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勉強ダメでもベストセラー次々
東海同級生3人の輪
山本周嗣・文響社社長が語る(下)

勉強ダメでもベストセラー次々東海同級生3人の輪山本周嗣・文響社社長が語る(下)

 <<前回「東海高の同級生とつくった大ヒット「うんこ漢字ドリル」」から読む>>

 ベストセラー「うんこ漢字ドリル」を生んだ文響社(東京都港区)の山本周嗣社長(41)が語る「リーダーの母校」。東海地方一の進学校、私立東海中学校・高等学校(名古屋市)に進んだ山本氏だったが、勉強は途中で挫折。しかし、そこで得た同級生との絆は、その後、ヒット作を次々と世に送り出す原動力となった。

 「うんこ漢字ドリル」は、今年3月の発売以来、発行部数が270万部を超えた。

文響社の山本周嗣社長

 ドリルの作者である古屋雄作は、東海の同級生です。クラスが別々だったこともあり、互いにほとんど面識はありませんでしたが、社会人になってから、私の長年のビジネスパートナーで、やはり東海の同級生の水野敬也を介して知り合いました。

 古屋は本職が映像ディレクター。彼の作品に私が出演するなどして、その後もつきあいが続きました。そのうち彼が「うんこ漢字ドリル」の元になった「うんこ川柳」を私に見せてくれて、それが「うんこ漢字ドリル」の誕生へとつながっていったのです。

 私から見ると、彼は非常に才能があるのですが、クリエーターという職業は日本ではなかなか認められない傾向があります。こんなに才能があるのだったら何とかしてあげたい。同級生だけに、彼を応援したい気持ちがおそらく他の人より強く、それがいい作品を生む要因の一つになったと思います。

 一方、水野とは中3の時に初めて同じクラスになり、高校でもクラスメートでした。非常にウマが合い、授業中も席が近かったことから、先生の話はそっちのけで、よく無駄話をしていました。学校の外でもよく一緒に遊んでいました。

 水野はとてもユニークな男で、東京の私立大学卒業後、就職せずにお笑い芸人をしていた時期がありました。2003年に「ウケる技術」という本がベストセラーになりましたが、あれは、芸人をやめた彼と、証券会社のトレーダーだった私と、広告代理店のクリエーターだった別の東海の同級生と3人で会った時に、水野の経験もあって、笑いの教科書をつくろうという話で盛り上がり、実際に3人の共著で出版したものです。

 その後、水野は、収入が不安定で私と同居していた時期もありましたが、しばらくして、ミリオンセラーとなった「夢をかなえるゾウ」をはじめ、次々とヒット作を書き始めました。私は、トレーダーの仕事には満足しつつも、いつかは水野と一緒にものづくりの仕事をしたいという思いが頭から離れませんでした。

「すばらしい作品に仕上げることができたのは、東海で6年間、同じ釜の飯を食った信頼関係があったから」と話す

 2008年、これ以上遅らせたら水野と一緒に仕事をする機会は一生やってこないと思い、意を決して証券会社を退職。水野をマネジメントするミズノオフィスを共同で設立し、私が社長に就任しました。さらに、2年後の10年、文響社を創業し、水野にも役員として入ってもらいました。

 今こうして本がヒットしているのも、東海の縁のおかげだと本当に思います。

 気心の知れた間柄が、ヒット作を生む要因となった。

 私が作品をつくる際に大事にしていることに、「妥協しない」「言いたいことを言う」「摩擦を恐れない」といったことがあります。作品を出すといったん決めたら、完璧なものができるまで妥協せずにとことんやります。

 そんな時、一緒に仕事をする人間が気心の知れた間柄であれば、非常にやりやすい。例えば、「うんこ漢字ドリル」は完成までに2年以上かかりましたが、その間、実は私が何度か大きなミスをやらかし、そのたびに、最初からやり直したいと古屋にお願いしました。

 普通の著者と編集者の間柄なら、著者に間違いなくキレられていたでしょう。古屋にも「普通なら心折れているところだ」と言われました。そこまでしても関係がこじれることなく、すばらしい作品に仕上げることができたのは、東海で6年間、同じ釜の飯を食った信頼関係があったからというのもあると思います。

 水野との仕事も同様です。彼は文響社でも「人生ニャンとかなる!」などヒット作を連発してくれています。よく「学生時代の友人は社会人になっても損得勘定抜きで付き合える」と言いますが、水野にしても古屋にしても、まさにそういう関係です。それが仕事上でもプラスに働いているのだと思います。

 仕事以外でも、同級生の絆のありがたみを感じることが多々あります。私も今年41歳になり、親も高齢です。信頼できる医者がいればいいなと思うことがよくありますが、幸い、東海の卒業生には医者が多く、仲のよかった同級生の中にも何人か医者がいます。何かあったときに、気軽に相談に乗ってくれ、とても有難いことだと思っています。

 また、初めて会うような人でも、同窓生というだけで、非常に親近感がわきます。つい先日も、仲の良い同級生を介して、弁護士になった同級生と知り合い、食事をしました。在学中は言葉を交わした記憶はありませんが、会った瞬間、互いに「そう言えばこんなやつ、いたなあ」という感じですぐに打ち解け、「何かあったら遠慮なく相談してよ」と言って分かれました。

 出版不況といわれるなか、文響社の業績は右肩上がりが続く。

 最近しみじみ思うのは、「人生に奇跡は起こらない」ということです。ヒット作も奇跡では生まれません。私は、作品づくりにあたっては、まず、徹底的に調査をします。世の中の人は何を求めているのか。どんなものをつくれば、より多くの人に喜んでもらえるのか。そうした努力があって初めて結果を残す権利を与えられるのだと思います。

 東海時代を振り返ってみれば、私は勉強するという努力を怠ったために、成績が急降下しました。勉強しなくても試験は何とかなるのではないかと自分に期待したこともありましたが、それは甘い考えで、世の中当たり前のことしか起きません。そういった意味ではきわめて完璧にできていると思います。経営者となって、人生に奇跡は起こらないと思うようになったのも、遡れば、東海時代のほろ苦い経験が教訓として私の心の中に生きているからかもしれません。

 また、私は文響社をつくる際に、「人間の成長や教育にエンターテインメントを融合することによって、お客様が食べやすい作品をつくる」という方針を掲げました。この軸は今も全くブレていません。そこが私たちの強みであり存在価値だと思うからです。

 どうすれば自分の存在価値を見出せるかという考え方も、マンモス校の東海で6年間過ごし、いろいろな人間との出会いや日々の様々な経験を通じて、自ずと身に付いたことではないかと思っています。いろいろな経験をさせてくれ、人との縁もつくってくれた東海は、本当にありがたい存在ですね。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2017年10月2日付]

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