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池上彰の大岡山通信 若者たちへ裁量労働制巡る議論―誰でも検証できる根拠を

池上彰の大岡山通信 若者たちへ 裁量労働制巡る議論―誰でも検証できる根拠を
authored by 池上彰東京工業大学特命教授

 大学で教えるようになって大事だと痛感している言葉に「エビデンス」があります。証拠あるいは根拠と言えばいいでしょうか。何事かを論じるときには根拠を明らかにしなければならないという鉄則です。その根拠は、誰でも検証可能でなければなりません。

 もし「AよりBの方が優れている」と主張したいのであれば、AとBを比較することが可能なデータが必要です。比較できないデータでは根拠になりません。

◇ ◇ ◇

 何の話をしているか、おわかりですね。政府の「働き方改革関連法案」をめぐり、裁量労働制に関する厚生労働省の調査の不備が指摘されている問題です。

 結局、裁量労働制に関する法案は今国会では提出されないことになりました。調査の不備への批判が強まり、国民の理解を得られないと判断したのです。そこで問題点を改めて整理してみます。

 裁量労働とは、仕事の進め方や時間配分を働き手に委ねる方式です。政府は、裁量労働の拡大を目指しています。

 安倍晋三首相は1月29日の衆院予算委員会で、裁量労働が、「一般労働者よりも労働時間が短いというデータもある」と答弁しました。ところが、発言の根拠になったデータがおかしいのではないかと野党の追及を受けています。

 問題のデータは、厚労省が実施した「2013年度労働時間等総合実態調査」です。

 この調査で一般労働者には、「1カ月で最も長く働いた日の残業時間」を尋ねています。その平均が1時間37分だったことから、法定労働時間の8時間を加えた9時間37分という数字を出しました。これは一般的な労働者が最も長く働いた日のデータです。

 ところが、安倍首相が比較対象に使った裁量労働に関する調査は、「1日の労働時間」を尋ねています。これが平均9時間16分。両者を単純に比較すると、裁量労働の方が労働時間が短いというデータが得られます。

◇ ◇ ◇

 ですが、この比較がナンセンスであることは明らかですね。一般労働者には「最も長く働いた日の残業時間」を聞き、裁量労働者には1日の平均労働時間を尋ねているのですから。

 このデータは比較できません。同じ条件で質問し、比較しなければならないからです。たとえば、一般労働者と裁量労働者の双方に「1日に働く時間は何時間ですか?」と尋ねるか、あるいは双方に「1日に最長の労働時間は何時間ですか?」と尋ねるべきでした。

 でも、実はこのように条件を等しくして質問しても意味がないという考え方もあります。というのも裁量労働で働いている人は、何時間働いても残業代がつかないので、何時間働いたかということに無関心になりがちだからです。1日の労働時間に無関心な人を対象に「何時間働いたか」と聞いても正確なデータは得られないのです。

 そもそも比較対象する片方のデータ収集に正確性が欠け、データ収集の方法が異なるのに比較して数字を出す。学生からこんなリポートが提出されたら、迷うことなく却下。成績は0点です。

「言いたいこと、やりたいことがあるなら、正確な調査をやり直し、万人を納得させるエビデンスを示しなさい」

 学生たちなら、私のアドバイスにしっかり答えてくれるはずですが。

[日本経済新聞朝刊2018年3月5日付、「18歳プラス」面から転載]

 ※大岡山は池上教授の活動拠点である東京工業大学のキャンパス名に由来します。日経電子版に「大岡山通信」「教養講座」を掲載しています。

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