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挑戦し続ける人(2)サイボウズ青野慶久社長
「人生を楽しくする『自分で選ぶ』習慣」

挑戦し続ける人(2) サイボウズ青野慶久社長「人生を楽しくする『自分で選ぶ』習慣」
撮影:古屋美枝
authored by 中野智哉株式会社i-plug代表取締役社長

青野慶久(あおの・よしひさ) サイボウズ代表取締役社長。1971年、愛媛県今治市生まれ。大阪大学工学部卒業後、松下電工へ入社。3年後に退社し、3名でサイボウズを愛媛県松山市に設立し、取締役副社長に就任。2005年より代表取締役社長

 第2回は、サイボウズ代表取締役社長の青野慶久さん。起業して4カ月後に黒字、3年後に上場、20代にして上場企業の役員に。ところが社長に就任した後、M&Aで大失敗し、10億円以上の損失を出したことで、価値観や働き方など、すべてが変わったと言います。そこに至った経緯を聞きました。

納得できないと、宿題をやらない子どもだった

――青野さんの適性検査の結果を拝見しました。ざっくりまとめて言いますと、思ったことは言わずにはいられないという傾向がありますね。さらに、過去から続く慣習やルールについて「これ、おかしい」と思うと、それを変えていこうとする行動力や発信力が非常に強いです。たとえば社会人基礎力の主体性などはとても高い点数が出ています。ただ、規律に関しての寛容性は低めです。

青野さんの検査結果の一部

 ははは! 確かに規律性の点数、低いですね(笑)。

――この結果を見ていただいて、思い当たるようなことはありますでしょうか。

 ありますよね......。本当、宿題ができないタイプだったんですよ。与えられても、「なんでやらないといけないの?」って、それに納得感が得られるまでは、できないんですよ。

――それは、小学生くらいのときからですか?

 小学生のときからです。だんだんそれがひどくなってきて、高校生くらいになると、「やらない」というのが自分のスタイルになっていました。先生もわかってくれていましたね。

――でも、そんななかでも、勉強をされて大阪大学に行かれたわけですよね。

 自分の中で、大学に行かない人生を選ぶか、行く人生を選ぶかを考えたとき、「行こう」と。それで、3カ月間頑張って勉強しよう、ということにしたんです。でもそれは受験用の勉強なので、入試に出るところしかやってないです。

青野さんの適性結果の結果は最後に

――大学生活でいちばん思い出に残っているエピソードはなんですか?

 一つ上の先輩、畑慎也(※サイボウズ創業メンバーの一人)のプログラミングを見たことです。私は中学生のときからパソコンをさわってたので、コンピューターに関しては誰にも負けない自信をもってたんですけど、4年生のときに、畑さんのプログラミングを見て、「この人には絶対に勝てる気がしない」と思って、自分の人生をリセットしました。それで、コンピューターと関係ない、松下電工っていう会社に行くんですけど。あれがいちばん衝撃だったですね。

――どういった気持ちだったんですか?

 人間って、超えられない壁があるんだな、って。努力して追いつける感じがしなかったです。この人に追いつくために頑張ろう、という気持ちすらわいてこない。コールドゲーム、完封負けを実感しました。

時代の波にのって、20代にして上場企業の役員に

――松下電工に入られた後は、どんな仕事をされていたんですか?

 営業企画部というところにいて、野球場のスコアボードを売るということをしていました。私は94年入社なんですけど、翌年の95年くらいにインターネットが入ってきたんです。それで「時代が変わるぞ、これはすごい時代がくるぞ」と、インターネットのほうをやりたくなって、気づいたら会社を辞めていたという感じです。

――愛媛で起業されたんですよね。商品はどのように拡販したんですか?

 基本はネットで広告を出して、ホームページに来てもらって、ダウンロードしてもらう。ダウンロードすると、60日間無料で試せるようになっているので、試して気に入ったら注文してくれるというモデルだったんです。これなら、愛媛県のマンションの一室から、全国相手に商売ができる。ある意味、時代にうまく乗った感じですね。

――26歳で起業して、すぐに黒字になった。そのときはどんな感覚でしたか?

 8月に起業して12月には黒字になってましたから、自分の読みは間違いじゃなかったぞ、という自信がつきましたよね。

――その後、会社は大阪に移動。2005年に創業社長が抜けられて、青野さんが社長に就任されてから、結構苦労されたんですよね。

 一番ひどかったのが、M&A。1年半で9社買収したんです。当時、楽天とかライブドアが買収しまくっていて、僕たちも会社を伸ばすためにもっと買収するぞ、と。結果、全体の業績が引き下がって、その後8社売却ですよ。9社買収して8社売却。

――なかなか激しいですね。

 それに付き合ってくれたメンバーがいるんですよね。買収したり売却したり、手続きだけでも大変なのに、それを文句言わずにやってくれたメンバーがいるわけです。それはもう、頭上がらないですよ。10億以上、損しましたしね。ひどい社長でした。

「1年半で9社買収したんです。その後8社売却ですよ」

1回死んでるからこそ、あとの人生は命がけで好きなことをしたい

――そこから大きく転換があったんですよね。座右の銘が「真剣」。そこに至るときはどんな気持ちでしたか。

 起業して4カ月後に黒字、3年後に上場、20代にして上場企業の役員。自分の持っている資産がびっくりするくらい大きな額になって、自信もある。「やっぱり俺、才能あるな、運もあるぞ」と思ってたんですけど、自分が社長になってみて、まったくそんなことなくて。

 実力もなければ運もない。それを体感して、何が自分に足りないんだろう、と悩んでいたときに「真剣」という言葉に出合ったんです。あ、命かける思いがなかったな、と気づきました。「頑張ればうまくいく」って思ってたんですけど、そんなに人生甘くなくて。本当にこれ、絶対成功させるぞ、と。それ以外のものはすべて捨てるつもりで、魂こめて命かけて、それじゃないとこの壁は突破できないんだな、というのが自分の悟りでした。

 じゃあ自分が命をかけていいものって何だろう、っていうと、グループウェアしかないな、と。みんなで情報を共有して働きやすくなる。これがたまらなく自分は好きだと思うし、それだったら命かけていいと思ったんです。

――そこから会社内の働き方も変えられていったんですね。

 そうです。そこが大きな転機ですね。この会社はチームワークをよくする会社だからと。だから社内のチームワークもよくしようと、それをここ10年くらいやってきた感じですね。

――そこからご自身の中の価値観も変わりましたか。

 そうですね。それまではある意味、人生にあきらめがついていない状態で、あれもほしい、これもほしいと思っていたんです。俺はなんでもできるんだから、と。でも僕は、失敗したときに、一回死んでるんです。本当に、死にたいと思ったんですよ。ところが、「頑張って社長を続けなさい」と言ってくれる周りの人がいたから、人生リスタートしてるだけ。ある意味もう、すべてあきらめてるんです。なくなったはずの命があるわけだから、この残りの命は自分が本当に注ぎたいところに注ごうと。批判されても、何も思わないです。

「多様な個性を尊重しあえる社会がいい」

――これからはどういったことをされていきたいですか。

 自分の中では、チームワーク溢れる社会をつくるということですね。多様な個性を尊重しあえる社会がいいと思ってます。

――今後社会に出ていく学生さんに、今からでもこういうことを考え、こういう経験をしたらどうか、ということがありましたらお聞きしたいです。

 基本的な考えとして、持っておいてほしいなと思うのは、「自分で選ぶ」という習慣。私は社会人になるときに松下電工という会社を選んだんですけど、自分で決めた感があまりなかったんです。大学の先生に「大阪に残りたいんですけど、いい会社ないですか?」って聞いて「松下どうや?」って言われて「じゃあ、松下にします」って、そんな感じですよ。

 すると、入って不満があったら、先生がすすめたから、って人のせいにするような感じになるじゃないですか。これでは、何を選んでもある意味楽しくない。自分はどう生きたいんだろうか、自分は何を選んだらいいんだろうか。周りの人がいろいろ言っても、最後は自分で決める。そこで起こったことも、自分で責任とる。これはまさに主体性みたいなことですね。周りの意見に耳を傾けながらも、自分の主体性を失わない。その感覚を持っていると、人生楽しくなると思います。