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土井香苗・HRW日本代表が語る(上)「女子学院は派手すぎて」 人権派司法女子の桜蔭時代

土井香苗・HRW日本代表が語る(上) 「女子学院は派手すぎて」 人権派司法女子の桜蔭時代
土井香苗・HRW日本代表

 ノーベル平和賞を受賞したこともある国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。日本代表を務める土井香苗氏(42)は、「女子御三家」の私立桜蔭中学・高校(東京・文京)から東京大学に進学し、東大3年の時に司法試験に合格という華々しい経歴の持ち主。その土井氏は、桜蔭でどんな中高時代を過ごしたのか。

 横浜市生まれ。小学校は地元の公立校に通った。

 住宅街の小学校だったので、4年生くらいになると、みんな中学受験に備えて塾に通い始めます。そうすると、次第に、塾に行くことが当たり前という雰囲気になり、逆に、行かないとなぜ行かないのと不思議がられます。友達が次々と塾通いを始めるのを見て、私も周りから取り残されたくないという気持ちになり、親にお願いして5年生から塾に通い始めました。

 私の住んでいた地域は横浜の奥まった場所だったので、通学のことを考えると、塾で成績上位の子は、女子はフェリス女学院(横浜市)、男子は栄光学園(鎌倉市)を受験するのが、お決まりのコースでした。でも、私は塾の先生から、私の成績なら桜蔭を狙えると言われ、それなら桜蔭を受けてみようかなという気になりました。

 桜蔭には無事合格しましたが、内心はヒヤヒヤでした。本来、勉強はあまり好きなほうではないので、6年生の夏休みに、つい勉強をサボってしまいました。そうしたら夏休み明けに塾の成績が急降下。クラスも、桜蔭や開成などトップ校を目指す子が集まる一番上のCクラスから、その下のBクラスに転落。焦って、ねじを巻き直して勉強し、何とか合格したというのが実感です。

 その6年後に東大を受験することになるのですが、東大の入試は準備万端で臨むことができました。

 桜蔭を第一志望にした一番の理由は合格できそうだったからですが、一応、校風も気にしました。それを自分の目で確かめようと、学園祭回りもしました。

 桜蔭に関しては、楽しくて、明るくて、素朴な学校だなという印象を持ちました。自分に合っているかもしれないなと。桜蔭と並んで難関といわれる女子学院(東京・千代田)の文化祭も見学に行きましたが、女子学院の雰囲気は地味な私には派手すぎて、腰が引けました。

 桜蔭に通学するため一家で引っ越した。

「勉強で落ちこぼれたら桜蔭に入った意味がなくなると親に言われ、けんかになった」と振り返る

 さすがに桜蔭は勉強のできる子がたくさんいました。塾の全国試験でいつも上位に名前のあった子が同じクラスにいて、「ああ、あの子か」と、まるで有名人を見たような気分でした。

 私自身の成績は、中学時代は、よくもなく悪くもなく、真ん中ぐらいだったと思います。桜蔭はテストの成績を張り出したりしないので、自分が全体の何番目ぐらいかは、わかりません。ただ、周りを見れば、何となく推測できます。真ん中ぐらいでも別に気にせず、マイペースで勉強していました。

 大変だったのは通学です。8時半の始業時間に間に合わせるため、毎朝5時台に起きていました。最寄り駅から桜蔭のある駅までは普通に電車に乗っても軽く1時間以上かかります。さらに、自宅から駅まで車で20分ほどかかるため、毎朝、駅まで親に車で送ってもらっていました。

 通学電車の中で勉強する話をよく聞きますが、私は最初、そういう発想がありませんでした。

 通学時間を利用すればいいと気付いたのは、桜蔭に入って最初の中間試験の朝。電車に乗ってから、英語の試験に出そうな英単語をまったく暗記していないことに気付き、あわてて教科書を広げました。

 ところが、事件はそんな時に限って起きます。隣に座っていた女性が、制服でわかったのか、いきなり、「あら、桜蔭の生徒さん?」と声を掛けてきたのです。桜蔭の卒業生だと勝手に自己紹介し、いろいろと話し掛けてきました。こちらは英語の勉強をしたかったので、早く話が終わらないかなとじっと耐えていました。後にも先にも電車の中で桜蔭の卒業生に会ったのはその時だけ。よりによって何でその日、と後から思いました。

 それ以降、試験前は電車の中で勉強するようになりましたが、それ以外の時は通学しながら勉強した記憶はありません。何をしていたのかよく覚えていませんが、おそらく本を読んでいたか寝ていたかのどちらかだったと思います。

 約1年間、片道2時間あまりかけて通学し続けましたが、さすがに、これを6年間続けるのは無理だと私も親も悟り、中2の時に、一家で東京に近い川崎市に引っ越しました。それでも1時間ぐらいかかりましたが、以前に比べるとだいぶ楽になりました。

 桜蔭時代は勉強しかしなかった。

 小学生のころにバレエを習っていて、卒業文集などには、「将来はバレリーナになりたい」とよく書いていました。ダンスが得意でしたので桜蔭のダンス部に入ろうと考えました。ところが親が猛反対。ただでさえ通学に時間がかかるのに部活動をしたらさらに時間をとられて、勉強する時間がなくなるとの心配からでした。また、せっかく桜蔭に入ったのに、勉強で落ちこぼれたら桜蔭に入った意味がなくなるとも言っていました。親とけんかになりましたが、最後は、泣く泣くダンス部を断念しました。

 部活動以外にも、勉強の妨げになるようなことは必ず反対されたという記憶があります。ですから、桜蔭時代は勉強しかすることがありませんでした。

 桜蔭の授業は、正直強い印象が残っているものは少ないです。むしろ、塾の授業のほうが、面白い授業が多かったと記憶しています。塾にはたしか中3から再び通い始めました。中学受験の時と同様、周りもみんな塾に行くので、特になぜ塾に行くのか考えることもなく通っていました。

 中学時代の学校の成績は真ん中ぐらいでしたが、高校からは、本格的に塾通いし始めたこともあり、成績はぐんぐん上がっていきました。学校は成績を公表しませんが、塾は細かく公表するので、自分が桜蔭の中でどれくらいの位置かだいたいわかります。高校時代はかなり上位のほうでした。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年2月19日付]

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