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career-働き方

海外で働くヒント(1)情熱だけでアメリカで働き始めた“ウイスキーガール”

海外で働くヒント(1) 情熱だけでアメリカで働き始めた“ウイスキーガール”
authored by 小嶋冬子KOVAL Distillery

 アメリカのシカゴにあるKOVAL蒸留所で働いている小嶋冬子です。ウイスキーを造りたいというそれだけの思いから始まり、今でも、毎日をウイスキー製造と市場開拓に費やしています。現在は、同蒸留所にて日本のマーケティングを担当しており、シカゴから自分たちの造った商品を多くの皆様へ広めることが私の仕事です。最近は台湾などアジア市場も開拓し、ありがたいことに忙しい毎日を送っています。

 そんな生活の中、「私なりに海外企業で働く」ということを文章にしてみようと思いました。私が送っている独特な生活をそのままに全4回の連載でお伝えします。

シカゴの蒸留所で働くまでの経緯

 私は留学先のスコットランドでウイスキーを好きになり、実際に造ってみたいという思いから、22歳の時にシカゴのKOVAL蒸留所で働くために単身渡米しました。入社面接はSkype、その後すぐに用意された1週間後のシカゴ行きの航空券を手に、製造の知識ゼロのままでシカゴへ飛び立ちました。

 情熱と運の良さだけで手にしたようなこの奇跡。日本を離れるとき、「これから私は海外へウイスキーを造りにいくんだ」という幸福感を抱きながら、飛行機に乗り込んだのを今でもはっきりと覚えています。

アメリカに行って数日経ったころの写真。まだ何も知らなくて、笑い方も子供っぽさがのこっています(笑)

海外企業で、働くということ

 「海外で働く」――。この言葉の響きは当時の私には、とても魅力的なものでした。そもそも海外に行くこと自体、ほど遠い生活をしていたため、どこか遠い場所で働くという夢を見るのも当然だったのかもしれません。それに、その時の私は日本で何かうまくいかないことがあるたびに、「海外であれば快適な生活が待っているかもしれない!」と、どこか変な希望を持っていたのも事実です。しかし、実際に海外で働くということは、自分の理想とは全くかけ離れたものでした。

情熱だけでは、どうにもならなかった

 私の性格は、好きなことには心底没頭する反面、苦手なことには時間を割かない面があります。自分がやりたいと思ったことだから海外で働いているのは確かですが、シカゴに渡ったばかりの頃の私は情熱だけで、実際にはウイスキー製造の仕事をこなせるだけの力量は全く持っていませんでした。

 まず、圧倒的に足りなかったのは英語力です。蒸留所の人々は、私が学んできた英語が全く話にならない速さ、内容、知識で会話をしていました。以前の記事でも何度かこの話題には触れていますが、蒸留所では日本人は私1人だけ。同僚の中にはパスポートさえ持っていないという人もいます。そんな環境下での英会話は、お互いが理解しあうのに苦労しなくなるまで、はるか遠い道のりなのだと痛感させられました。

 英語での会話がままならないため必死に勉強し始めましたが、いきなりの英語力アップを狙うには時すでに遅し。そこはもうシカゴで、インターンシップとはいえ日々の業務をこなさなくてはなりません。英語力のない自分が製造の専門用語を聞いても、全く理解できませんでした。第一、留学していたスコットランドではウイスキーをただ飲めるようになっただけで、ウイスキー造りの専門知識など、そもそもなかったのです。

 英語力不足に知識不足、そして文化の違いを思い知らされる日々は、情熱だけで動いた自分を責めたくなる時期もありました。しかし、その情熱こそが、このKOVAL蒸留所で日本市場を確立するまでに繋がっていたのですが......。

シカゴの風景

「海外で働く」というイメージ

 海外ドラマを見ていると、どんな状況でも自分の意見を明確に発言する、かっこいい場面がよく出てきますよね。日本人とは違った強さが描かれているところが印象強く、それまで海外を知らなかった私は、外国ならそういう態度で働くことができるのだと考えていました。

 実際に働いてみた結果、それは正解でした。ただし、その自己主張が認められるには、それと同じくらいの結果と責任が常に求められます。つまり、結果と責任の伴わない自己主張は信頼されず相手にされません。それは日本だって同じなのでは? と思う人も多いでしょう。しかし異文化の中で働くということは、日本で経験できることとはまた少し違うように思います。

とにかく苦労した、考え方のギャップ

実際にお酒を製造しているところ。これはリキュールをつくってるところです

 とにかく苦労したのは「こっちのやりかた」と「あっちのやりかた」を理解し、調整し、物事を進めていかなければならないということでした。私の場合「こっち」はシカゴ、「あっち」は日本を指します。会社での私の肩書は「Market Manager-Japan」です。つまり、シカゴ側の考え方を日本人の考え方にあてはめることが私の大きな仕事の1つでもあります。

 過去に、こんなことがありました。「長い目で考える」という言葉がありますよね。日本で生まれ育った私は、この言葉を聞くと「目先だけで判断せずに、時間を有効に使って将来的に有益な状態へ持っていく」ことだと考えます。ですが、アメリカでは似たような言葉(In the long run)はありますが、日本の考え方とは違います。

 新しい市場を開くまで約1年、市場を安定させていくのが早くて3年と言われたことがあります。しかし、私が日本市場開拓のために会社から与えられた時間は半年。どうしても早く結果を出したいという会社の方針からでした。日本では「『長い目で見る』から1年は市場開拓にかかる、どのブランドもそうだ」という考えが一般的でした。しかし、シカゴ側は「長い目で見たいから」こそ、今すぐ数字にしなければならないと判断したのです。私は、この考え方に頭を殴られたような感覚を覚えました。

私なりに「海外で働く」ということ

 違う言語圏でも同じような言葉があるのに捉え方が全く違う。そこに「海外で働く」ことの本当の意味に気付き、ビジネスにおける姿勢や覚悟、強い自信、それまでの私が持っていなかった考え方を痛感させられました。

 「アメリカではこうだから」「日本ではこうだから」......。そういう意見が常に私の環境を支配します。もちろん日本の考え方は分かります。しかし、アメリカ的な常識や考え方は、まだまだ理解し辛いこともあります。また、シカゴには日本人の友達は1人もいないので、急な案件の場合に誰かに相談するのが難しいこともあります。それでも価値観や考え方の違いの壁に直面するたび、アメリカの考え方を最大限に理解するための努力と勉強をし、結果的に両国ともに利益が生まれるよう最適な方法で結果を出さなければなりません。

 今でも、この問題に直面することは多くありますが、自分の成長に繋がる材料だと思って仕事をしています。そして、この考え方のギャップを自分の価値観としても昇華していくこと、これが私にとって「海外で働く」ということです。

 そうして、ようやくアメリカの考え方を身に付け、自分に自信を持てるようになったのは、KOVAL蒸留所で働きだしてから約半年が過ぎようとしている頃でした。ちょうどその頃、日本へ一時帰国して市場を開くよう会社から指示されました。やっとアメリカの考え方に慣れてきたのに日本市場を開拓するために帰国しなければいけない......。ですが、その頃の私は、今までの経験があれば絶対うまくいく、と自信をもって帰国しました。それが今から3年ほど前のことです。

 しかし、アメリカの考え方と自信を身に付けて帰国した私を待っていたのは、たくさんの失敗と苦労でした。それは次回の記事でご紹介します!