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五輪まで3年、
「スポーツ法務」で弁護士走る

五輪まで3年、「スポーツ法務」で弁護士走る

 スポーツは楽しみや挑戦の対象だけでなく、巨大なビジネスでもある。法的な課題も多く、関係者の利害を調整して解決する「スポーツ法務」に詳しい弁護士の存在が欠かせない。東京五輪・パラリンピックの開幕まで3年を切り、彼らの活躍のフィールドが広がる。

プロ野球選手にアドバイス

 ペナントレースがいよいよ佳境に入ろうとしているプロ野球。開幕前、2月になると宮崎県や沖縄県など各球団のキャンプ地を回る弁護士がいる。その一人が萱野唯弁護士だ。

萱野弁護士は野球やサッカーなどのプロ選手らを法務面で支える

 「ツイッターなどSNS(交流サイト)での気軽な情報発信でも大きなトラブルの原因になってしまうことがありますから、本当に気をつけてください」。練習が終わった夜、宿舎の会議室へ集まった選手を前に、萱野弁護士は語りかける。

 ミーティングでは、理解してもらいたい法律が絡むトピックについて説明。反社会的勢力との関係遮断、年金や共済制度などテーマは幅広い。「疲れているはずの選手に耳を傾けてもらうため、わかりやすく飽きられないように話そうと心掛けている」という萱野弁護士は選手からの信頼も厚く、相談などのため携帯電話が鳴るのもしばしばだという。

 萱野弁護士がスポーツ法務を扱うようになったのは、所属するヴァスコ・ダ・ガマ法律会計事務所に入ったのがきっかけだ。同事務所の弁護士は、2004年の近鉄とオリックスの球団合併問題に端を発するストライキに踏み切った選手会側に助言をするなど、この分野に長く携わる。スポーツ分野に強い「ブティック型法律事務所」の一つだ。

 経験を積むうち「もともとはそれほど関心があった分野ではなかったが、誰でも知っている選手やこれから飛躍が期待される選手らを支える仕事にやりがいを感じるようになった」と萱野弁護士は話す。今では、野球のほかサッカー、バスケットボール、バレーボールなどのプロ選手や球団のリーガルアドバイザーも務めており、契約や組織運営についての助言などを手掛けている。

リオ五輪での活躍の陰にも

 昨年のリオデジャネイロ五輪。自転車の女子個人ロードレースで与那嶺恵理選手が17位に入り、同種目が採用された1984年ロサンゼルス五輪以降で日本勢として最高成績となった。この成績も競技者と競技団体のトラブルを専門に扱う裁判外紛争解決手続き(ADR)である「スポーツ仲裁」がなければ実現しなかったかもしれない。

 与那嶺選手は2016年1月のアジア選手権で日本チームの指示に反するレース運びをしたなどとして、同年6月3日、競技団体である日本自転車競技連盟からリオ五輪代表の選考対象外とされた。与那嶺選手はこれを不当だとして取り消しを求め、日本スポーツ仲裁機構に仲裁を申し立てた。25日に代表選考会が迫る中、同機構はこの案件を「緊急仲裁手続き」とし、24日に同連盟の決定を取り消す判断を下した。申し立てが認められた与那嶺選手は翌日の選考会で代表となり、リオ大会への出場を果たした。

かつては選手だった経験を生かす

 申立人である与那嶺選手の代理人を務めたのは合田雄治郎弁護士。同様の仲裁や調停を手掛けるが「選手にとっては自分の属する団体に刃向かったととられかねず、相当な覚悟がいる。泣き寝入りしている事例は少なくないだろう」という。「代表選考はアスリートにとっては死活問題。にもかかわらずその基準を明示していない競技団体もあるのが現実で、競技者と団体の間で争いを招く一因になっている」と合田弁護士は指摘する。

合田弁護士は自身の選手経験も生かしてスポーツ団体の統治強化に力を入れる

 合田弁護士はスポーツクライミングに打ち込んだ時期があり、国内大会でも活躍した。44歳で弁護士になって以降、代表選考を巡るトラブルなどを防ぐためにも、競技団体の統治強化の必要性を強調する。

 「競技団体は補助金などさまざまな支援の受け皿になる。ガバナンスをきちんと効かせ競技や組織を適正に運営することは、世界的な課題でもある。東京五輪などビッグイベントを目前にする日本は、その成功のためにも迅速な対応が欠かせない」。自らも5月に日本山岳・スポーツクライミング協会の役員を引き受け、選手としての経験や法律知識を生かし、組織の内側から体制の整備や充実に汗を流す。

「スポーツ法務」充実へ研究会

 4月に第二東京弁護士会の会長に就いた伊東卓弁護士はスポーツでの事故や暴力といった問題の解決などに力を入れてきた。同弁護士会は07年に「スポーツ法政策研究会」を立ち上げ、伊東弁護士は幹事を務める。定期的に会合を開き、弁護士らが議論し、研さんを積む場としている。

 直近では5月に「女性の身体と女性スポーツ」をテーマとして、女性アスリートの健康管理の問題点について議論した。「興味を持って参加する若手が増えてきた」と伊東弁護士は手応えを感じている。同様の研究会は東京の3弁護士会に加え、大阪、愛知、神奈川の各弁護士会などにもある。伊東弁護士は「連携を深め、比較的新しい分野であるスポーツ法務の認知度を高めたい」と意気込む。

 そもそも「スポーツ法」という名前の法律があるわけではない。スポーツに関する理念や施策を定めるスポーツ基本法をはじめ、スポーツを巡る法的な課題を解決するために関係する法律の総称というとらえ方が一般的なようだ。

 スポーツを巡り、法的な対応を迫られる場面は多い。選手契約、事故や不祥事対応といったことから、反ドーピング、代表選考の争い、スポーツ団体のガバナンス、さらにスポーツビジネスではスポンサーシップ、放映権、入場料、グッズなどの商品化、広告、マーケティングなどに至るまで多岐にわたる。

 そのため民法や刑法から、労働法、知的財産法、独占禁止法などや外国法も含めた幅広い知識を使いこなすスキルが欠かせない。こうした領域を主に扱う「企業法務」と親和性もあるので、実際には大手法律事務所などに所属するビジネスロイヤーがスポーツ法務を守備範囲としている例が多いようだ。

人材不足に危機感

 19年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会、20年の東京五輪・パラリンピックを控え、その開催にあたって関係団体や企業間で交わされるありとあらゆる契約書類と弁護士は格闘している。ただ、渥美坂井法律事務所・外国法共同事業の角田邦洋弁護士は「日本と外国の法制度の違いや国際契約の実情を理解している人材が不足している」と危機感を募らせる。「欧米にはスポーツ分野を専門に扱う弁護士を多数抱える大手法律事務所は少なくないが、日本ではまだまだ限られるのが現状」という。このままではスポーツイベントの開催や運営に支障をきたしかねない。

角田弁護士(中央)は「スポーツ法務の人材育成が急務だ」と話す

 そうした弁護士が担う仕事は各スポーツ団体やスポンサー企業などに山積する。ビッグイベントを支える法律実務家に光を当てて将来活躍する人材を育てようと、同事務所は一橋大学法科大学院と組み、7月から9月にかけて連続講演会も開催。同大学院修了者ら20人前後が参加している。スポーツイベントとガバナンスをテーマにした7月27日の講演会では過去の不祥事を振り返るとともに、サッカーW杯の試合や国際サッカー連盟(FIFA)を想定した架空の事案について、実際のルールをどう適用して解決するかをワークショップ形式で検討した。

スポーツビジネスの国際化に対応

 「スポーツ法」を教える講座を開設している法科大学院もある。上智大学法科大学院はその一校だ。日本スポーツ仲裁機構や長島・大野・常松法律事務所などの支援を受け、スポーツ仲裁に関するシンポジウムを開いたり、調査研究に取り組んだりもしてきた。その成果を学生、研究者、弁護士らが論文にまとめて報告書にしている。

 同法科大学院の森下哲朗教授は「スポーツは誰でも親しみがあり、選択科目の中では学生が興味を持ちやすい授業だろう」とみる。その上で「スポーツビジネスは今後ますます国境を越え、関係者も多岐にわたるようになる。そこで発生する法的課題をうまく解決できる人材を育成する社会的ニーズに応えていかなければいけない」と説く。

 スポーツの世界には固有のルールがあるので自治に任せ、「公序良俗に反しない限り法は介入しないのが原則」という声がある一方、日本では非近代的で理不尽な体質が抜けきらず、意識改革は道半ばという面もある。「面倒なことを言われるかもしれない弁護士らの介入を嫌がる風潮は根強い」との指摘は、プロスポーツビジネスでもあるという。

 だがそれでは公平で公正な事業の実現は難しい。ルールの下で、競い合ったり対立する利害を調整したりするというのが世界の考え方で、日本のスポーツ界にもいっそう浸透が求められる。法律家の出番は増えそうだ。
(田中浩司)[日経電子版2017年8月16日付]

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