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パキスタンから日本へ(1)私が生まれ育った国、パキスタンとは

パキスタンから日本へ(1) 私が生まれ育った国、パキスタンとは
authored by ミルザ・アセフ・ベイグSAFFRAN GROUP C.E.O.

2006年から日本に

筆者

 私はミルザ・アセフ・ベイグ、パキスタンのパンジャーブ州にあるファイサラバード出身です。妻と3人の子供と共に2006年から日本に住み、翌年から株式会社サフラン・インターナショナル(サフラン・グループ)を経営しています。サフラン・インターナショナルは、主にIT事業、ハラール化粧品、繊維業を営んでおり、また貿易業においては日本から自動車を輸出しています。ケニア、パキスタン、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、モザンビークと、世界中に取引相手国があります。

 3人の子供(5歳、7歳、9歳)は皆女の子で、日本の公立学校に通っています。3人とも日本や日本にまつわるものが大好きで、学校での授業も楽しんでいるようです。私は週末の休みを楽しみにしていたタイプですが、この子たちは真逆で、学校で過ごす時間を大変楽しんでいます。

 長期休暇には、韓国やマレーシア、パキスタンに旅行に行きますが、3日と経たないうちに彼女らが言うのは、「パパ、ママ、いつうち(日本)に帰るの?」。私も妻もパキスタン人ですが、面白いことに彼女らは日本が我が家だと認識しているのです。

 私は外国人として、人生の3分の1以上を日本で過ごしており、自分の国、特に生まれ育った土地の大切さを身にしみて分かっているつもりです。地元の人々の温かさや路地裏の秘密基地にも似たワクワクや安堵感、その空気、友達や家族と分かち合う時間、そこからまた旅立つ時のなんとも言えない寂しさも含めて。

 「この地球上に70億人の人間がいるならば、そこには70億もの物語がある」。若い頃、よくそう思うことがありました。そしてその物語の一つひとつから、新たに学ぶことがあるのだと。

 この70億もの旅路から新たな発見をする機会を今まで持ち合わせていなかった方々に、私の今まで歩んできた道、私の旅についてお話ししたいと思います。そこにはある国の物語、宗教、夢多き人々、そして躍動する文化があります。それらが皆様にとって心地よい刺激になりますように。そして皆様が自らの人生を振り返る時、違ったゴールを見据えることができる手助けになると嬉しいです。

 このエピソードでは、以降で詳しくお話しする私の物語を紹介しようと思います。私の物語は、今まで同じような経験をしたことがなかった方々には時に不快で、腹立たしく思うことがあるかもしれませんが、反面冒険的で刺激的かもしれません。

パキスタンには日本の家電メーカーも多く進出している

私が生まれ育ったパキスタン

 私はパキスタンのパンジャーブ州の都市サルゴーダーに生まれ、ファイサラバードで育ち、初等教育も現地で受けました。「サルゴーダー生まれ、ファイサラバード育ち」と聞くと人並みで普通じゃないか、と思われるでしょう。しかし私の場合、そうではなかったのです。幼少時代の話は、また次回以降でお話したいと思います。サルゴーダーからファイサラバードへの移住は、幼少期の私を大いに変えたものでしたし、読者の皆様にも我々の文化や家族形態などの風習を知ることができる良い機会となるでしょう。

 ところで、あなたはパキスタンという国をご存知でしょうか。ファイサラバードやパンジャーブ州に至ってはその名を聞いたこともない方も多いでしょう。まずは、この連載の中で登場してくるこれらの街を容易にイメージできるよう、私の母国とその都市や町について紹介します。

 パキスタンには6つの地域があり、それぞれ異なる文化、言語、宗教があるにもかかわらず、すべてが素晴しい調和を保っています。日本と同様に四季があり、パキスタン全域ではないものの、暑い時期には摂氏60度、また冬には零下15度まで下がる地域もあります。

 隣国の中国はカシミール地方からパキスタン北部に接し、その国境は400kmに及びます。また、タジキスタンとは国境はないもののワハーン回廊地帯が両国を隔てています。東に進むとインドとの間に1650kmもの国境が続き、西部は2250kmのデュアランド・ラインの反対側にアフガニスタンがあります。南部はアラビア海に面しており、約700kmの沿岸地域には、中心に大都市カラチがあります。また注目すべきは、石油産出の65%を占めるイラン・ペルシャ湾近くに位置していることでしょう。

繊維業が盛んな町で生まれて

 こうした情報は、もしかするとご存知の方も多いでしょうから、もう少し足を踏み入れて紹介してみましょう。春と秋のパキスタンは、あらゆる色に彩られます。山々は雪と氷に覆われ、その麓には岩や緑が広がっています。そして砂漠地帯もあれば、海に面した町並みもあるのです。パキスタンにいれば、地球上のあらゆる自然を目の当たりにすることができると言っても過言ではないでしょう。

 パキスタンの首都イスラマバードは「世界で2番目に美しい首都」と言われています。世界各国の街はそれぞれに個性があり、独自の美を持っていて、私のように世界中を飛び回っている者にとっては、どの都市が一番美しいとは言い難いものです。それでも、私は素直にイスラマバードは最も美しい街の一つだと挙げることができます。

 パンジャーブ州はパキスタンの中でも大きな州であり、私の生まれ育ったファイサラバードもパンジャーブ州にあります。パンジャーブとは「5つの川」という意味を持っており、実際パンジャーブには5つの大きな川が流れています。この河川群がパンジャーブ全域を清らかに潤わせ、パキスタンで最大の農業都市にしていきました。パンジャーブは、地理的にも歴史的にも重要な地域です。

 私の生まれた町、サルゴーダーは「鷲の町」とも呼ばれ、パキスタン最大の航空基地と空軍中央司令本部があります。また岩石からなる丘陵地も多く、キラーナ・ヒル(別名ブラック・マウンテン)は小さいながら広大な岩山が広がっています。私が育った街ファイサラバードは、パキスタン第3の都市で兵庫県神戸市の姉妹都市でもあります。繊維業が盛んで、専門教育を行う教育施設もあります。そのため「パキスタンのマンチェスター」と呼ばれています。

生後数カ月で叔父のもとへ

 ファイサラバードへ一人で引っ越した時、私はまだ数カ月の赤ちゃんでした。「1歳に満たない赤ん坊が、どうして一人でいや親元を離れられるのか?」と不思議に思うことでしょう。私の叔父(母の弟)は既婚者でしたが長い間子供に恵まれなかったことがあり、叔父夫婦は「子供にはもう恵まれることはないだろう」と諦めていました。私の母は長女に生まれ、実母の次に兄弟を大変愛していました。ですから自分の弟が、子供を欲しがっているのを見ると、いてもたってもいられず、共に悲しい思いをしていました。

日本の家電メーカーと一緒にパキスタンへ

 ある日、私の母は自分の子供を弟にあげる決意をしました。弟に、実の子供のように育ててほしいと頼んだのです。その子供というのが私です。ですから、私は物心ついた頃からずっと叔父に育てられたわけです。叔父夫婦にとって、また祖父母にとっても私はアイドルのような存在で、みんな優しく、なんでもしてくれ、与えてくれました。一番覚えているのは叔母のことで、特に私を愛してくれ、よく遊んでくれたので、本当の母親のようでした。

 私の家系はもともとインドにあり、先祖は豊かな富と地位を持っていました。家系図を辿ってみれば、叔父も私の家族です。ですから祖父の家で叔父夫婦に育てられることを何の不思議とも感じませんでした。叔父はのちに一人の子供に恵まれましたが、私は実の子供のように愛され育ちました。

実の家族と感じる距離感

 とはいえ、実の両親と兄弟から離れて生活をしていると、心の深いところでは少し距離感を感じていることも事実でした。本当の家族に会えるのは、夏休みの帰省の時だけでした。実母に会いに行くのがとても楽しみで、兄弟ともやはりどこかでつながりを感じていたのでしょう。不思議と何か惹かれ合うものがありました。夏休みが終わる頃には叔父の家に帰らなくてはならず、私は毎回大泣きしていました。その悲しみは、一年中心に影を落としていました。

 何年か経ち、兄弟も私もお互い大きくなっても、やはりこの距離から生まれた溝は埋まることはありませんでした。両親とも、今に至るまで以前の距離感は保たれたままです。そしてお互いが家族、肉親としての自然な感情を持っているにもかかわらず、歩み寄ることは今でもありません。私にとって、親元を離れ、本来あるべき家庭の温かさを感じながら育たなかったこの幼少期の記憶はとても悲しいものだからでしょう。

 時折、私たち家族がお互いに対して持っているこの気持ちは、もしかするとごく普通で十分なのかもしれないと思うこともあります。感情のレベルを決めつけるものさしがないために、私自身もこれが正しい感情なのかは言い切れず、単に私の過度な期待が起こした感情のギャップが普通ではないレベルに引き上げてしまったのかもしれません。