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八ッ場に恋したダム女子たち(1)女子大生が群馬の町を盛り上げる? 

八ッ場に恋したダム女子たち(1) 女子大生が群馬の町を盛り上げる? 
昨年6月の現地視察
authored by 跡見学園女子大学篠原ゼミ

 こんにちは!私たちは東京の文京区にある跡見学園女子大学で、観光を学ぶ女子大生です。私たちはこの冬、群馬県北西部にある長野原町北軽井沢で、女神に変身してきます。この地域はものすごく寒くて、最低気温がマイナス20度になることもあるそうです。そんな北軽井沢では、毎年2月に「炎のまつり」というイベントが行われています。祭りの中に、女神がたいまつやろうそくに火を灯す点火式があり、その役を私たちにお願いしたいという依頼が、北軽井沢観光協会の方からありました。めちゃくちゃ寒い中でしょうが、頑張ってきます!

なぜ私たち女子大生が女神になるのか

長野原町は群馬県北西部にある人口5400人の小さな町

 そもそも、なぜ私たち東京の女子大生と北軽井沢の間に、このような関係があるのでしょうか。実はそこには、去年1年間、大学と北軽井沢がある群馬県長野原町とが手を取り合って作り上げた奇跡のドラマがあるのです。この連載では、去年1年間に私たちが全力で取り組んだプロジェクトについてご紹介していきます。

 改めて自己紹介をします。私たちは跡見学園女子大学の篠原ゼミに所属し、「観光で地域を盛り上げる」という地域振興政策を中心に学んでいます。篠原ゼミでは、歴代のゼミ生が全国各地で難問とされてきた様々な地域活性化プロジェクトに取り組んできました。昨年、ゼミを挙げてチャレンジしたのが、これからお話しする「八ッ場(やんば)ダムプロジェクト」です。

八ッ場ダムって知ってる?

 皆さんは八ッ場ダムって聞いたことありますか。どこにあるのか知っていますか。そもそも読み方も分からない方が多いのではないでしょうか。昨年春にゼミ活動が始まるときに、ゼミ担当の篠原靖先生から、新しいテーマである「八ッ場プロジェクト」について紹介がありました。具体的には、八ッ場ダムを中心に、現地の協力も得て、その周辺地域をどう観光で盛り上げていくかというのが課題です。

 恥ずかしながら、私たちも最初は「八ッ場ダム」と聞いても、どういうダムなのか、どこにあるのか全く知りませんでした。そのため、まず事前学習として、八ッ場ダムに関係する情報、歴史、ダム周辺地域が置かれている課題などを調査するところからスタートを切りました。

八ッ場ダム建設の背景にあった65年間の戦い

建設が進む八ッ場ダムの現場

 八ッ場ダムは群馬県の中でも山深い静かな町である長野原町で、2019年度中の完成を目標に建設が進む多目的ダムです。どうして、ダムが長野原町に建設されるのでしょうか。その理由は、今から約70年前の1947年9月に関東地方を襲った台風にさかのぼります。その名前はカスリーン台風。この台風は大勢の死傷者を出し、利根川などの決壊により関東平野で大規模な洪水が起きるなど、甚大な被害をもたらしました。このような水害の対策として考えられたのが、利根川の支流である吾妻川が流れる長野原町八ッ場地区に、巨大なダムを建設することでした。つまり、八ッ場ダムは関東平野の防災のために作られることになったのです。

 しかし、その建設は一方で、建設予定地となる長野原町の人たちを悲しませることになりました。ダム建設によって自分の育った環境を失う人が多く、800年という長い歴史をもつ名湯の川原湯温泉さえもダムに沈むことが言い渡されました。そんな状況が私たち自身に起きたとしたら、心が締め付けられるような気持ちになることでしょう。

 もちろんこのような計画を発表するだけでは、町民の反対運動が起きることは明らかです。そのため国は、長野原町の水没予定とされ移転を余儀なくされる地域に対して、生活再建案を提示しました。これは、移転先でもできる限り以前と同じような生活を送られるように、様々な援助をしていくというものです。

 この生活再建案により町民は、「条件が揃えば、建設してもかまわない」という賛成派と、「絶対許さない」という反対派に分かれてしまいました。国の生活再建案に対し、町民は490項目に及ぶ追加要求をし、国もその要求に可能な限り応えようと努力したようです。その結果、賛成派は徐々に増えました。しかし反対派には、隣人が自分たちの町を売ろうとしているように見え、不満が高まったはずです。一時は町民の間にも深い亀裂が入ってしまいました。

民主党政権で一度はダム建設中止に

 そんな中で、八ッ場ダムの工事は1952年に始まり、賛成派の増加に支えられて徐々に進んでいきました。ところが、2009年に政権が自由民主党から民主党へと変わり、「脱ダム宣言」の合言葉とともに国は八ッ場ダム建設の中止を発表しました。その背景には、生活再建案を含めると莫大な額にのぼるダム建設費がありました。生活再建のためにさまざまな要求をしてきた町民たちは、「ダム建設が中止になったら、国に見捨てられてしまう」という強い不安を抱いたのです。しかし、ダム政策を転換することは民主党政権にとっても非常に難しく、中止発表の2年後の2011年には、八ッ場ダムの建設再開が決定しました。八ッ場ダム建設の計画が幾度も変更される度に、町民は振り回されたのです。

 私たちが調べた八ッ場ダムの65年間に及ぶ長い歴史は以上です。ダム建設には長野原町民の様々な思いが絡み合っていたのです。しかし、2019年度に八ッ場ダムが完成すれば、建設主体の国土交通省は長野原町からいなくなり、国の援助もなくなってしまうかもしれません。だからこそ、ダムが完成を2年後に控える今、ダム建設で賛成、反対に分かれ、崩壊してしまったコミュニティを再構築することが求められています。地元民が協力して長野原町全体がひとつになり、町の将来の生活自立への準備を始めなければいけません。八ッ場ダムをどう生かし、どう町を盛り上げていくか、考える必要があります。

昨年6月、長野原町の住民やダム関係者を招いて大学で勉強会を開いた

私たち学生にできることは何だろう

昨年7月の2度目の現地視察

 私たちの跡見学園女子大学と長野原町とは相互協力包括協定を結んでいます。その関係で昨年6月、大学へ町役場の方など町民やダム工事事務所の関係者をお招きし、私たちも参加した地域振興についての会議を行いました。会議は今後何を目標に取り組むべきかを再確認できるいい機会になりました。やはり一番の目標として挙げられたのが「町全体をひとつにする」ということでした。

 八ッ場ダムの完成を控えた今、町の発展に八ッ場ダムを生かさない手はありません。しかし、町民だけの力では八ッ場ダムを生かしきることは難しく、ダムを建設しダムをよく知る国土交通省とも協力が必要になるでしょう。事前学習や会議などから私たちが感じたのは、長野原町の将来は、一度は亀裂が入った町民同士、敵対した町と国が手を取りあっていけるかどうかにかかっているということです。そのために、私たち学生ができることって何でしょうか。

 3年生、4年生になったばかりの私たちは、4月にいきなり始まった地域振興プロジェクトに戸惑いながらも必死に学習し、気づけば、この八ッ場ダムプロジェクトにどっぷりはまりました。勉強会や会議、6月からは数度の現地視察を重ね、夏には現地合宿も行いました。篠原ゼミはこのプロジェクトで4つのグループを編成し、同時進行で活動しました。時には睡眠時間を削りながら振興プランづくりに頭を悩ませることもありました。そんな私たちの怒涛の日々を、次回からグループごとに5回に分けて紹介していきます。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。次回もどうぞお楽しみに!
(跡見学園女子大学 篠原ゼミ3年副ゼミ長 高濱希衣)

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