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高田旭人ジャパネットHD社長が語る寮生活でホームシック ジャパネット2代目の中高時代

高田旭人ジャパネットHD社長が語る 寮生活でホームシック ジャパネット2代目の中高時代
高田旭人・ジャパネットホールディングス社長

 テレビ通販のカリスマといわれた父親から3年前に経営のバトンを受け継いだジャパネットホールディングスの高田旭人社長(39)。激しい競争の中、前期は過去最高の売上高を記録するなど、早くも非凡な経営手腕を発揮している。その高田氏は、ソフトバンクグループの孫正義会長や実業家の堀江貴文氏ら多くの経営者を輩出している久留米大学付設中学・高校(付設、福岡県久留米市)で学んだ。

 中学から親元を離れ、寮暮らしに。

 父も母も世間の一般常識にとらわれない人でした。だから家業も成功したのかもしれません。すごく教育熱心でもありました。姉や妹や私に、勉強しろとはけっして言いませんでしたが、教育の大切さは十分に理解し、常に子供たちが何不自由なく勉強に打ち込める環境を用意してくれました。

 そんな家庭に育ったので、田舎の小学生にしては珍しく、私も小学4年生から塾に通っていました。それほど勉強が好きだったわけではありませんが、塾には仲の良い友達が大勢いましたし、先生もやさしかったので、塾に行くのが毎日楽しみで仕方ありませんでした。

 中学は、いずれも中高一貫ですが、付設のほか、長崎県と佐賀県の進学校をそれぞれ1校ずつ受験しました。この3校にした理由は特にありません。私の通っていた塾では毎年、みんなそうしていたからです。

 算数は小さいころから好きで得意でしたが、逆に暗記系の科目が苦手で、教科によって成績に結構ムラがありました。3校の中では最難関だった付設に合格できるかどうかギリギリのところでした。

 それでも何とか付設に合格することができたので、付設に行くことにしました。これも、私の塾では付設に受かった人はみんな当たり前のように付設を選ぶからで、それ以外に特に理由はありません。

 実家のある長崎県佐世保市から付設までは電車で片道2時間ちょっとかかります。通学は端から選択肢にはなく、学校の寮に入ることにしました。付設は私のように福岡県外からも生徒が集まってくるので、1学年150人中、半分くらいは寮に入ります。こうして私は、中学から親元を離れて暮らすことになりました。

 わが家では、姉も、中学受験で神戸の中学校に合格し、中学から親元を離れて、寮暮らしをしていました。「子供は早く独立させたほうがいい」という母親の意向が強く働いていたようです。

 ところが、入学早々、ホームシックにかかった。

「寮での勉強時間は見回りの先生の目を盗んでゲームをしたりしていた」と振り返る

 大きかったのはやはり環境がガラッと変わったことです。寮では毎晩、勉強時間がありました。夕食後、午後7時くらいから寮内の学習室に全員集まり、休憩をはさんで11時前くらいまで、宿題や予習をやっていました。机は前と左右をついたてで区切られていて、おしゃべりもできない。テレビの視聴が許されるのは、週末の昼間だけ。こんなふうに勉強させられるのは、人生で初めての経験でした。

 それまでは勉強といえば、小学生のころに塾で先生と楽しみながらしたという思い出しかありません。一人で勉強したという記憶もほとんどない。ですから、付設の寮で毎晩、誰とも言葉を交わさず、一人で黙々と勉強というのは精神的に苦しかった。

 家族と離れた寂しさもありました。珍しいかもしれませんが、私には反抗期というのがほとんどなく、両親とはいつも仲が良かった。ですから、付設に入ってからも、遠くにいて会えない両親のことをずっと気に掛けていました。

 幸か不幸か、付設と実家の距離は帰ろうと思えば帰れない距離ではない。そこで、中1の時は週末になると電車に乗って実家に戻り、週末を実家で過ごしていました。これが例えば、九州と東京くらい離れていたら最初から諦めていたかもしれません。

 親は毎週末、実家に帰ってくる私を見て、とくに叱咤激励するわけでもなく、歓迎するわけでもなく、ごく自然に接していました。

 学校の成績は平均以下だった。

 毎日、3時間以上も勉強をしていた割には、学校の成績は高校卒業までずっとよくありませんでした。順位はいつもだいたい真ん中からちょっと下。好きな数学だけはまずまずの成績でしたが、教科の好き嫌いが激しかったのが原因だと思います。

 なぜ成績がよくなかったかといえば、実際にはあまり勉強していなかったから。寮の学習室では、言われて机には向かっていましたが、よく見回りの先生の目を盗んでゲームをしたり漫画を読んだりしていました。

 私だけでなく、いかにサボるかを考えていた人も多かったと思います。例えば、先生が来ると足音でわかるので、足音が聞こえると、みんな急いで勉強しているふりをします。見つかると怒られるので、そこは必死。先生が近付くとついたてをノックして教え合う互助の精神も発達していました。

 スポーツに打ち込んだ。

 勉強はあまりしませんでしたが、スポーツには打ち込みました。今、身長は1メートル83センチありますが、中高時代も背は高く、スポーツは全般に得意でした。中学ではテニス部、高校では野球部に入り、放課後は毎日練習。今振り返ると、付設時代はテニスと野球ばかりやっていたという印象が強いです。

 学校生活で一番印象に残っているのも、高校時代の体育祭。特に、1年から3年までの全12クラスによるサッカーのトーナメント戦は、サッカーが盛んな土地柄のせいか、大いに盛り上がりました。

 クラスの中からサッカーの好きそうな十数人でチームを組むのですが、私も毎回、出ていました。

 ユニホームも、ヨーロッパの人気チームや強豪国のデザインを真似たユニホームを自分たちで買いそろえます。そもそも、毎年のクラス替えの時も、みんな真っ先に気にするのは、サッカーのうまいやつが同じクラスにどれくらいいるか。それによって、チーム力が変わってくるからです。とにかく、楽しい思い出でした。

 でも、スポーツに熱中しすぎて勉強がおろそかになっていたのも事実です。後で受験勉強を本格的に始めた時に、もう少し勉強しておけばよかったなと、ちょっとだけ後悔しました。ただ、これもすべては自己責任。そのことを学んだ貴重な機会でもありました。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年5月7日付]

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