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破格の国産ワイン 造リ手は早大中退のシングルマザー

破格の国産ワイン 造リ手は早大中退のシングルマザー
ブドウ畑で息子を抱きかかえるキスヴィン・ワイナリーの斎藤まゆさん

 人気上昇中の日本ワイン。その中に1本1万5000円という型破りの値段のワインがある。手掛けるのは、キスヴィン(Kisvin)・ワイナリー(山梨県甲州市)の醸造家、斎藤まゆさん(37)。ワインが造りたくて、早稲田大学を中退し、海外で修業。帰国後、未婚の母として子育てしながら、世界レベルのワインを目指す。国内外の著名な評論家も注目する女性醸造家の、自由奔放な生き方を追った。

新興醸造所なのに1本1万4000円

 東京・銀座の大型商業施設ギンザシックス内のワインショップ「いまでや銀座」で12月1日、キスヴィン・ワインの有料試飲会が開かれた。目玉は、白ワインの「シャルドネ レゼルヴ2016」と赤ワインの「ピノ・ノワール2015」。グラス1杯が2000円。通常の2~3倍の値段にもかかわらず、試飲カウンターは大勢のワイン愛好家でごった返した。

キスヴィン・ワインの一部

 ボトルはシャルドネが1本1万4000円、ピノ・ノワールが1万5000円と高級シャンパン並み。日本産のブドウで造る日本ワインの中にも、サントリーやメルシャンといった知名度のある大手ワイナリーの造るワインには、1万円を超える高級ワインもある。しかし、4年前に醸造を始めたばかりの小さなワイナリーのワインに、数千円以上の値段が付くことはまずない。

 価格高騰の一因は、世界のワイン界の第一人者ジェラール・バッセ氏の「つぶやき」だった。2017年、日本を訪れた際にキスヴィンを訪問したバッセ氏は、発売前のピノ・ノワールを試飲。すぐさまツイッターで、「才能豊かな醸造家が造ったこのワインは、ユニークでセンセーショナル」と発信した。Kisvinの名は瞬く間に世界中に知れ渡り、バッセ氏のもとには、欧州のソムリエなどから「英国でも買えるのか」といった問い合わせが相次いだ。

最初に目指したのはお笑い芸人

 型破りのワインを造る斎藤さんは、これまでの人生も型破りで自由奔放だった。

 中学までは国内だったが、高校は日本の学校法人が米テネシー州に開いた在外日本人学校に進学。「反抗期で、海外に飛び出したかった」。家はけっして裕福ではなかったが、親は子供の興味やチャレンジ精神を大切にする教育方針だったという。

 卒業して帰国すると、お笑い芸人を目指し、タモリさんなど多くの芸能人を輩出した夜間の早稲田大学第二文学部(当時)に入学。昼間はアルバイトや演劇の練習に打ち込んだ。

 大学2年の時に、フランス語の先生が企画した3週間のフランス旅行に参加し、コルシカ島でブドウの収穫体験をした。「それまでフラフラした人生を過ごしてきた。お笑い芸人を目指したのも一瞬。将来何をしたいのか自分でもわからなかった。それが、ブドウの実を手にした瞬間、人間の根源の部分に触れたような気がして、自然と喜びがあふれてきた。自分のやりたいことはこれだと思った」

 大学3年の終わりごろから授業に出なくなった。大学で学ぶ意義を見出せなくなったからだ。普通の学生なら、それでも就職や世間体を考え、がまんして通い続けるかもしれない。だが、斎藤さんは普通でなかった。もう少しで卒業というところで、早大を中退。コルシカ島で見た夢を追い、米国に渡った。

たるの中で熟成中のワインの味を確認しながら話をする斎藤さん

 ワイン造りを基礎から学ぼうと、カリフォルニア州立大学フレズノ校の農学部ワイン醸造学科に入学。化学や生物を英語で学ぶのは非常に辛かったが、「ワイン造りの技術を身に付けないと日本に帰れない」との思いで、しがみついた。同校には、その年の卒業生の中から1人だけ大学付属のワイナリーで1年間働ける制度があった。斎藤さんは、その1人にどうしても選ばれたくて、「毎日ワイナリーに通い、頼まれもしないのにボランティアで働いていた」。その甲斐あって、卒業時にその1人になり、米国で1年間働いた。

ブログで自己PR

 将来は日本のワイナリーで醸造の仕事をしたいと考えていた斎藤さんは、自己PRの目的で、日々の仕事をブログで発信し始めた。「私を見つけてごらんなさい」という気持ちだったという。もくろみ通り、ブドウ栽培家で、ワイナリーを設立するために醸造家を探していた現キスヴィン社長の荻原康弘さんの目にとまった。荻原さんは、ブログを読んで斎藤さんに惚れ込み、わざわざ米国まで会いに来たという。

 5年間の米国滞在から帰国後、ワイナリーの立ち上げが遅れたため、その間、フランスに渡り修業した。受け入れ先のブルゴーニュのワイナリーとの事前の約束では、2カ月間の予定だったが、働きぶりを評価されて結局1年余り滞在。「世界的な銘醸地といわれる産地でも、生産者は名前の上にあぐらをかくことなく、ものすごく隠れた努力をしていることを知ったことは、大きな財産になった」と振り返る。

 フランスから帰国し、キスヴィン設立と同時に醸造責任者に就任。ところが、そのころ、斎藤さんは妊娠していた。醸造中のワインの色を見たり香りを嗅いだりすることはできるが、実際に飲んで品質を確認することができない。そこで、信頼できるスタッフに協力を仰いで味の確認作業をした。最初の年の醸造を終えた翌日に入院し、長男を出産した。

子供背負っての畑作業、あえて写真を公開

 未婚の母となったが、周囲の反応は温かかった。「いかにも、まゆらしい」との言葉も掛けてもらった。キスヴィンのホームページには、長男をおんぶして畑作業をする斎藤さんの写真が載っている。現在は保育園に預けたり両親の協力を仰いだりしながら仕事と育児を両立。あえて子供との写真を公開しているのは、写真の笑顔とは裏腹に、「育児をしながら働くことは大変だというメッセージを社会に向けて発信したかったから」と話す。

 キスヴィン・ワインの高い評価の理由はなんといっても、斎藤さんが海外で培った栽培・醸造の技術と経験だ。荻原さんの自宅の一部を改築して建てた醸造所の片隅には、理科の実験をするような小部屋があり、斎藤さんはそこで地道に品質向上に取り組んでいる。

 ブドウ栽培でも、スタッフと話し合いながら次々と新しい試みを打ち出している。例えば、日本では現在、海外で主流の「垣根作り」と呼ぶ栽培方法を導入するワイナリーが増えているが、キスヴィンではあえて日本伝統の「棚作り」に戻した。垣根作りは雨の多い日本には向かないと判断したからだ。

目指すは「ニューヨークで売ること」

 現在は、40カ所に散らばる計5ヘクタールの畑で、全部で14種類のブドウを栽培。この規模のワイナリーとしては異例の種類の多さだ。「日本では、例えばピノ・ノワールは気候が合わず育てるのが難しいという声もよく聞くが、育てるのがやさしいブドウなんて一つもない。作ろうという気持ちさえあれば何でも作れる」と斎藤さんは強調する。

 キスヴィン・ワインは、ワインショップ大手のエノテカが取り扱いを始めるなど、徐々に販路を拡大。まもなく輸出にも乗り出す。当面の目標は、世界の一流ワインが集積するニューヨークで売ること。斎藤さんは、「シャルドネやピノ・ノワール、シラーなど世界中で飲まれているブドウ品種で勝負したい」と抱負を語る。

 「昔から型にはまるのが嫌いで、みんなと同じようにできなかった」と自己分析する斎藤さんだが、「とがった性格は、子供が生まれてだいぶ丸くなったかな」と笑う。かつて、型破りな演技でファンを魅了した歌舞伎の中村勘三郎さんは、「型を身に付けなければ型破りにはなれない」という名言をはいた。基本ができていないと革新的なことはできないという意味だが、まさに斎藤さんのワイン造りにピタリと当てはまる言葉だ。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年1月6日付]

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