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新浪博士・東京女子医大教授が語る(下)「会社員は無理」 翠嵐担任の一言で医師志望固める

新浪博士・東京女子医大教授が語る(下) 「会社員は無理」 翠嵐担任の一言で医師志望固める

 今や「心臓手術のスーパードクター」の異名を持つ新浪博士・東京女子医科大学教授(55)だが、神奈川県立横浜翠嵐高校(翠嵐、横浜市)時代はあまり勉強せず、親や兄(新浪剛史サントリーホールディングス社長)から怒られてばかりいた。しかし在学中、あるきっかけで外科医を目指すことを決意。同じく医者を志したクラスメートの中に、意外な人物もいた。

 初めは歯科医を目指した。

新浪博士・東京女子医科大学教授

 プラモデルづくりに熱中する小学生の私を見て、この子は手先が器用だと思ったのか、母親は「お前は大人になったら歯医者になりなさい」と私を洗脳し始めました。親戚に歯科医がいたのですが、子供がいなかったため私に後を継がせようと考えていたようです。

 何度も言い聞かされるうち、自分もだんだんその気になっていきました。しかし、なぜかそのうち、どうせなるなら歯医者ではなく医者がいいなと思うようになり、中学生のころは、医者に憧れていました。

 キャリアとして医者を意識し始めたのは、翠嵐に入ってからです。きっかけは、人気テレビドラマの「白い巨塔」でした。毎週、テレビの前にくぎ付けになり、主役の財前五郎にすっかり感化され、医者になるなら、外科医、大学教授を目指そうと思いました。

 そのころから、周りの親しい友達にも、自分は医者になると公言するようになりました。高1の時の担任との面談で、将来何になりたいのか聞かれたことがありました。医者になりたいと答えると、私の性格を見抜いていた担任は、「それがいい。お前の性格ではサラリーマンは絶対に務まらない」とはっきり言い放ちました。

 後で思えば、励まされたのか欠点を指摘されたのか微妙でしたが、その時の私は、「そうか、やはり周りもそう思っているのか」と自分の選択に自信を深めました。たまたまその時担任だった教師の何気ない一言でしたが、私にとっては、まさに自分の将来を決定づける一言になりました。

 とはいっても、それで、医者を目指して何か準備を始めたとか、いい大学の医学部に入るために勉強に力を入れたとか、何か変えたわけではありません。相変わらず、勉強は二の次で友達と遊んでいました。

 クラスメートには、小野稔・東京大学医学部付属病院心臓外科長がいる。2012年、天皇陛下の心臓バイパス手術の際、天野篤・順天堂大学医学部付属順天堂医院長の助手として立ち会い、記者会見にも同席したスーパードクターだ。

 3年の時の同じクラスから医学部に進んだのは、私も含めて3人だけでしたが、偶然にも、3人とも心臓外科医になりました。

 そのうちの1人が小野君で、もう1人は、神奈川県の藤沢市民病院で心臓血管外科主任部長を務める磯田晋君です。2人とも真面目で成績も私よりよかった。対照的に私は遊びに熱中していて、2人とはあまり交流はありませんでした。

現在の横浜翠嵐高では、熱血教師の白熱授業が続く

 でも、心臓外科医になってからは、時々会って食事をする間柄です。小野君が東大の教授に就任した時には、昇進祝いを兼ね3人で食事をしました。

 みんなもう若い人を教育する立場なので、集まった時の話題は、現場の環境をどう整えたらいいかとか、専門医をどう育てたらいいかとか、もっぱら今の話になります。

 例えば、日本は欧米に比べて確かな腕を持った専門医が少なく、専門医育成の制度を確立することが緊急の課題。今まさに、新専門医制度の導入が話題になっていますが、東大はやはり日本の医学界におけるリーダー的存在で大きな影響力も持っていますから、小野君には、日本の医学界をよくするためにぜひ頑張ってほしいといつも言っています。

 まあ大げさにいえば、日本の医療の未来について忌憚(きたん)なく語り合っているということかもしれませんが、こんな話ができるのも、翠嵐のクラスメートだからだと思います。

 天皇陛下の手術の際に執刀医を務めた天野先生とは、私も若いころに声を掛けてもらい、准教授(当時は助教授)として3年間、順天堂医院で一緒に仕事をした経験があります。翠嵐でクラスメートだった2人が、あの天野先生と一緒に仕事をするなんて、不思議な縁です。

 群馬大学医学部を卒業後、医者としての第一歩を踏み出したのが、東京女子医科大学病院。その後、順天堂医院、埼玉医科大学国際医療センターに勤務し、今年、13年ぶりに古巣に復帰した。

 古巣から声を掛けてもらった私の使命は、かつて心臓手術で日本一の症例数を誇った東京女子医科大学の心臓外科を、再び日本一にすることだと考えています。別の大学病院の教授を迎え入れるのは、日本の医学界では異例のこと。それだけ重い任務を背負っていると自覚しています。

 前の職場の埼玉医科大学国際医療センターは、私が順天堂医院から移って数年後の2015年度に848の心臓外科症例を記録し、症例数で大学病院全国1位(全病院では病床数500以上の施設の中で3位)になりました。

 私は、医療はサービス業であるという信念を持っていますし、周りにもそう言っています。お客さん、つまり患者さんがいてなんぼの世界。ですから、より多くの患者さんに来てもらうためには、営業も必要です。埼玉医科大時代には、患者さんを集めるために、大学に泊まり込んでまでいろいろと知恵を絞りました。

「翠嵐時代の心残りは、バンドをやれなかったこと。この年になって先生をつけてギターを始めた」という

 医者が営業するなんて、普通の医者は考えないでしょう。兄からは、たぶん新浪家の血筋だと言われました。

 翠嵐時代にさんざん遊んだ経験も役に立っていると思います。社交的な性格ではありませんでしたが、気が合えばいろいろな人たちと付き合いましたし、翠嵐は理系志望者より文系志望者が多く、文系の人たちとのつきあいも多かった。医者は医者としか付き合わないという人も結構いますが、私は医者以外の人たちとつきあうのも抵抗はありませんし、実際、昔からいろいろな業種、タイプの人と付き合ってきました。

 例えば最近、シンガーソングライターの伊勢正三さんと知り合い、おつきあいさせていただいていますが、私も最近、ギターを始めたので話が合います。翠嵐時代、バンドがはやっていて、私も憧れましたが、結局やらなかった。それがすごく心残りで、この年になり、先生を付けて練習を始めました。

 今年、母校で後輩たちに話をした。

 翠嵐で最近、いろいろな職業の卒業生にキャリアの話を聞くプログラムが始まり、私も今年、呼ばれて話をしました。

 聴講したのは基本的に医学部志望の生徒ですが、最近はネット情報がすごいので、単に私の顔を見に来た生徒もいたようです(笑)。

 後輩たちには、医学部受験には何が必要かとか、専門医になるためにはどうすればいいかとか、医学部が基礎系と臨床系に分かれている話だとか、基本的な話もしましたが、同時に、医者になるための心構えのような話もしました。

 医者を志望する学生の中には、親が医者だからという理由の学生も結構います。でも、私は、医者という職業は、周りから押し付けられてなるものではないと思っています。本人がなりたくなければ、なるべきじゃない。大切なのは、なぜ医者になりたいかではなく、なりたいと思う気持ち。医療に対する社会的関心が高まっている今は、なおさらです。なりたいという気持ちをしっかり持っていれば、立派な医者にもなれる。翠嵐の後輩たちには、そういった話もして聞かせました。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2017年12月11日付]

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