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高田旭人ジャパネットHD社長が語る「ジャパネット継ぐなら」と東大受験 失敗に学ぶ

高田旭人ジャパネットHD社長が語る 「ジャパネット継ぐなら」と東大受験 失敗に学ぶ
福岡県久留米市にある久留米大学付設中学・高校

 テレビ通販大手、ジャパネットホールディングスの高田旭人社長(39)が語る母校、久留米大学付設中学・高校(付設、福岡県久留米市)の思い出。付設での生活を満喫した高田少年だったが、勉強をさぼりがちだったツケが回り、一度目の東京大学受験に失敗。しかし、その結果、今の会社経営にも生かされている重要な教訓を学んだという。(前回「寮生活でホームシック ジャパネット2代目の中高時代」)

 付設は「生徒ファースト」だった。

 寮での強制的な学習時間は、最初はホームシックにかかるほど辛い経験でしたが、後から振り返れば、私の人生にとっても非常に意味のあることだったと思います。

 私が考える付設の教育方針は、生徒が思う存分勉強できるようサポートは惜しみなくするが、それを生かすかどうかはすべて生徒の自己責任、ということだと思います。寮の学習時間もその一環。こうした付設の教育方針は、けっして勉強しろとは言わないが勉強するための環境は常に与えてくれた私の両親の教育方針とも似ていました。

「環境は用意するが、生かせるかは自己責任。その考え方の土台は付設での経験」と話す

 その証拠に、付設の先生は、各生徒の成績に関しては、良かろうか悪かろうが、あまり言いませんでした。勉強しやすい環境は整えるが、それを生かすかどうかは最終的には一人ひとりの自主性に委ねる。そういうメッセージをいろいろな場面で感じました。

 個人的にも思い出深い先生が何人もいました。例えば、高3の後半になって私が受験勉強に真剣に取り組み始めた時、受験科目としては諦めようと決めていた科目の授業をさぼり、図書室で勉強していたことがありました。パンをかじりながら勉強していたら、運悪く、担任の先生が現れたのです。見つかったら怒られると思い必死で顔を隠しましたが、気付いた先生が近付いてきて、一言、「高田、図書室でパン食べるな」。

 私の勝手な想像ですが、先生は、ようやく受験モードにスイッチの入った私を見て、せっかく勉強する気になったのだから、うるさいことは言わずに、温かく見守ってやろうという気持ちだったのではないでしょうか。

 東大受験に失敗して東京で浪人生活をしていた時は、付設時代の英語の先生に英作文の添削をお願いしたら、毎週、私の送った英作文を丁寧に添削して送り返してくれました。もちろん無報酬です。その先生は、3年前に社長に就任した時に同期が開いてくれた就任祝いのパーティーにも来てくださいました。今でも本当に感謝しています。

 東大受験に一度失敗した。

 私が小学生のころは、家業はまだ通販事業に本格進出する前で、佐世保の小さなカメラ販売会社でした。私は社員の人たちにとてもかわいがってもらい、会社の食事会にもよく同席していました。ですから、いずれは自分がこの会社を継ぐことになるんだろうなと、何となく思っていました。

 そのことを再び強く意識したのは、高3の夏に野球部を引退して、受験モードに切り替えようとしたときでした。その時、「家業を継ぐんだったら、東大に行ったほうがいいんじゃないか」と思ったのです。

 それには自分なりの理由がありました。自分の父親が経営する会社に入ることになった時、周りから「こいつはコネで入った」と思われるのが嫌だったのです。社内の誰もが納得し、みんなから認められる形で入りたい。そのためには東大を出るのがいいだろう。東大を出たなら誰も文句言うまい。それが東大を目指した理由でした。

 東大をあまり特別視する気持ちがなかったことも、深く考えずに東大受験を決めた一因でした。付設の生徒は医者の子供が多く、全生徒の半分ぐらいは医学部に進みます。もちろん、すごく優秀な人は東大医学部を目指します。でも、東大医学部が無理そうな人は、東大の別の学部に合格する力があっても、特に東大にはこだわらず、九州大学など別の大学の医学部に進みます。だから、ことさら東大を特別視する雰囲気は、付設の中にはありません。それで私も軽い気持ちで東大受験を決めてしまったのだと思います。

 しかし現実には、私の成績を考えると、東大はかなり無謀でした。高3の時の学校の成績は、200人中120~130番くらい。付設で東大を受験するのはだいたい80番ぐらいまでです。実際、そのころは、東大模試を受けても、不合格確実のD判定やE判定ばかり。それでも東大受験を決意してからは、別人のように猛勉強しました。

 しかし、世の中、やはり甘くなかった。東大どころか、すべり止めのつもりで受けた私大も不合格。翌年、東大を目指して浪人することにしました。

 東大卒業後、証券会社を経て、ジャパネットたかたに入社。2015年、ジャパネットホールディングスの社長に就任した。

 証券会社を就職先に選んだのも、東大受験を決めたのと同じ理由からでした。メーカーや放送局に就職したら、コネ入社だと思われるのではないか。それで、その心配のない金融業界を選びました。会社を継ぐなら自分の力で継ぎたい。その気持ちは一貫していました。

 前社長はカリスマ性で社員を引っ張っていくタイプでしたが、私は私なりのやり方や考え方で経営のかじ取りをしていこうと考えています。その土台となっているのは、付設時代の自分自身の経験です。

 例えば、社員にはいつも、「職場環境にしても人事制度や教育制度にしても、生産性アップや自己研鑚のための環境は用意する、相談にも乗る、しかし、それを生かして成果を上げることができるかどうかは一人ひとりの自己責任」と言っています。

 また、私自身すごく大切にしている言葉に「自信は努力から」という言葉があります。これも付設時代、根拠のない自信で東大受験に失敗した苦い経験から学んだものです。この反省から、浪人時代の1年間は毎日10時間の勉強を欠かさず、2度目の東大受験の時は自信に満ちあふれた状態でした。

 今の若手社員と話すと、何かに付けて「自信がない」と口にします。では自信を付けるために何かしているか聞くと、何もしていない。それはダメ。自信がないと口にする暇があったら、自信がつくよう頑張りなさいと言っています。

 自主性や努力の大切さを社長就任から言い続けてきた結果、この3年間、自分が思ったより社員が力を発揮してくれていると思います。それが会社の成長にもつながった。ただ、これから先、会社として新しいことにチャレンジし続けていかないと、マンネリ化してしまう。新たなチャレンジに向けて頑張るタイミングかなと思っています。

 その時に社員がまた、自主性と努力を持ってどれくらい成長するのか楽しみです。
(ライター 猪瀬聖)[NIKKEI STYLE 2018年5月14日付]

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