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女子大は生き残れるか 津田塾、都心から逆襲
津田塾大学の高橋裕子学長

女子大は生き残れるか 津田塾、都心から逆襲津田塾大学の高橋裕子学長

 私立女子大学の最高峰、津田塾大学(東京都小平市)。東京の郊外にあり、まじめな女子学生が黙々と勉強する大学というイメージだが、2017年4月に渋谷区千駄ヶ谷に総合政策学部を開設、都心に学部生のキャンパスを設けた。少子化や受験生の女子大離れで、女子大は1998年の98校をピークに16年には77校に減少。共学に転じたり、不要論も飛び出すなか、名門女子大はどう生き残りをはかるのか。

東京駅から20分の都心キャンパス

東京郊外にある津田塾大学の小平キャンパス

 津田塾の小平キャンパス。落ち着いた風情の女子学生がキャンパスの中をさっそうと歩く。グループで群れる姿はほとんどなく、ファッションも決して派手ではない。

 キャンパスの周辺には畑も広がり、まさに武蔵野の森の様相だ。JR東京駅からだと、中央線を経由して1時間かかる。それが千駄ヶ谷までだと、20分程度だ。近年、私立大学では学生を確保するため、郊外から都心回帰の流れが鮮明になっている。明治大学や法政大学は既存の都心キャンパスの高層化を推し進め、青山学院大学も本拠地の青山キャンパス(渋谷区)に文系学部を集約。郊外の多摩キャンパス(八王子市)に移転した中央大学は、看板の法学部を都心に戻す。現在、理工学部がある文京区の後楽園キャンパス内に移転するのだ。

 しかし、津田塾の場合、単純に学生獲得のために都心キャンパスを設けたのではないようだ。

津田塾大学の千駄ケ谷キャンパス

 高橋裕子学長は、「都心に学部生のキャンパスを設けたのは企業や国・自治体、NGOなどの組織と連携しやすいからです。総合政策学部は、課題解決能力の高い女性リーダーを養成します。実は、ここは2020年の東京五輪のメインスタジアムから一番近い大学にもなります。それもあって国内外の多様な組織と提携し、一緒になって課題解決にあたっていきます」と話す。

 総合政策学部では「実践的な英語」「ソーシャル・サイエンス」「データ・サイエンス」の3つの基礎科目をベースとして、企業や官庁などから講師を招いたり、実際の現場に足を運んだりしながら、課題解決方法などを学ぶ。「津田塾は教員が熱心で授業が厳しい。まだスタートして半年ですが、千駄ヶ谷からも、すでに勉強が大変だという声が聞こえています」と、高橋学長は笑いながら話す。

 しかし、今どき千駄ヶ谷駅前の一等地に大規模な空間を確保するのは至難の業。それを実現したのが津田塾のOGパワーだ。

OGが一等地を提供

 戦後すぐにこの地で英語の専門学校の事業を起こし、大学の経営を支援しつつ、土地を入手したのが元同窓会長の広瀬千代子氏。千駄ヶ谷キャンパスは同窓会ゆかりの財団法人「津田塾会」が08年に解散し、津田塾会が所有していた土地や建物を大学に譲り渡したところから始まる。08年以降、社会人大学院生の授業や公開講座などに使ってきた。千駄ケ谷の活用については、付属校の設置など様々な案もあったが、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の末、総合政策学部を新設して学部生の通う都心キャンパスをオープンすることになった。

 駅から徒歩で1分。約7300平方メートルの敷地に、第1弾として地上5階建て延べ床面積約7千平方メートルの新校舎を建設した。他の女子大学長は「我々は都心にキャンパスなんて手に入らない。津田塾さんのOGのパワーはすごい」という。

 日本の英語・女子教育の先駆者、津田梅子が1900年に創設した津田塾。現在の学部生は約3000人弱だ。学芸学部の1学年の定員は580人、新設の総合政策学部は110人である。

 卒業生の数は約3万2000人と、決して大きな大学ではない。だが、政界や官界、経済界、学術界に女性リーダーの人脈をつくっている。

 津田塾OGは、「女性第1号」のキャリアを次々生み出した。山根敏子氏は女性初の外交官、社会人類学者だった中根千枝氏は女性初の東京大学教授。女性初の官房長官となった森山真弓氏や元文部大臣の赤松良子氏らもおり、それぞれが旧労働省の婦人少年局長時代に男女雇用機会均等法の草案づくりなどに尽力した。

 均等法成立にかかわった官僚らに津田塾卒業生が多かったことから「津田マフィア」といった言葉も生まれた。そもそも婦人少年局の初代局長も卒業生の山川菊栄氏で、女性解放運動の思想的なリーダーだった。

DeNAの南場氏は在学中に米留学

 現在、経済界での津田塾OGの代表格はディー・エヌ・エー(DeNA)会長の南場智子氏だろう。津田塾卒業後にマッキンゼー・アンド・カンパニーにコンサルタントとして入社、その後、ハーバード・ビジネススクールに留学したが、「私にとっては命の洗濯だった」と振り返る。コンサルタントとして過酷な仕事の日々との対比でこう語ったのだが、ハーバードもハードな講義で有名だ。

津田塾大学の高橋裕子学長

 高橋学長は「南場さんは津田塾時代に米国の協定校に留学して学業や生活面での自信を培っていました。だから、ハーバードでも苦労されなかったのでしょう」と語る。留学先は津田梅子が学んだ女子大のブリンマー大学(ペンシルベニア州)。ブリンマー大学では津田塾で学んだ英作文のアカデミックライティングが役立ったという。津田塾は米欧やアジアの26大学と協定を結び、毎年約30人の学生を交換留学生として送っている。

 DeNAは急成長する一方で、不祥事にも揺れた。しかし、高橋学長は「様々な困難にぶつかりながらも、奮闘している南場さんは、我々にとって大切なロールモデル」と語る。急成長する衣料品カタログ通販のドゥクラッセ社長の林恵子氏もOGだ。津田塾卒業後に米国に留学、外資系企業でキャリアを積み、起業した。他にも大手企業の役員クラスに登用されている卒業生が多い。

強みは女性リーダーのロールモデル

 高橋学長は、こうしたOGの存在こそが津田塾の強さの秘密だという。「私たちは、社会で活躍するOGを大学に招いて経験談を語ってもらっています。いまだに社会は男性上位。厳しい壁が立ちはだかるなか、どのようにキャリアを磨いてきたのか、それを在校生と共有します。それが津田塾の最大の財産です」と話す。

 さらに高橋学長は「女性の場合は結婚、出産、育児で一時キャリアを離れることもありますが、そんな厳しい条件の中でもがんばっているOGの声も聞かせてもらう。津田塾にはロールモデルがたくさんいるので、女子学生に特化したキャリア教育ができるのです」と強調する。確かに共学の大学では女性に限定したリーダー教育は難しい。

就職先は第1志望、第2志望が計96%

 現在の津田塾は、偏差値でみて最難関大学とは言い難い。「入学時の偏差値は、私学では慶応義塾大学や早稲田大学よりも下。MARCH(通称マーチ、明治、青山学院、立教、中央、法政)クラスですね。四半世紀前なら早慶を蹴ってでも入るトップ私学といえる存在だったが、今は女子大人気が低迷しているので、相対的に偏差値は下がっている」(大手予備校関係者)という。

「武蔵野の森」に抱かれた小平キャンパス

 ただ、社会の評価は今も高い。就職先には日本銀行、三井物産など人気企業がずらりと並ぶ。96%が第1志望、第2志望の企業に就職。総合職・専門職に就く女性も94%を占める。津田塾OGは「授業はきつい。特に語学クラスやセミナーは20人程度の少人数が基本ですから、先生に顔をすぐ覚えられます。英語の授業は、予習せずには怖くて出られませんでした。大変でしたが、就職は楽でした」と振り返る。

 高橋学長は「入試の偏差値が下がったといわれますが、その分、伸びしろがあります」という。女子大の中には共学にするところもあるが、津田塾大学はOG、教職員との話し合いの末、30年の大学のビジョンを「変革を担う、女性であること」と定めた。これからも「変革を担う女性」の研さんを生涯にわたり支えていく構えだ。女子大が次々消えゆく中、津田塾はOGパワーを活用して都心の千駄ヶ谷にキャンパスを新設、新たな女性リーダーを育成しようとしている。
(代慶達也)[NIKKEI STYLE 2017年11月5日付]

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