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須田将啓・エニグモ社長が語る(上)無期停学のピンチも エニグモ社長の水戸一高時代

須田将啓・エニグモ社長が語る(上) 無期停学のピンチも エニグモ社長の水戸一高時代
須田将啓・エニグモ社長

 海外ファッション通販サイト最大手の「BUYMA(バイマ)」を運営するエニグモの須田将啓社長(43)は、茨城県トップの進学校、県立水戸第一高校(水戸一高、水戸市)の出身だ。エニグモには「やんちゃであれ!」という一風変わった社訓があるが、水戸一高時代の須田氏は、やんちゃそのものだった。

 高校は水戸一高と私立桐蔭学園(横浜市)の理数科に合格し、地元の水戸一高を選んだ。

 桐蔭の理数科を受験したのは、通っていた塾の先生に勧められたからです。当時の桐蔭の理数科は東京大学への進学率が非常に高く、偏差値もハイレベル。それでも塾の先生は、私の成績なら合格間違いなしと太鼓判を押してくれました。

 せっかく合格したので桐蔭に行くつもりでいました。ところが親は、地元の方が安心だと思ったため、私を翻意させようと、毎月の小遣いの大幅値上げを持ち掛けました。結局、親の現ナマ作戦にまんまとやられ、水戸一高に進学することに決めました。

 結果的に、水戸一高に進学してとてもよかったと思っています。何といっても、水戸一高は何もかもが自由でした。校則は全然うるさくありませんし、服装も完全に自由。軍服でサーベルを下げて学校に来る、ちょっと変わった生徒もいましたが、先生は何も言いませんでした。大学以上に自由な雰囲気でした。

 私もそんな自由を思う存分謳歌(おうか)しました。一応、水戸一高に入ってからも勉強は普通にしており、成績もよい方でした。けっして不良や落ちこぼれだったわけではありません。しかし、勉強の思い出よりも、自由を思う存分楽しんだ思い出の方がはるかにたくさんあります。

 放課後、よく友達とパチンコ店に行ったり、友達の家の倉庫を改造したバーで、みんなで酒を飲んだりしていました。夜中に自転車をこいで海に行き、浜辺で焚火をして日の出を見て朝帰りするという遊びもよくやっていました。

 もちろん、いくら自由な校風だといっても、高校生がパチンコをしたり飲酒したりするのは法律違反で、学校がそこまで認めているわけではありません。しかし、私の中では、他人に迷惑をかけることはしないという自分なりの一線をひいて、それを破らない範囲で遊びを優先していました。経験こそ価値。パチンコにしても飲酒にしても、当時の自分にとっては、貴重な社会経験の一つでした。

 ところがある時、飲酒が見つかり無期停学処分をくらった。

須田氏は、停学処分を言い渡された飲酒事件を「一番印象深い出来事」と振り返る

 2年の冬休みでした。ある夜、体育館の中にある体育の先生専用の部屋で、私と、ボクシング部の仲間、合わせて3人で、酒盛りをしていました。そこに酒があることを知っていて、こっそり忍び込んだのです。

 盛り上がっている最中、巡回していた警備員に見つかり、逃げ出そうとしたら、すでにパトカーが6台ぐらい校内に入って来てサイレンで真っ赤。すぐに警察署に連行されました。警備会社から派遣されていた警備員は、私たちのことを水戸一高の生徒だとは気付かず、ただの不法侵入者か泥棒だと思っていたようです。

 警察沙汰となったため、学校で大問題となりました。学校に呼び出された親は絶句。ボクシング部は連帯責任で活動停止。私も無期停学を言い渡されました。結局、停学は10日間ですみましたが、自宅謹慎中、反省文や読書感想文を何枚も書かされました。後で聞いた話だと、退学処分を主張した先生もいたようです。水戸一高時代で一番印象深い出来事でした。

 夜中にみんなで高校の入口にかかる橋をピンク色に塗ったこともありました。毎日通る場所なのに色が暗くてどんよりしているのが気になっていて、陰鬱だと言う人もいたので、いたずら心も手伝い、鮮やかなピンク色に塗ってしまいました。翌朝、学校中が異変に気付きましたが、目くじら立てる人もなく、学校新聞で七不思議として取り上げられる大らかな学校でした。

 自由な校風のせいか、水戸一高の卒業生にはクリエーターとして素晴らしい才能を発揮する人が少なくありません。例えば、オセロゲームを考案した長谷川五郎氏や、大ヒットしたゲームソフト「ファイナルファンタジー」の生みの親である坂口博信氏らがいます。直木賞作家の恩田陸氏も卒業生ですが、彼女の代表作の一つで映画化もされた「夜のピクニック」は、全校生徒が2日間かけて70キロメートルを踏破する水戸一高の名物行事「歩く会」をモチーフにしています。

 部活動はボクシング部と相撲部を掛け持ちした。

 中学ではテニス部でしたが、水戸一高ではボクシング部に入りました。理由は、あまり人がやっていないからです。スポーツは結構得意なほうでしたが、人気スポーツは小さいころからやっている人が多く、高校から始めても勝負になりません。あまり人気のないスポーツだったら、競技人口が少ないから高校から始めても活躍できるのではないかという計算がありました。

 でも、ボクシングのルールもよく理解しないままやっていたので、最初の大会でいきなり相手をヘッドロックして反則負け。その後も時々しか練習はしなかったので、試合はめちゃめちゃで、あまり勝てませんでした。強かったのは相撲のほう。相撲部は私が入学した時に部員が2人しかおらず、つぶれる寸前でした。ボクシングで減量をしていたので、体重的には相撲部向きではなかったのですが、3年生の主将に足腰の良さを評価されて、スカウトされました。

 茨城は昔から相撲が盛んです。大相撲にも現横綱の稀勢の里や、元大関武双山、元関脇水戸泉など、茨城出身の著名力士が大勢います。でも、相撲部のある高校は案外少なく、練習しなくても、体力とちょっとした素質があれば県大会で勝つのはそれほど難しいことではありませんでした。実際、大会の時は、頭数をそろえるためにラグビー部やボクシング部などから体力のありそうな生徒をかき集めて出場しましたが、意外と勝ち進みました。

 私も、まわしを締める練習ぐらいはしましたが、相撲の稽古はゼロ。それでも県大会で勝ち上がり、個人戦で関東大会に出場しました。関東大会では初戦で横綱や大関を輩出している強豪校の選手と当たり、初めてつっぱりを経験して、あっさり土俵を割ってしまいましたが、本気のつっぱりを味わえたことは貴重な経験となりました。今でもお酒を飲んだ後、相撲をとることがありますが、負け知らずです。

 思えば、昔から人のやらないことをやるのが好きな性格でした。水戸一高でボクシングや相撲を始めたのも、その性格が影響していると思います。大人になってからも変わらず、だからこそ、それまで誰もやっていなかったC to C(個人間取引)の海外ファッションの通販サイトで起業してみようと思ったのでしょう。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年1月22日付]

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