日本経済新聞 関連サイト

OK
skill up-自己成長

佐渡島庸平・コルク社長が語る(上)灘高突破の『ドラゴン桜』編集者 南アで培った勉強法

佐渡島庸平・コルク社長が語る(上) 灘高突破の『ドラゴン桜』編集者 南アで培った勉強法
佐渡島庸平・コルク社長

 東京大学合格を目指す落ちこぼれ高校生の奮闘ぶりを描いた大人気漫画「ドラゴン桜」。その担当編集者として知られ、現在はクリエーターのマネジメント会社コルク(東京・渋谷)を経営する佐渡島庸平社長(38)は、灘高校(兵庫県神戸市)の出身。「ドラゴン桜」は、漫画の中に出てくるリアルな勉強法や受験テクニックが話題となったが、その多くは佐渡島氏自身の受験勉強法をヒントにしたものだった。

 中学受験に失敗した。

 小学6年の時に商社マンの父が南アフリカに転勤。中学受験を控えていた私は、しばらく日本に残って神戸市に住む同い年のいとこの家に居候しながら、予定通り中学受験することにしました。

 しかし、受験した甲陽学院中学と東京の麻布中学は、いずれも不合格に。家族を追って南アに渡り、ヨハネスブルク市内の日本人学校に入学しました。

 高校は日本の高校に通うつもりでしたから、受験に困らないよう、Z会の通信教育を受けようと考えました。しかし、日本と南アの間は、郵便が片道2週間、往復で4週間もかかる。どう頑張っても課題を期限までに提出するのは不可能。自己採点でやることにしたものの、結局やらずに終わりました。

 当然ですが、南アには塾などありません。日本の受験参考書も売っていない。これは日本に帰ったら大変なことになると思いました。とりあえず、できることをやろうと考え、日本人学校の授業で使っていた教科書の中身を100%理解することに全力を傾けました。結果的に、この勉強法が後々、大きな威力を発揮することになります。

 高校受験のことは常に頭の片隅にありましたが、かといって、毎日、何時間も机に向かって勉強していたわけではありません。南アの日本人学校は、現地の学校との交流が非常に盛んで、サッカーやバスケットボール、水泳など様々なスポーツの対抗戦が1年中ありました。放課後はいつも、対抗戦に備えた練習。テニスも大好きで、かなり打ち込みました。残りの時間は大好きな読書。勉強したという実感があるのは、中間試験と期末試験の前くらいでした。

 それでも試験の成績はいつも学年で1番か2番。といっても、同じ学年には全部で11人しかいなかったので、自慢にはなりません。日本ではどれくらいのレベルなのだろうかと考えると、不安でした。

 ところが、帰国後に試験を受けたら、想像以上にできた。

「灘高の入試問題は中学の教科書に載っていないことは絶対に出ない。でも頭を使わないと解けない」と振り返る

 中学3年の6月ごろだったと思います。家族より一足先に日本に戻り、関西の中学校に編入。塾にも通い始め、模擬試験を受けたら、いきなり全国で10番ぐらいになりました。教科書しか勉強してこなかったのに、予想していなかった好成績。びっくりしました。

 塾の先生からは灘高を勧められました。私としては、中学受験の失敗があったので、偏差値がもう少し下の高校を考えていました。しかし、先生の熱意にほだされ、記念受験のつもりで灘高も受けることにしました。

 その時、南アの日本人学校でいつもトップを争っていた友達を、一緒に灘高を受けようと言って誘いました。彼も第一志望は別の高校でしたが、結局、2人とも合格し、そろって灘高に入学。彼とは南アでもテニス仲間、灘高テニス部でもずっとダブルスのパートナーで、東大にも、学部は別ですが、ともに合格しました。

 灘は中学もそうですが、高校の入試問題もかなり難易度が高い。入試の時の手ごたえがいま一つで、正直合格する自信はありませんでした。ただ、難しいとはいっても、中学の教科書に載っていないことは絶対に出ません。あくまで教科書の延長線上。でも頭を使わないと解けない。非常によくできた問題だと思います。

 実は、私の灘高に合格するまでの勉強法は、ドラゴン桜の話の中にかなり出てきます。ドラゴン桜は、作者の三田紀房さんがストーリーを組み立てていましたが、漫画の中に出てくる具体的な勉強法の多くは、担当編集者だった私が自身の体験を情報として提供し、それを三田さんが漫画で表現したものです。

 例えば、ドラゴン桜の勉強法は基礎をものすごく大事にしていますが、それも私の経験です。南アで教科書をしっかり勉強したことが、その後の試験での好成績につながり、結果的に灘高にも合格したのです。

 実は、受験生の大半は、教科書をちゃんと読んでいません。教科書を丁寧に読み中身をしっかり理解すれば灘でも東大でも通るのに、そうする人は少ない。そして基礎の理解が不十分なまま難しい参考書に手を出す。それが失敗の原因です。まず教科書重視。これが私の勉強法であり、漫画の中で強調されている点です。

 灘高での成績は中の上だった。

 合格後の入学説明会の時に、各教科の高校1年の参考書をいきなり渡されました。それを入学式までの約1カ月間で、ちゃんと終わらせてこいと言うのです。やったかどうかは入学式直後の試験でチェックされます。灘高ではそうやって、高2の勉強から始めます。

 第一関門は無事クリアしましたが、果たして周りに付いていけるかどうか、多少不安もありました。小学生のときに通っていた塾では、試験の成績が40番までの生徒は、座席が決まっていました。それ以下は、席は自由。灘中学に合格するような生徒は、いつも席が決まっている組でした。一方、私はいつも席が決まっていない組。その記憶があったので、自分は灘高では成績が下のほうだろうな、頑張らないといけないな、などと不安な気持ちに駆られていました。

 でも授業が始まったら、不安はすぐに消えました。小学校のときの塾仲間も多く、「あれっ、お前、甲陽に行ったんじゃなかったの」「いや、落ちたんだよ」みたいなあいさつで盛り上がり、すぐに打ち解けました。

 勉強も予想以上にできて、成績はいつも中の上。しかし、特に頑張って勉強していたわけではありません。灘高ではテニス部に入り、毎日、日が暮れるまで練習。疲れて、授業中もよく寝ていました。それでも試験の成績は悪くありませんでした。

 灘高生は基本的に、普段はあまり勉強しません。最近、数学者の新井紀子さんが、「読解力があれば学力は身に付く」という説を唱え注目されていますが、灘高生には読解力の高い人が多く、それが試験で高得点がとれる理由ではないかと考えています。私も、本を読んだり教科書をじっくり読んだりしたことで、読解力が自然と身に付いたのではないかなと思います。

 小中学生のころは、世の中には自分には想像できないような能力を持った人たちがいて、その人たちにはどうやってもかなわないだろうなというイメージを漠然と持っていました。でも灘高に入ったら、そのイメージは消えました。

 確かに、灘高にはどうやってもこいつには勉強ではかなわないという天才が何人もいます。でも天才といえども完璧ではない。人に劣る面もある。彼らと毎日接するうちに、彼らも所詮、自分と同じ人間なんだと思えるようになり、人にコンプレックスを抱くというようなことがなくなりました。それだけでも灘高に入った意義があったと思います。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年3月19日付]

「日経College Cafe」のお勧め記事はこちら>>