日本経済新聞 関連サイト

OK
skill up-自己成長

パキスタンから日本へ(3)マレーシア留学と日本への憧れ

パキスタンから日本へ(3) マレーシア留学と日本への憧れ
authored by ミルザ・アセフ・ベイグSAFFRAN GROUP C.E.O.

 3回目となる今回は、大学に入学してからマレーシアに留学するまで、そして日本に憧れた理由などをお話します。

イスラーム圏のマレーシアに

 私は大家族に生まれ、相談する前から海外留学の許可はもらえないだろうということを知っていました。祖父をどう説得すれば良いのか、突破口を見つけられずにいましたが、まずは海外での教育が将来いかに有利になるかを説明していくことから始めました。数カ月後、なんとか祖父を説得し、彼から父や叔父に話してもらえることになりました。

「日本での美しい生活は他国にはないものでした」

 一方、ビニシュの方が親からの承諾をもらうまで苦労するだろう、と私たちは心配していましたが、実際のところ許可をもらったのは留学を決意したからごくわずかの間でした。おそらく彼女の功績がそうさせたのでしょう。

 私たちがマレーシアを選んだ最大の理由は、ビニシュの両親が彼女の留学先をイスラーム圏に限定したためです。さらに、欧米やオーストラリアの大学が、マレーシアでの2+1プログラム(実務知識と技術の修得を目的に、学生が学校で2年間学んだ後、残りの1年間、実地訓練(OJT)契約により企業で働きながら学ぶ産学協同のプログラム)を実施しており、留学費用も含め物価が安いことも理由の一つでした。

訪日の目指したわけ

 マレーシア留学中、私たちはビジネス・マネージメントを専攻していましたが、その時学んだケーススタディでは、日本の企業の成功例が多かったのです。それ以前は、私は日本という国をほとんど知らず、単に日本製家電や日本車などといった、日本製品の大ファンにすぎませんでした。日本経済や社会に関しては無知でした。

 マレーシアの国営テレビ放送は、少なくとも週2回ほど日本に関する番組を放送していました。見れば見るほど、私たちは日本への関心を高め、実際に自分の目でこの国を見てみたくてたまらなくなってきたのでした。その頃から、留学先の大学を卒業したら日本に行こうと、貯金し始めました。 訪日のための貯金は、私たちの熱意が注がれ、1年ほどで目標額を達成しました。

 2004年の卒業後すぐに、初めて日本の地に足を踏み入れました。大学を卒業した後、マレーシアに残り、仕事をしながら修士課程を修めようと計画していましたが、一目見た日本にそのような考えが吹き飛んでしまいました。今ではこの計画を見事に「不履行」にしてくれた日本に感謝しています。

日本家電メーカーに同行してパキスタンに1週間ほど行ってきました

 滞在中、二人とも雇ってくれるという企業をみつけましたが、当時の基準では新卒の外国人が入国して働けるようなビザがなく、私たちの申請は却下されてしまいました。最低でも5年以上の職務経験か、修士を持っていなくてはならなかったのです。こうして今まで順風満帆だった3カ月ほどの日本滞在は初めての壁を目の当たりにしたのでした。

日本には行けずにロシアへ

 日本滞在を延長できなかった私たちは、ロシア行きを決めました。「なぜ突然ロシアに?」と思うかもしれませんが、他に候補として考えていたオーストラリアやヨーロッパの大学は、私たちが日本で就職先を探したり、ビザを申請したりしている間に入学申し込みを締め切っていたからというのが大きな理由でした。勉学を続けるためにはロシアに飛ばねばならず、さもなければ次の学期が始まるのを待って6カ月を無駄にしなくてはならなかったのです。

 ロシアでの大学生活を終え、私たちは岐路に立ちました。パキスタンに帰り、複数の国で留学など多くの経験を活用して就職するか、マレーシアには将来の夢を応援してくれる素晴らしい環境が揃っています。またヨーロッパの国々での就職も可能でした。しかし私たちが選んだのは、日本でした。

 日本での美しい生活と素敵な経験は他国にはないものでした。その記憶が私たちを日本に呼び戻そうとしていました。そして私たちが立つ今日に行き着くまでの小さな一歩を日本で歩み始めました。ここまでのお話では今まで私が辿ってきた人生のいろいろの表情を簡単に紹介してきました。次回ではそれぞれの経験をもう少し詳しく話していきます。