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誕生10年、初音ミクが変えた世界

誕生10年、初音ミクが変えた世界

 青い髪にツインテールといえば、そう、ボーカロイドキャラクターの初音ミク。個人の二次創作OKの彼女が生まれて10年。ともに育ったのは、彼女の絵を描いたり曲を付けたりで素人ながらに人気を集めるフリークリエーターたちだ。プロって何? そんな言葉が出るくらい、彼らを中心にビジネスも加速している。

音楽・イラスト、すご腕フリークリエーター続々

クリエーターにとって初音ミクの功績は大きい(昨年ピクシブなどが開いた展覧会の看板)

 ミクが生まれた2007年夏。この年は二次創作にとって画期的な年だった。ミク、イラスト投稿サイト「ピクシブ」、動画サービス「ニコニコ動画」。三者がそろって誕生したからだ。

 ピクシブにミクのイラストを投稿し、自作のボーカロイド曲を歌うミクの動画をニコニコ動画に上げる。「素人が発表するプラットフォームと、作品モチーフとなる人気キャラクターが偶然にも同時に生まれ、一気に大きな流れとなった」(ピクシブの石井真太朗アライアンス統括マネージャー)

 ミクの人気のピークは「10年か11年くらいでは。今ではファンの高年齢化が進んでいる」(音楽ジャーナリストの藤本健さん)。しかし今なお影響は絶大だ。

 「(ボーカロイド曲を作る)ボカロPを見て、自分も音楽で生きて行けそうな気がした」(フリーで作曲をする清水畑貴さん、27)と、ミク人気の後を追ってクリエーターとなる素人が雪だるま式に増えたからだ。しかもその存在感は、10年前と比べものにならないくらい大きくなっている。

安室さんの曲も作る

 昨年秋に発表された安室奈美恵さんの「Hope」。一人が普通の作詞作曲者は、この曲ではずらりと4人。半分を占めるのは曲作りのプロを目指す「山口ゼミ」出身者だ。

プロの作曲者を目指し集まる山口ゼミ

 思い立ったら誰でもクリエーター。それは制作から発信まで一人でできるようになったおかげだ。高額機材やスタジオがなくても曲が作れるようになった音楽業界では、自宅で作ったボーカロイド曲からのメジャーデビューが相次いだ。しかし「個人がバラバラにやっていては、成長も技術の継承もない」(山口ゼミを主宰する音楽プロデューサー、山口哲一さん)。個人プレーの素人同士を結びつける動きが今、注目されている。

 音楽の分野では「Hope」のように複数名が作業分担して曲を作る「コーライティング」という手法がそれ。「抜群な才能じゃなくても、得意分野を持ち寄れば質の高い曲を作れるようになる」(山口さん)。けん引役の山口ゼミには13年の開講から300人超が学び、ついに安室さんまでたどり着いた。

 ビジネスの可能性も大きい。コーライティングは海外の音楽業界では主流だが、業界慣習上、日本には広まらなかった。しがらみのないフリークリエーターが増え「世界標準のやり方を取り入れられるようになり、海外の仕事も狙いやすくなった」(山口さん)。同ゼミは上海と台湾でも開講準備を進める。

 自作曲の投稿・販売サイト「オーディオストック」を運営するクレオフーガ(岡山市)は、作曲者がコーライティングする仲間を探す交流サイトを年内に立ち上げる。

 一人ひとりが手掛けられる内容も、この10年で大きく変わっている。

コラボしたカフェ「&1F」でファンにイラストを描くいつきゆうさん(東京都目黒区)

 「今日のお昼ここに来るってツイッターで見て、群馬から急いで来たんです」。20代カップルの目指す先は、ネットに上げるイラストが人気のいつきゆうさん(24)。ここは彼女のイラストやグッズがあふれるコラボカフェだ。専門学校に通いながらピクシブに上げていた絵に出版社から仕事が入るようになった彼女は、就職をやめフリーで絵を描き続けている。

スマホ1つでメディアミックス

 素人がすごい、と言うと「どうせニッチでしょ」と思われそうだが違う。今やピクシブでイラストや漫画を描いて支持されれば「20社もの出版社から誘いがかかる。この1年で過当競争になってきた」(大手出版社)。新人賞や作品持ち込みからプロデビューという公式を崩し、もはや本丸の一角だ。

 1つのコンテンツを漫画やグッズに多面展開するメディアミックス。業界さながらの動きを見せる人も増えた。オリジナルグッズを作って売るなんて今や10分足らず。ピクシブなどが提供する個人向け通販サイトでは、描いたイラストをアップロードして商品をデザインすれば、1個から受注生産で在庫リスクなく配送までやってくれる。

 「10~20代の若い女性がスマホ1つでささっと作って、1種類千個単位で売る子もいる」(ピクシブの児玉捷平ディレクター)。冒頭のいつきさんも「地元埼玉でマンションが買えるくらいのお金」を販売で得た。

 キャラクターグッズに目がない熊本県の女性いわく「昔はお店で売ってるものが全て。でも今はネットで自分好みのクリエーターを探せるから、店じゃなくてその人から買う」。彼女自身も会社を辞め、イラストで生計を立て始めた。「ネットでどんどん仕事が来るから営業とかしたことなくて。独立して趣味で生きるって大変なイメージだったのに、今の時代そうでもなかった」。

プロも読者と小説作り

 今年、アニメ映画化も決まった人気小説「君の膵臓をたべたい」。もとは投稿サイト「小説家になろう」の無名作家の連載だった。「商業デビューできない人が傷なめ合う場だって、馬鹿にしてたんですけど」と言う新木伸さん(49)はデビュー25年のベテラン小説家。3年前から活動の場を同サイトに移した。「投稿を始めて3週間で出版が決まった」との噂を聞いて調べると「こっちの方が進んでるしもうかると気付いた」からだ。

 思いつきでもとにかく書き始め、読者の反応を見ながら連載中にタイトルだって変えてしまう。従来の3倍ペースで書きまくり、すでに6シリーズの書籍化が決定。「従来は4分の1くらいだった」というヒットの確率も大きく上がった。

投稿サイトに活動の場を移した小説家の新木さん

 「だってこれまでの仕事の3分の2は出版社に出す企画書書きだったんです」と新木さん。しかも「前例のないものは通らないから、内容はどうしても後追いになる。何が面白いのか、1人の編集者より百万のユーザーに聞くべきでしょう」。"プロが素人の場に降りてくる"動きは広がる。

 「小説家になろう」の小説は読者をひき付ける独自技法を発展させてきた。毎日定時の更新、スマホで見やすいようやたらと多い改行、等々。活字が売れないという言説をよそに「小説家になろう」の月間ページビューは今や15億。「だってツイッターだって活字でしょう。読者に合わせて作者がリアルタイムに変わっていくから読まれてるんだと思います」(運営会社の平井幸取締役)。

手軽消費の時代、大物育成は難題

 創作・発信のハードルが下がる一方で、たやすくなったのは消費もだ。漫画なら日常生活を描いた軽いタッチのもの、小説なら1話は電車ひと駅で読み切れる長さ。「生活の隙間で消費しやすいものが受ける」(ピクシブの笠原達郎アカウントマネージャー)。結果、作り手は「みんなうまいけど小粒になりがち」(同)という状況が生まれている。

 「このままじゃ次のドラゴンボールは生まれにくくなる」(講談社の中里郁子なかよし編集長)。同社はピクシブと共同で近く、漫画アプリを立ち上げる。「自由に発信する誰もを平等に扱うのはピクシブのいいところだけど、特定の人や作品を育てられないということでもある」と中里氏。講談社が狙うのは「これぞという人に投資する役割」(同)だ。

 自由と平等は、作り手にとってもいいことばかりとは限らない。「メジャーデビューすれば安泰な時代でもなく、同人もいろんなやり方があり、何を目指せばいいかわからなくなっている」(音楽ジャーナリストの藤本健さん)からだ。

 「投稿サイトじゃ表現の妙なんて読まれない。プロとして培った技術の8割はガラクタになった」と小説家の新木さん。しかし旧世代のものは消え去るのみとは限らない。ミクが20歳になるこれからの10年は、既存業界を含め新たな秩序づくりを目指すプレーヤーの参入が増えそうだ。
(高倉万紀子)[日経MJ2018年1月29日付、日経電子版から転載]

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