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西川徹・プリファードネットワークス社長が語る(上)「筑駒合格ならパソコン」で奮起 AI起業の西川徹氏

西川徹・プリファードネットワークス社長が語る(上) 「筑駒合格ならパソコン」で奮起 AI起業の西川徹氏

 有望スタートアップ企業を対象とした日本経済新聞社の「NEXTユニコーン調査」で推計企業価値1位になった、人工知能(AI)開発ベンチャーのプリファードネットワークス(東京・千代田)。率いるのは、筑波大学付属駒場中学・高校(筑駒、東京・世田谷)出身の西川徹社長(35)だ。西川氏は、「好きなパソコンを自由にさせてくれた筑駒の校風があったからこそ、今がある」と語る。

 小学5年が成績のピークだった。

西川徹・プリファードネットワークス社長

 中学受験の勉強は小学4年のころから始めました。平日は練馬区の自宅近くの四谷大塚の提携塾で授業を受け、毎週日曜日は、テストを受けるためにJR中央線の中野駅近くにある四谷大塚の中野校舎へ。

 学校よりも塾のほうが気の合う友達が大勢いましたし、塾の先生とも仲が良かったので、塾はいつも楽しみでした。塾帰りに友達と買い食いするなど、楽しい思い出がたくさんあります。

 ただ、塾の成績は、小学5年をピークに下降線をたどっていきました。

 小さいころから、算数や理科といった、考えて問題を解いていく科目は大好きでしたが、逆に、国語や社会など暗記モノが苦手。塾の授業も、4年生の時は、どちらかといえば考えることを重視した授業で楽しかったのですが、5年生の途中から6年生になると、受験用に詰め込み型の授業になっていきました。すると、急に授業がつまらなくなり、モチベーションもダウン。必然的にテストの点数も下がっていきました。

 当時、四谷大塚は、テストの成績で教室が決まっていました。成績トップの人たちは中野校舎の3階。2番目のレベルの人たちは2階と、だんだん階が下がっていき、成績下位の人たちは地下にある教室に送られます。もっと成績が下になると、遠く離れた別の校舎に飛ばされました。

 私は、5年生まではいつも3階で、四谷大塚の全国テストで全国1位をとったこともあります。しかし、その後は、成績の下降とともに階も下がり、ついには地下室送りになりました。たしか1回ぐらい別の校舎送りになった記憶もあります。

 でも、地下室送りになっても、「まあ、いっか」くらいの気持ちでした。ショックや悔しさは特に感じませんでした。暗記力の勝負で成績が決まることに、まったく興味も重要性も感じていなかったのです。

 親から「筑駒に受かったら、パソコンを買ってやる」と言われた。

「授業中にパソコンでプログラミングをしていても、筑駒の先生は何も言わなかった」と話す

 算数や理科以外に小さいころから大好きだったのがテレビゲーム。ゲームをやるだけでなく、その仕組みにもすごく関心がありました。

 小学4年生の時、父親が「Fujitsu FM-7」(富士通の8ビットパソコン)のBASIC入門書を借りてきて、私に見せてくれました。読み始めたら、これがすごく面白くて、一瞬ではまりました。以来、パソコンが欲しくてたまらなくなりました。

 そんな私を見ていた父親は、中学受験に際して、私の目の前にパソコンというニンジンをぶら下げたのです。

 わが家は貧乏ではありませんでしたが、当時は非常に高価だったパソコンを簡単に買ってもらえるほどの余裕もありませんでした。私立に比べて授業料が安い国立の筑駒なら、浮いたお金でパソコンの1台ぐらい買ってやってもいいだろうと父親は考えていたようです。

 受験勉強への興味はすでに失っていましたが、それからは、パソコン欲しさに、一生懸命、受験勉強しました。第一志望の筑駒に加えて、開成中学と巣鴨中学も受験しました。

 受験勉強中、学園祭も見学に行きました。筑駒にも開成にもパソコン研究部のような部があり、どちらも本格的で興味をそそられました。

 受験は、2月1日が開成、2日が巣鴨、3日が筑駒と3日連続で、かなりハードな日程でしたが、幸い、全部合格しました。筑駒も開成も入試問題は暗記問題より思考力を問う問題が多く、私に向いていたと思います。暗記問題は知らないとお手上げですが、思考力を問う問題は、最初はわからなくても何とかなりました。

 筑駒に合格後、約束通り、父親にパソコンを買ってもらいました。NECのPC-9801ESで、5万円ぐらいの中古品。それでも、初めてのパソコンだったので、すごくうれしくて、しばらく家ではそればかりいじっていました。

 授業中は、授業を聞かずにパソコンをやっていた。

筑波大学付属駒場中学高校(東京・世田谷)

 中学に入ると、コンピューターへの関心はさらに深まり、中学2年生の時にノートパソコンを買ってもらいました。それを学校のロッカーにしまっておき、あまり関心のない授業の時は、授業中に堂々と机の上で開いて、プログラミングをやっていました。

 当時はノートパソコン自体が珍しく、ましてやそれを授業中に机の上で開いている中学生なんて、日本中探してもおそらく私しかいなかったと思います。

 当然、教室の中では目立ちます。しかし、机の上のパソコンに関して何か言ってきた先生は、一人もいませんでした。

 そんなことができたのも、筑駒の自由な校風のおかげだと思います。もしうるさい校風や指導方針の学校に行っていたら、授業中にパソコンをいじることもできず、これほどコンピューターにのめり込むことはなかったかもしれません。

 授業中にパソコンでプログラミングをしていたぐらいですから、筑駒時代の私は、基本的に不真面目な生徒でした。試験の成績も悪かった。

 ただし、面白いと思った授業は、とことん勉強しました。特に印象に残っているのは、中学の時の生物の授業です。先生がとてもユニークで、教科書を使わず、本来なら高校か大学でやるような内容を中学生に教えてくれました。面白いから、こちらももっと深く知りたくなり、学校の図書室で本を借りたり、書店に行って専門書を買ったりして勉強しました。筑駒の図書室は、大学生が読むような難しい本も多く、非常にためになる図書室でした。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年3月5日付]

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