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米女子マラソン先駆者、
走って差別と闘う運動起こす

米女子マラソン先駆者、走って差別と闘う運動起こす

 米国初の女性公式マラソンランナーで、1967年にボストン・マラソンに初めて女性として公式完走したキャサリン・スウィッツァーさん(70)が、差別に苦しむ女性たちに「走って強くなろう」と呼びかける支援活動に力を入れている。

「フィアレス261」のスタッフと(前列右がスウィッツァーさん)

 今年7月、スウィッツァーさんは、シカゴの見本市会場マコーミック・センターを訪れた。開催中の「ロックンロール・マラソン」の撮影イベントに参加するためだ。

 この日、スウィッツァーさんと一緒に写真を撮ろうと列に並んだひとり、レイチェル・ブルナーさん(28)は、足首の故障でマラソン参加は断念したが、一目スウィッツァーさんに会いたいと松葉づえの助けを借りてやって来た。「女性マラソンの道を切り開いた彼女の勇気を思うと涙が出る」

 ブルナーさんは自身をスウィッツァーさんの姿と重ねる。シカゴにある大学の英文学教授として働くが、教授の世界は男性社会だ。女性の昇格を阻むガラスの天井に突き当たる。トランプ米大統領の誕生で女性問題の将来を危惧し「スウィッツァーさんの存在は、かってないほど重要になる」と話す。

性別隠し、差別と闘ったヒロイン

 米国の女性にとってスウィッツァーさんは差別と闘ったヒロイン的存在だ。今でこそ、マラソン参加者の過半数は女性だが、50年前は違った。女性は世界で最も歴史の古いボストン・マラソンに参加できず、スウィッツァーさんは性別を隠すため名前をイニシャル表記で申し込み、参加資格を得た。

 当日、ゼッケン番号「261」を胸にスタートして間もなく、主催者側の男性に「レースから出ていけ!」と、つかみかかられる。伴走していたコーチと男性の友人が間に入り、難を逃れて完走したものの、この時の恐怖は今も忘れていない。

50年前のボストン・マラソンの模様。係員につかみかかられたスウィッツァーさんを、伴走したコーチと友人男性が助けた=Boston Herald

 ボストン・マラソン後、米化粧品会社をスポンサーに、女子マラソンの振興を目指して世界を飛び回った。最近はシニア向けのマラソン振興にも忙しいが、昨年夏に非営利団体「フィアレス261」を立ち上げた。261はボストン・マラソンを走った時のゼッケン番号。どんな恐怖にも打ち勝つ(フィアレス)強い女性になってほしいという思いを込めた。

 フィアレスは女性なら誰でも参加できるランニングクラブを中心にしたグローバルなコミュニティーだ。希望者は同団体が主催するトレーナー養成講座で訓練を受け、地元でクラブを開設できる。現在、米国、オーストリア、英国など世界9カ国に29のクラブがあり、世界中に広げるのが目標だ。

 会員同士がネットを通じて情報交換もできるようにした。フェイスブックなどのソーシャルネットワークとは違い、個人情報が漏れる心配なしに安心してお互いの悩みを打ち明け、支え合うことができる。

「中東で女子マラソン」が夢

 スウィッツァーさんに創設の理由を聞くと「ランニングで変化した女性を多く見てきたから」という。家庭内暴力を受け自分の殻に閉じこもった女性が、走ることで外の世界に目を開いていった。

 米国に女性差別は根強い、と話は続いた。女性の給与は男性より低く、大企業のトップも少ない。世界には女性に教育を与えない国もある。差別と闘う力を、右足を左足の前に一歩出すことで養ってほしい。「走るのはお金のかからない社会改革。死ぬまでに中東で女子マラソンを開くのが夢」と笑う。

 半世紀前にボストン・マラソンを走ったときの経験を語ってくれた。男性ランナーたちは「僕の妻にも走ってほしいよ」、「頑張れ」と好意的だったが、見物していた男性たちは違った。「さっさと家に帰って夫に夕飯を作れ!」、「走ると足が太い男になって、子供が産めなくなるぞ」。当時は20歳のシラキュース大学生で、罵声の中を走るのは怖かった。

ファンと写真撮影するスウィッツァーさん(左)

 マラソンを走ろうと思ったのは軍人だった父親の影響が強い。スウィッツァーさんは父が米陸軍少佐として従軍していたドイツで生まれた。父は後に大佐に昇進し、49年に家族は米国のバージニア州に戻った。高校生のとき、父にチアガールになりたい、と打ち明けた。「なぜだ? 試合を見物する側よりも、試合に出て観客に見せる側に回れ」と叱られた。その言葉が、自分の生き方を決めた。

 マラソンの歴史は女性の闘いの歴史でもある。歴史本「オリンピック・マラソン」によると、古代オリンピックは女性禁制。見物しているだけでも死刑になることがあった。近代オリンピックとして再開された1896年にも女性のマラソン参加は認められなかったが、数人の女性が非公式ながら走っている。

 その後も長距離を走るマラソンは女性の健康を損なう、という説が有力で、オリンピックが女子マラソンを正式種目として認めたのは1984年のロサンゼルス・オリンピックが最初だ。同書には女性のマラソン参加を求めるスウィッツァーさんが委員会の説得に当たった様子が描かれている。

米のマラソン完走者、6割近くが女性

 「実は私の前にボストン・マラソンを完走した女性がいるの」とスウィッツァーさん。66年、女性には長距離は走れないという理由で参加を認められなかったロバータ・ギブさんだ。低木の下に隠れて待ち、レース開始とともに飛び出し、非公式ながら完走した。

 米マラソン業界団体ランニングUSAによると、2015年の米国のマラソン完走者は1700万人。そのうち、57%が女性で男性は43%だ。四半世紀前の90年には女性は25%しかいなかった。

 スウィッツァーさんは今年、50年ぶりに「261」のゼッケンを胸にボストン・マラソンを走った。当時、女性参加を認めなかった同マラソンだが、今では「261」を永久欠番とし、功績をたたえる。

 スウィッツァーさんの今回のタイムは4時間44分。50年前の4時間20分と比べて24分しか変わっていない。女性マラソンの歴史に名前を残す70歳のランナーは「これからニュージーランドに飛ぶの」と手を振って支援行脚の旅に出た。
(シカゴ支局 野毛洋子)[日経電子版2017年8月25日付]

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