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「うんこ漢字ドリル」
大ヒットは東海高の縁
山本周嗣・文響社社長が語る(上)

「うんこ漢字ドリル」大ヒットは東海高の縁 山本周嗣・文響社社長が語る(上)

 国公立医学部合格者数10年連続日本一を誇る中高一貫の男子校、私立東海中学校・高等学校(名古屋市)。卒業生の一人に、ベストセラー「うんこ漢字ドリル」の出版元、文響社(東京都港区)の山本周嗣社長(41)がいる。「ドリルが大ヒットしたのは、実は東海での縁のおかげ」と明かす山本氏に学校での日々を聞いた。

 「うんこ漢字ドリル」は同級生とともにつくった。

文響社の山本周嗣社長

 「うんこ漢字ドリル」を一緒につくることになる映像クリエーターの古屋雄作や、長年のビジネスパートナーで「夢をかなえるゾウ」などのベストセラーを書いた水野敬也も、東海で過ごした時間が才能の開花につながったのだと思います。

 東海の同窓生は、他の学校に比べて絆がとても強いように感じます。「うんこ漢字ドリル」も、まさに同級生の絆の強さによって生まれました。そうした絆を強めているのは、ユニークな学校行事にあると思っています。

 中でもおそらく、みんなの印象に一番強く残っているのは、「水練会」でしょう。中学1年の夏に三重県の海で行う臨海学校のことで、全員がふんどし姿で遠泳します。遠泳もきついですが、ふんどしを締めるという体験も、あの時が最初で最後でした。そうした不思議で強烈な体験をすることで、強い仲間意識が芽生えるのだと思います。

 卒業生には、元首相もいれば、著名な医師や企業家、文化人も名を連ねる。元プロレスラーまでいる。

 いろいろな分野で多くの卒業生が活躍しているのは、学校の教育方針もあると思いますが、それ以上に生徒数の多さが影響していると個人的には思います。

 東海は、私が在籍していた当時、中学が1学年約400人、高校は高校受験で入った100人を加えて1学年約500人というマンモス校でした。分母が大きければ、その分、生徒の個性も多様になります。そこに、自主性を重んじる校風がうまく作用し、生徒の個性や長所がさらに伸びる。結果的に、秀でた才能を発揮する人材を様々な分野に輩出することになるのではないでしょうか。

 東海地区では数少ない私立の進学校なので、愛知県内ばかりでなく、近隣の静岡や三重、岐阜などからも優秀な生徒が大勢集まってきて切磋琢磨します。それも、多くの分野で卒業生が活躍する理由の一つだと思います。

 私が東海中学に進学したのは、教育熱心な親の意向があったのは間違いないと思います。塾には小学5年生から通い始めました。塾通いを始めると、何となく周りも自分も中学受験するのが当然というような雰囲気になります。塾の成績は悪くなかったですし、学校と違ってテストの成績が張り出されるので、勉強するモチベーションが上がりました。新しい友達もできるし、結構楽しんで塾に通った記憶があります。そんな生活でしたので、中学受験は私にとってはごく自然の成り行きでした。

 成績は途中までトップクラスだった。

 入学してからも、定期テストでよい点数をとることがモチベーションになり、中学3年までテストの成績はずっとトップクラスでした。順位は、400人中いつもだいたい10~20番台で、理科のテストでは学年で1番をとったこともあります。とても真面目な生徒でした。

「東海の同窓生は、他の学校に比べて絆がとても強い。絆を強めているのは、ユニークな学校行事」と話す

 ところが、中3の途中から突然、まるで滝の水が流れ落ちるように、成績が急降下し始めました。理由は明らかでした。中3の時に、当時華やかな部活に見えたアメリカンフットボールを始めたからです。それまでは、ほぼ勉強一筋の生活でしたが、先輩や周りの友達を見ていたら、何か違う経験をしてみたいという気持ちが急に強まりました。年頃だったので、華やかで目立つものに対する憧れの気持ちがあったと思います。

 アメフト部に入部し、ハードな練習の日々が始まりました。週末も練習した記憶があります。ヘトヘトに疲れて家に帰るので、机に向かう気力は残っていません。勉強量の減少に比例し、成績もどんどん落ちて行きました。

 成績が落ちても部活は続けました。筋トレで自分の体が変化していくのが面白かったし、どんどん上手になっていくのが嬉しかったのです。最初は親も私の成績の落ち込みを見て心配していましたが、何を言っても私が聞かないので、途中から完全に諦めたようで何も言わなくなりました。

 学校も生徒の自主性を尊重する方針なので、成績が下がってもうるさいことは一切言いません。成績表を張り出すなどして、生徒のモチベーションを上げる手助けはしますが、最後は本人任せという姿勢です。

 結局、いったん下がった成績は最後まで戻らず、卒業するころの成績は下から数えたほうがはるかに早いという状態でした。大学受験も、試験当日になっても日本史の勉強が江戸時代までしか終わっていないような状況で、結果は目に見えていました。

 高2の時、成績下位のグループに分けられた。

 東海高校は、2年に上がるときに全生徒をそれまでの成績によってA群、B群の2グループに分ける独特の制度があります。簡単にいえば、A群は勉強のできる生徒、B群はできない生徒です。成績が落ち続けていた私は、ある程度予想はしていましたが、やはりB群でした。

名古屋市の東海中学校・高等学校

 A群とB群は校舎も別々でした。受験する大学も違ってきます。東海高校は毎年、東京大学に数多くの合格者を出しますが、東大を受けるのはみんなA群の生徒。合格者数が全国トップクラスの国公立医学部も、だいたいA群からです。類は友を呼ぶというのか、高1の頃に仲の良かった友達は、だいたい同じB群に入りました。

 A群、B群の話をよその人にすると、「残酷!」という反応が返ってきますが、私自身は当時も今も、特に残酷だとは思っていません。確かにB群行きを宣告された瞬間は少しショックでしたが、冷静に考えれば、勉強をさぼっていた自分が悪いんです。勉強を頑張っている人もたくさんいる中で、自分は頑張れなかった。それだけです。それに在学中はA群かB群かを否応なく意識しますが、いったん卒業すれば、みんなほとんど気にせず、同じ同窓生として付き合います。

 ユニークな学校行事が生徒同士の絆を深めた。

 東海は浄土宗の学校なので、宗教の授業があります。僧侶でもある校長の講話を聴いたりして、生きるとは何か、平和とは何かといったことを考えさせられます。また、中学では、昼に弁当を食べる前に必ず「食(じき)作法」をします。合掌し、天地の恵みに感謝の意を表す文言を全員で唱え、最後に「いただきます」と言って食べ始めるのです。中学の3年間、毎日唱えていたので、今でもそらんじることができます。これも、絆を強める共通体験の一つではないかと思います。
(ライター 猪瀬聖)[日経電子版2017年9月25日付]

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