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liberal arts-大学生の常識

私たちのリアル(29)インドネシア伝統武術に魅せられて
~全ての始まりは第2外国語選択から

私たちのリアル(29) インドネシア伝統武術に魅せられて~全ての始まりは第2外国語選択から
インドネシア伝統の道着姿の麻生さん㊨とコーチ
authored by 中村泰子ブームプランニング社長

 何気ないことがきっかけで人生がドラマチックに展開するのは、ドラマの世界ばかりではありません。今回は、大学に入りなんとなく選択した第2外国語がきっかけで、たくさんの出会いが生まれ、チャレンジ精神と短期集中努力を重ねて慶応義塾大学(SFC)4年生でアジア大会に出場を果たした麻生大輔さんをご紹介します。

アジア大会「プンチャック・シラット」~唯一の日本選手慶応義塾大学4年(出場当時) 麻生大輔さん

 今夏のアジア大会といえば、日本の若手選手の大活躍が記憶に新しいところですが、開催国のインドネシア共和国と日本は今年国交樹立60周年にあたるそうです。麻生さんが大学入学時に選んだ第2外国語はインドネシア語でした。

■第18回アジア競技大会 アジア・オリンピック評議会(OCA)加盟の全45カ国・地域の約1万1千人もの選手が参加。五輪より多い40競技、465種目の中に、今回初めて採用されたインドネシア発祥の伝統武術『プンチャック・シラット』がありました。

 伝統や礼儀が重んじられる『プンチャック・シラット』は約1000年の歴史があり護身術としても人気で、東南アジアを中心に世界で約40カ国、競技人口は約10万人とか。日本での知名度はかなり低く、競技者も少ない中、日本代表としてただ一人参加したのが麻生大輔選手です。決勝には進めませんでしたが、ご本人も1年半前まで夢にも思わなかったアジア大会への道のりを伺いました。

インドネシア留学から帰国後に道場入門

留学当時。右奥が麻生さん

 「全ての始まりはインドネシア語を選択し、良い教授との出会いがあったことです。大学2年になり在学中にどこか海外へ行きたいと思っていた矢先、教授の勧めでインドネシア政府が募集していた、学費免除、滞在費無料の国費留学制度に応募し、2014年9月から1年間、インドネシア中部ジャワ州ソロ国立大学に留学。留学中は2人のウズベキスタン人と3人でシェアハウスし生涯の友レベルに仲良くなり、会話は最初は英語でしたが後半は全てインドネシア語だったので語学も上達しました」

 「シラットは、大学の学園祭でやっていたシラットショーで初めて知り、地元の子ども達の演武を観てぼんやりと興味を持った程度でした。が、帰国後、もともと格闘技好きで(ブラジリアン柔術等)、何かしら武道や格闘技を学べたらなと思い、シラットは見たことあるし伝統的な文化も感じる、インドネシア語もできるし学びやすいかなくらいの理由ではじめることにしました。」

<2017年2月>
「シラットのいろいろな流派を見て回り、今大会の監督をしてくださった尊敬する師匠、インドネシア大使館職員のユリ・ブルワントさんが指導される『ムルパティプティ』に入りました。初心者も受け入れてもらえるアットホームな雰囲気が自分に合っていると感じたからです。稽古場は、目黒の東京インドネシア共和国学校、通称『バライ』の体育館。最初は年齢も中学生~50代と様々で、男女混合、日本人は少なく、インドネシア、イギリス、セネガル、韓国、中国他、いろいろな国の人たちが一生懸命練習していてなんでだろう?と不思議な気がしましたが、この環境も好きだなと」

■プンチャック・シラット 演武部門(トゥンガル) 「素手」と「ゴロック」と呼ばれる剣「トヤ」という約170センチのしなるラタン製の棒を順に使い、3種で100通りの規定の動き(形)を3分間ぴったりで演技するもの。演技時間前後15秒以上で失格、前後5秒以上でペナルティ。音楽もなく、無音の中で3分間集中力マックスに、技術点と芸術点で競われる。プンチャック・シラットのスポーツシラット競技はファイティング部門と演武部門にわかれ、麻生さんは演武の個人部門に出場。

「アジア大会を目指してみないか」師匠の言葉に発奮

インドネシアのスーパースター2人に指導して頂く(中央が麻生さん)

<2017年5月>
「同じ頃に入った歳も近い男子と一緒に練習に励んでいたある日、先生にアジア大会を目指してみないかと声をかけられました。突然のことに驚いたものの、いろいろ上達できる良いチャンスかなと挑戦してみようと決意しました。ただ、そのときは『トゥンガル』って何?の状態。無謀にも、同年9月にインドネシア西ジャワ州バンドンで行われる世界選手権パク・グミ杯大学生部門へいきなり出場することになり、週3夜の練習に加え、5月からは週1で朝稽古もしていただきました」

 「動きを覚えるのに苦労しました。1回に20の動き(形)を覚えながらわけて練習し、約1ヶ月で100の形を覚え、週3の稽古で振り写しは約2ヶ月半かかりました。9月の世界大会で世界レベルを目の当たりにし、良い刺激を受け、その後12月には日本プンチャック・シラット協会(JAPSA)のはからいで、インドネシアとシンガポールの代表選手に直接指導を受ける機会を得、やる気に火がつきました。しかし、本当にアジア大会に出て戦えそうだなと思ったのは、大会直前インドネシアへ合宿に行ってからです」

本番は点数伸びず悔しい思い。チャレンジ続ける

 「JAPSAにご尽力頂いたお陰と、12月に日本に教えにきてくれた海外選手とも仲良くなっていたので、インドネシア代表チームに1人入れてもらい、大会前の約1カ月間、アジア大会開催会場を直接使って現地コーチから集中特訓が受けられた事は本当にありがたいことでした。生活も共にし他チームなのに応援してくれる環境でしたが、ライバルたちの練習も間近で見られて勉強にもなり闘志もわき、毎朝5時半起床、自主練含め毎日約5時間練習し、3分間で演じるイメージトレーニングも重ねて大会へ臨みました」

本番は緊張の中にも大きなミスなく演じきることができた

家族も応援

 「本番は緊張の中にも大きなミスなく演じきることがでました。自分の力は発揮できたのでホッとしたものの、点数は伸びなかったので悔しい思いもあります。また克服してどこかでリベンジしたい。世界選手権も2年に1度あるので、チャレンジは続けたいですね」

 現地で観戦されたムルパティプティ派 マネージャー、清宮史枝さんによれば「麻生選手は3分2秒の演武ながら、良い仕上がりのライバルたちはきっちり3分を連打。質の高い接戦でわずかの差の結果だった」とのこと。1年半の努力と集中力はあっぱれです。

恩師ユリ先生と

 麻生さんは、普通に大学に通いながら大会出場、試合の前後には、多くの取材をうけ、TVや新聞にたくさんとりあげられました。彼の活躍は日イ文化交流にも大いに貢献されたのではないでしょうか。9月にSFCを卒業し、得意の語学を活かして決まった就職先で、10月1日から今度は社会人として新たな人生のスタートをきられました。気になる今後は、会社の迷惑にならない範囲でシラットも続けていくとのことです。

 「恩師ユリ先生の動きをすごいなーと思う。美しい動き、演武でいい点出すこと、ムルパティプティとして頑張る。先ずは自分自身が人にはできない動きができるようになったら楽しくなると思うから」。シラットへの素直な思いが印象的でした。9月24日には昇段試験にも合格した麻生さん、彼の活躍がきっかけで、日本でも、もっとシラットが広まると良いですね。 

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 日本インドネシア国交樹立60周年、10月21日は代々木公園で日本インドネシア市民友好フェスティバルがあります。シラットショーでは、麻生さんの演武も観られます!