の可能性の1つが示され、我々はそれを技術で実現しようと試みる。ここにはポップカルチャーと科学技術の理想的な相互作用がある」(稲見教授)
攻殻機動隊の時代設定は原作漫画では2029年。初出は1989年で、28年が経過している。

 「この作品は色あせない。むしろ時代がようやく追いついた」。アニメ版のプロデューサーで、ハリウッド版でも製作総指揮を務めた石川光久氏はこう力を込める。

 KDDI総合研究所(埼玉県ふじみ野市)と情報通信研究機構などは、作品を参考に、サイバー攻撃対策の開発に着手。作品の影響は多方面に及ぶ。

深い思想性評価

 攻殻機動隊が国内外で評価される理由の1つは、作品の深い思想性だ。

 作中では、体を「義体(ぎたい)」と呼ばれる機械に置き換えるサイボーグ技術が発達。速く走り、高く跳び、長く生きられるようになった。

 また、意識とネットワークを結び、電脳空間で膨大な情報をやり取りする「電脳化」技術も普及。体は普遍的なものではなく、意識とネットの境界も曖昧になった。

 実写版では、主人公は事故で体を失い、生命維持のために脳や中枢神経以外を全て義体化。超人的な能力を手に入れたが、彼女のアイデンティティーは揺らぐ。自分は何者なのか。自分の「魂」(作中ではゴーストと呼ぶ)は、生身の人間と同じなのか――。

 義体も夢物語ではない。サイボーグ技術の開発に取り組む企業がある。

 電気通信大発のベンチャー、メルティンMMI(伊藤寿美夫社長)だ。

 東京都渋谷区、マンションの一室にある同社オフィス。机の上に置かれた機械の手が目を引く。

 取締役最高経営責任者(CEO)の粕谷昌宏氏が指を動かすと、機械の指も瞬時に形を変えた。

 粕谷氏のひじにはセンサーが3カ所に貼り付けられている。人間が指を動かそうとする時、脳の指令を伝達するために神経から筋肉に微弱な電気「筋電」が流れる。同社はこのパターンを読み取る解析技術を開発。ワイヤ駆動で指が動く「筋電義手」を開発した。

 筋電義手は研究機関などを対象に今春から販売を始めたが、同社の目標はさらに先にある。

 粕谷氏は「脳さえあれば、より健康に、より自由に生きられる世界を作りたい」と夢を描く。

 子供の頃からサイボーグ技術に関わりたいと考えていた粕谷氏。攻殻機動隊に憧れて道を選んだ訳ではない。だが中高時代に初めて攻殻機動隊の原作を読んだとき、「自分の目指す方向がこれほど緻密に描かれた作品があることに驚いた」。

 現在でも作品からは様々な刺激を受けている。「義体を巡る宗教観や、義体のメリット・デメリットなど、研究の論点が明確になる」という。

 メルティンMMIは筋電義手の要素技術を磨き、対象を全身に広げる。粕谷氏は「作品の舞台の29年ごろには、攻殻の世界に最も近い企業でありたい」と話している。

作中キャラをイメージ

 攻殻機動隊と世界観を共有する技術の実現可能性を探る「攻殻機動隊REALIZE PROJECT(リアライズプロジェクト)」も2015年から本格的に進む。旗振り役はプロダクション・アイジーと電通、講談社、バンダイビジュアルの4社。コンテストやシンポジウムを通じて取り組みを広げている。

 同プロジェクトのコンテストには、約30の企業・団体が参加。サイバー攻撃対策を目指すKDDI総合研究所(埼玉県ふじみ野市)などの事業も同プロジェクトに呼応して始まったものだ。

 「サイバー攻撃の危険性は、いまや攻殻機動隊の世界に匹敵する」。同研究所サイバーセキュリティグループの窪田歩グループリーダーは話す。

 開発中の対策ソフトウエアは、利用者のパソコンに搭載された複数のソフトが情報の収集や共有を繰り返すことで、最新の攻撃に対処する。

 ソフトのビジュアルはアニメシリーズに登場する「タチコマ」というキャラクターをとりいれた。タチコマは人工知能(AI)を搭載したロボットで、女性捜査官らを支援する役割。ソフトのイメージにも合致する。

 今秋にパソコン向けで無償配布し、実証実験に入る。人気作品の活用で数万人規模の大規模なサンプルの入手が可能になると見込む。実証実験を通じて効果を検証し、20年をメドに、あらゆるものがネットにつながる「IoT」機器やスマートフォン(スマホ)向けで本格展開する考えだ。

◇     ◇

攻殻プロデューサー 石川氏に聞く

 SF漫画「攻殻機動隊」は、現在新作アニメが制作中。作品世界はさらに広がっている。プロデューサーで、ジャスダック上場のIGポート傘下のアニメ制作会社、プロダクション・アイジー(東京都武蔵野市)社長、石川光久氏=写真=に聞いた。

 ――実写版の米国での興行収入は期待よりも少なかったようです。

 「日本の漫画を原作としてハリウッドで他に類を見ないくらいきちんと制作した。公開日に合わせて新作アニメの制作発表ができた効果も高かった。1995年に劇場版アニメを公開した時は、カナダの映画監督ジェームズ・キャメロン氏から『アニメーターを使わせて欲しい』とオファーがあった。今回も世界を舞台に次につながるチャンスを手に入れたと思う」

 ――攻殻機動隊の原作者、士郎正宗氏はメディアに一切登場しません。映像化をどう受けとめているのでしょうか。

 「士郎さん本人は全くエッジがたっていない、群集の中にいると目立たないような人。本当の天才とはああいう人なのでしょうね。士郎さんが考えていた未来に現実が近づいてきた。士郎さんは原作と映像作品は基本的に別物と捉え、余計な口出しはせず、制作の自由を認めてくれている」

 ――アニメ産業はクールジャパンの旗手として期待が高まっています。

 「アニメ制作の現場は下請け構造だ。アニメの数は多いけど、実は業界は弱体化している。利益構造になるためには、海外と権利交渉しながら資金を引っ張ってくるような、リーダーシップのある人材がもっと必要だ」

▼攻殻機動隊 原作は士郎正宗氏。1989年に漫画雑誌「ヤングマガジン海賊版」で連載開始。単行本は現在までに26カ国・地域で出版されている。95年には押井守監督によるアニメ映画「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」が公開され、米映画「マトリックス」などに影響を与えた。2004年公開のアニメ映画の続編「イノセンス」は、カンヌ国際映画祭で公式上映された。テレビアニメ、オリジナルビデオアニメなど派生コンテンツは数多い。

(中川渉、亀井慶一)[日経産業新聞2017年7月24日付、日経電子版から転載]

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