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池上彰の現代史を歩く戦場の大地~ベトナムを伝えた一枚の写真

池上彰の現代史を歩く 戦場の大地~ベトナムを伝えた一枚の写真
テレビ東京提供
authored by 池上彰東京工業大学特命教授

 半世紀ほど前、ベトナムの大地は戦場となりました。東西冷戦時代、アメリカは共産主義から世界を守る「正義の戦い」を唱え、南ベトナムを助け、北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)と戦ったのです。ところが戦争は泥沼化し、米軍は撤退へと追い込まれました。なぜ、アメリカは負けたのか。現地を訪ね、当時を伝える報道や関係者の体験をたどります。

成長著しい東南アジアの代表国に

「安全への逃避」に写る子どもたち3人は成長し、元気に暮らしていた(右からリェンさん、フエさん、アインさん。戦争証跡博物館。ホーチミン)=テレビ東京提供

 インドシナ半島の東部に位置するベトナム社会主義共和国。人口およそ9300万人。成長著しい東南アジアを代表する国です。かつてサイゴンと呼ばれた大都市ホーチミンを訪ねました。2020年の開通を目指し初の地下鉄工事が進んでいました。日本が協力しているのです。

 30年前、注目された出来事がありました。下半身が結合した状態で生まれた双子の「ベトちゃんとドクちゃん」を分離する手術が行われたのです。手術は17時間もかかりました。これは米軍が戦争で使用した「枯れ葉剤」の影響とされています。健康被害は300万人に及ぶとみられ、いまも終わっていません。以前の取材で、ドクさんは家族を持ち、暮らしていました。しかし、兄のベトさんは26歳で亡くなっていました。

 北緯17度線を基準に軍事境界線が設けられ、南北に分断されました。北側のベトナム民主共和国(北ベトナム)をソ連と中国が、南側にできたベトナム共和国(南ベトナム)をアメリカがそれぞれ支援しました。分断された背景はドイツや朝鮮半島と同じ東西冷戦です。南ベトナムでは、独裁政権とこれに反発する解放戦線が衝突します。共産主義の広がりを恐れたアメリカは戦闘部隊を投入。解放戦線と戦います。65年になると北ベトナムが解放戦線を支援しているとして、北ベトナムへの爆撃を本格化させます。「北爆」と呼ばれました。

人々は報道で戦争の現実を知った

 この戦争には大きな特徴がありました。記者やカメラマンがいまよりも自由に戦地を取材し、記事や写真を世界へ配信できたことです。人々は新聞記事やテレビニュースを通じて、戦争の現実を知るようになっていきました。

 芥川賞作家の開高健氏は現地で取材し、コラムを執筆しました。名著「ベトナム戦記」ではベトナム人がいかに粘り強く、優秀であるかを記しています。彼がおよそ100日間滞在したマジェスティック・ホテル103号室には、開高氏に関する解説が刻まれています。

 歴史に残る一枚の写真があります。報道写真家、沢田教一氏による「安全への逃避」です。65年9月、川を泳いで逃げる2組の家族を撮影したものです。沢田氏はアメリカのジャーナリズム分野で最も権威のあるピュリツァー賞を受賞しました。

 写真の中の3人の子どもは大人になり、今回の取材で会うことができました。幼かったフエさんは「母は私を片手で抱き、深い川を泳ぎました」と説明してくれました。真ん中に写るリェンさんも「米軍が家を燃やしたり爆弾を落としたり、とても怖かった」といいます。左側に写るアインさんは「いつか殺されてしまうだろう。毎日そう思っていました」と、昨日のことのように思い出していました。

 沢田氏は撮影後、川岸に上がるように親子に声をかけ、助けたのです。沢田氏はベトナムの人々や米兵の表情を撮りました。残念ながら彼は70年にカンボジアで亡くなりました。34歳でした。サタ夫人によれば「戦争は破壊と殺し合いだ」と、語っていたそうです。

 米軍はジャングルでの戦いや地下トンネルからの襲撃に苦戦します。解放戦線のゲリラと民間人の区別がつきませんでした。ある米兵の「動くものはすべて撃った」という言葉には、心理的に追い詰められた様子がうかがえます。米軍が多数の民間人を殺害した事件では、世界から厳しい批判を浴びたのです。

 元兵士グエン・クィ・ヴィエンさん(76)の証言です。「私たちは祖国の独立と自由のために戦ったのです。多くの米兵は強制的にベトナムへ来ていたのでしょう」と、士気の違いを強調していました。

 当時、高校生だった私も水田を踏み荒らす米軍の戦車の写真を見て「ベトナムの人たちの稲への思いも知らないのでは戦争に勝てない」と感じました。アメリカが負けたのは、民族独立へのベトナムの人々の思いを理解できなかったからだと思います。

戦争の「正義」が問われた

 アメリカの人々はベトナム戦争を支持していましたが、世論を「撤退」へと方向転換させる大事件が起きます。68年1月、解放戦線によるテト攻勢です。テトとは旧正月のこと。正月の休みを狙って大攻勢をかけ、南ベトナムにあった米大使館を占拠したのです。

 人々は「米軍は負けているのか」「正義の戦いなのか」と疑問を抱くようになります。反戦運動が一段と高まりました。当時は徴兵制があり、若者は戦死する恐れがあったのです。

 アメリカの著名キャスター、W・クロンカイト氏が現地取材を踏まえ番組で語りかけました。その一部です。「この状況から抜け出すためには勝利者としての道を捨てるしかありません。民主主義を守る努力をしてきた名誉を胸にしまい、停戦交渉を始めることが唯一の方法だと確信するに至りました」。世論に大きな影響力を持っていた彼が「撤退」を訴えたのです。

地下トンネルで有名なクチで、ベトナムの歴史や戦争の背景について解説する池上彰氏(ホーチミン)=テレビ東京提供

 その後、ジョンソン米大統領は「私はどの政府でも、いつでも、どこでも、無条件で話し合う用意がある」と停戦交渉を呼びかけました。事実上の敗北宣言でした。やがてアメリカは73年に撤退。75年4月のサイゴン陥落を経て、南北ベトナムは統一へ向かうことになったのです。

 アメリカはこの戦いで、最大時には50万人もの兵士を投入。5万人を超える犠牲者を出しました。傷ついた帰還兵や薬物の問題などを抱え、米国社会に深い傷痕を残したのです。

 戦争全体の犠牲者や負傷者などは少なくとも数百万人に達するとみられます。ベトナムの民間人を含めた被害はあまりに大きく、言葉を失います。戦争に勝者も敗者もいないのです。

 この戦争は「メディアが終わらせた戦争」ともいわれます。人々が針路を決めなければならないとき、必要な情報を提供する新聞やテレビの役割を改めて知ることができるのです。

取材メモから
(1)ベトナム戦争は東西冷戦の米ソ対立を背景にした戦争だった
(2)記者がいまよりも自由に戦場を取材し、世界に伝えられた
(3)米軍による枯れ葉剤の影響とされる健康被害は終わっていない

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〈お知らせ〉 コラム「池上彰の現代史を歩く」はテレビ東京系列で放映中の同名番組との連携企画です。ジャーナリストの池上彰氏が、20世紀以降、世界を揺るがしたニュースの舞台などを訪れ、 町の表情や人々の暮らしについて取材したこと、歴史や時代背景に関して講義したことを執筆します。

[日本経済新聞朝刊2018年9月17日付、「18歳プラス」面から転載]

※日経電子版に「現代史を歩く」「大岡山通信」「教養講座」を掲載しています。

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