日本経済新聞 関連サイト

OK
liberal arts-大学生の常識

人生を経済学で考えよう(21)職場で自分の素を出せるのは「いいこと」なのか?

人生を経済学で考えよう(21) 職場で自分の素を出せるのは「いいこと」なのか?
authored by 慶應大学 中室牧子ゼミ

 こんにちは。慶應義塾大学・中室牧子ゼミナールです。皆さんが、将来就職する際に一番重視することは何ですか。2018年卒業者を対象にした意識調査によると、大学生が就職先に求めるものは「楽しく働きたい」。一方、若者の離職理由として必ずと言っていいほど上位に来るのは「職場の人間関係がよくない」ことです。

 どう考えても、周りとの人間関係に悩まされる職場よりも、人間関係の悩みがない職場のほうが楽しく働けるに決まっています。職場における人間関係が良い職場の条件とは何でしょうか。今回は「心理的安全性」という概念に注目してみることにしました。

心理的安全性って何?

 「心理的安全性」という概念は、2012年に米Google社で行われた大規模労働改革プロジェクトである「プロジェクトアリストテレス」における調査結果が、米Harvard Business Reviewで発表されたことをきっかけに注目されるようになりました。この調査では、心理的安全性がチームの生産性や良質な人間関係に対してプラスの効果があることが示されています。

 心理学では、「心理的安全性」は「チーム内で対人関係におけるリスクを取っても安全であるという度合い」と定義されています。同僚に言いにくいことを言ったり、上司の誤りを指摘したりしても、それが昇格や異動で不利になることはないということが職場内で共有されているかどうか、ということです。

 過去の研究では、心理的安全性が高い職場には、様々なプラスの面があることが明らかになっています。例えば、ある研究では、心理的安全性が高いと、仕事に対する活力や創造性の高い職務へ取り組む姿勢の度合いが高まることが明らかになっています。また、心理的安全性が高いと、チームや組織単位での学習を促すことや、総資産利益率に対してプラスの効果があることを明らかにした研究もあります。

 多くの研究は海外のデータを使って行われた研究ですが、今回は、日本のデータを用いて、心理的安全性が職場における仕事満足度や意欲に与える影響を検証してみることにしました。分析の対象とした研究はリクルートワークス研究所が2012年に実施した「20 代~70 代の仕事における現在と未来についての調査」です。調査対象は20代から70代の全国の男女で、有業・無業を含みます。サンプル数は4800人。今回の調査対象とした有業者の数は3087人です。公表されている調査報告書には掲載されていない細かい分析を加えるために、私たちは調査の個票データを「東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJ
データアーカイブ」゙で取得しました。中室ゼミで正規雇用者の票を抜き出して、男女に分けた上で集計して分析を加えました。

仕事満足度が高い職場の特長は?

 その結果、心理的安全性が1単位増加すると、仕事満足度が2.75倍、仕事意欲は1.99倍の傾向があることが明らかになりました。仕事満足度においては、心理的安全性が一単位増加すると、男性の場合は2.65倍、女性の場合位は3.12倍仕事満足度が増加していることがわかりました。なぜ、女性の方が仕事満足度に対する心理的安全性の効果が高いのでしょうか。

 残念ながら、今回の分析では詳しいメカニズムを明らかにすることはできませんが、先行研究を元に仮説を考えてみました。日本では、コース別雇用管理制度という、新卒採用の段階で「企画立案、営業、研究開発等を行う業務に関するコース、いわゆる総合職」と「主に定型的業務に従事するコース、いわゆる一般職」に分けて採用が行われています。データによれば、総合職における女性割合は22.2%、一般職の女性割合82.1%となっており、多くの女性が定型業務を行う一般職に従事していることがわかります。一般職に従事する場合、異動やジョブローテーション、転勤がない場合が多いため、職場で良好な人間関係を築きやすく、それが仕事満足度や意欲に強い影響を与え、このような結果になったのではないかと考えられます。

 総合職に従事する労働者は異動、ジョブローテーション、転勤により、職場で悩みを相談できる人が少ないなど、良好な人間関係を築きづらい可能性があります。また、パート・アルバイト従事者に限った分析でも、労働時間や賃金などの待遇面の影響を制御しても、心理的安全性は仕事満足度や意欲を高める効果があることが明らかになりました。

 今回の研究では、総じて心理的安全性が高まると、仕事満足度や意欲が高まる傾向が示されました。特に、労働市場では比較的不利な立場になることも多い女性やパート・アルバイト従事者であっても、心理的安全性が仕事満足度や意欲に影響を及ぼす可能性があることは特筆すべきことです。

 昨今、少子高齢化を背景に、働き方改革の一環として、長時間労働の解消、正規・非正規社員の格差解消、高齢者の就労促進等が施策として挙げられていますが、労働者の満足度を高め、不本意な離職を防ぐような「組織風土」についてはまだ十分な検討がなされていないようにも感じます。無駄な長時間残業を削減したり、多様な働き方を選択できるようにするだけでなく、心理的安全性が確保することで、人間関係によるストレスを減らし、楽しく働ける職場にすることは重要なことではないでしょうか。今後は、「どうすれば、職場の心理的安全性を高めることができるのか」を明らかにするような施策とその検証が待たれるところです。

(中室牧子・星野恭平)

中室牧子・慶應義塾大学総合政策学部准教授は、教育経済学が専門。著書に『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。最新刊は写真の津川友介との共著『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法』(ダイヤモンド社)