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池上彰の現代史を歩く聖地エルサレム 壁と銃が支える共存の現実

池上彰の現代史を歩く 聖地エルサレム 壁と銃が支える共存の現実
=テレビ東京提供
authored by 池上彰東京工業大学特命教授

 中東に新たな危機が広がっています。アメリカのトランプ大統領が5月、イスラエルにある大使館をテルアビブからエルサレムに移し、正式に"首都"と認めたからです。エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。混乱は世界を巻き込みます。日本も決して無縁ではありません。そこで今回は現地の取材で見えてきた風景や人々の声を伝えます。この問題の将来を一緒に考えてみましょう。

抗議デモでパレスチナの死傷者2000人以上に

エルサレムについて、3つの宗教の聖地であることや歴史などを模型を使って解説する池上彰氏(左、エルサレム旧市街、5月)=テレビ東京提供

 「イスラエルの首都であるエルサレム」。トランプ大統領の長女、イバンカ氏は大使館を開く記念式典でこう強調しました。5月14日、アメリカはエルサレムにある領事館の建物を大使館に衣替えしました。イスラエルが70年前、建国を宣言した日でした。

 パレスチナの人々は黙っていませんでした。同日の抗議デモだけで、イスラエルとの衝突によって死者50人超、負傷者2千人以上と報じられました。反発はイスラム世界にも広がっています。中東のアラブ諸国とイスラエルとの関係は緊迫の度を深めています。

 イスラエルは「エルサレムに大使館を」と主張してきましたが、歴代のアメリカ大統領は双方に配慮し実行しませんでした。ところがトランプ大統領はお構いなし。連邦議会での中間選挙、大統領再選を有利にするために、アメリカ社会で大きな影響力を握るユダヤ人脈の支持を得たかったのです。

 「なぜエルサレムをめぐって争うのか」。いまの対立につながる中東の現代史を少し補っておきます。

 そもそもパレスチナと呼ばれる地域には、およそ2千年前、ユダヤの王国がありました。やがて、ローマ帝国に王国が滅ぼされ、国を追われたユダヤの人々とその子孫たちは迫害や差別を受けました。

 第2次世界大戦後、転機が訪れます。1947年、国連決議によって、パレスチナとイスラエルが共存する道筋ができました。大戦中、ナチス・ドイツに虐殺されたユダヤ人への心情も建国を後押しする要因の一つでした。ただし3つの宗教の聖地エルサレムは国際管理となりました。対立を避ける知恵でした。

 ところが、突然自分たちが住んでいる所に異教徒の国ができることになったパレスチナの人々や、その同胞でもあるアラブ諸国は国連決議に納得していませんでした。

 48年、イスラエルが建国宣言した後、エジプトなどアラブ諸国がイスラエルを攻撃し、第1次中東戦争が勃発します。四半世紀にわたり4度もの大きな戦争が繰り返されたのです。その過程で、イスラエルがエルサレムを占領し、実効支配しています。

 73年の第4次中東戦争では原油価格が急騰し、日本は石油ショックに見舞われました。企業の活動が滞り人々の暮らしに大きな影響が及びました。74年には戦後初めてマイナス成長に陥り、高度成長は転換点を迎えたのです。

民族分断の壁は全長450キロメートル

イスラエルが築いた壁(後方右)について、パレスチナ自治区に住む女性にインタビューする池上彰氏(左、ヨルダン川西岸、5月)

 では、イスラエルとパレスチナの対立の現実とはどのようなものなのか。5月初めに現地を取材したので紹介します。

 ヨルダン川西岸にあるパレスチナ自治区。イスラエルの居住地との間を隔てる巨大なコンクリート製の壁面には、「ここは野外刑務所」といった貼り紙や「石ではなく花束を」と描かれた大きな壁画がありました。現在、この壁は全長450キロメートルに達するそうです。

 「息苦しい生活です。自宅の屋上に出るのにイスラエル軍の許可が必要です」。壁の前で、沈痛な面持ちで語ってくれたのはクレアさん(45)。観光業を営んでいます。2003年のクリスマスシーズン、突然、壁の建設が始まり、一日で自宅が壁に取り囲まれてしまったのだそうです。

 自治区には、"世界一眺めの悪い"と呼ばれるホテルもありました。スイートルームからバルコニーに出ると、遠くの景色を遮るように壁が延々と続いていました。人々が、まるで閉ざされた空間に押し込められているようでした。

 イスラエルがフェンスと呼ぶ壁を築いた理由は「パレスチナのテロリストを防ぐため」。実際、壁ができた後、テロ発生件数は激減したそうです。巨大な壁が、イスラエルとパレスチナの共存を支えている厳しい現実がありました。

安息日を控え、帰宅前のイスラエル兵士(右から3人目)にインタビューする池上彰氏(右、エルサレム市街、5月)

 週末の安息日を控え、人々が家路を急ぐエルサレム市街も訪ねました。街中のバス停で、自動小銃を抱え、片手にジュースとスマートフォンを携えた女性兵士に話を聞くことができました。戦闘部隊に所属するというアカラ・ムサージさん(20)です。

 「(戦争への)恐怖はあります。でも国を守ることが私の役割です。それは安息日であっても仕方ありません」。イスラエルの若者には男女とも徴兵制度があります。兵士として訓練を受け、いつでも備えておかねばなりません。日々の暮らしに戦争への危機感があるのです。

 中東戦争で父親を失ったという元イスラエル兵士、ワルド・アロンさん(51)にも会いました。「アラブの人々が憎いわけではありません。私たちユダヤ人は、この土地に住み、国を守るためには、どんな相手とも戦います」。とても重い話でした。

宗教ではなく土地をめぐる争い

 実際に現地に暮らす人々の話を聞いてみると、お互いに信仰しているユダヤ教やイスラム教の教義が対立しているわけではないことがわかります。そこにあるのは、むしろ聖地エルサレムや祖国をめぐる土地の争い、政治の衝突であるといえるでしょう。

 この現実を乗り越える道筋が見えたこともありました。93年、ノルウェーによる水面下の仲介で、イスラエルとパレスチナによる和平への「オスロ合意」が調印されたのです。国際社会からも両者の共存への期待が高まりましたが、イスラエル首相の暗殺などもあり、その後の話し合いは進んでいません。

 本来、仲介役になるべきアメリカのトランプ大統領は新たな混乱の火種をつくり、パンドラの箱を開けてしまったのです。

 そこには2千年もの歴史と、複雑で難しい背景が絡み合っています。それならば、同じ神を敬う宗教の力でこの対立を和らげることはできないものでしょうか。

 日本にも経済協力や産業振興などを通じて、解決への糸口を探る試みが託されているのです。

取材メモから
(1)聖地エルサレムでは、信者は互いの信仰を大切にしている。
(2)紛争は宗教ではなく、聖地や国家など土地をめぐる争いである。
(3)中東の危機は、世界や日本にも関わる深刻な問題である。

◇    ◇

〈お知らせ〉 コラム「池上彰の現代史を歩く」はテレビ東京系列で放映中の同名番組との連携企画です。ジャーナリストの池上彰氏が、20世紀以降、世界を揺るがしたニュースの舞台などを訪れ、町の表情や人々の暮らしについて取材したこと、歴史や時代背景に関して講義したことを執筆します。


[日本経済新聞朝刊2018年6月18日付、「18歳プラス」面から転載]

※日経電子版に「現代史を歩く」「大岡山通信」「教養講座」を掲載しています。

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