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池上彰の大岡山通信 若者たちへ動乱の1968年
叫んだ「変革」何だったのか

池上彰の大岡山通信 若者たちへ 動乱の1968年  叫んだ「変革」何だったのか
authored by 池上彰東京工業大学特命教授

 いまから50年前の1968年は、不思議な年でした。世界中で若者の反乱が同時多発的に起きたからです。一体なぜだったのか。いまフランスやチェコなどを回りながら、当時の様子を取材しています。

 この年、日本では東京大学と日本大学でほぼ同時に学生たちの「異議申し立て」が起きました。東大は医学部学生の処分撤回要求であり、日大は大学による使途不明金の疑惑解明要求と、内容は異なっていたのですが、これをきっかけに全国の大学に学生運動が広がりました。69年になると東京工業大学では学生寮の規約改正をめぐって学生自治会がストライキにはいりました。

 東京の神田には日大のほか明治大学や、当時は中央大学のキャンパスもあり、学生たちと機動隊が路上で激しく衝突。この様子を当時のマスコミは「日本のカルチェ・ラタン」と呼びました。

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 「カルチェ・ラタン」とはフランス・パリの学生街のこと。当時フランスでも学生たちの「異議申し立て」が激しく、学生街で警官隊と衝突を繰り返していたからです。

8年ぶり、ほぼ全学部がストに入った東大構内でデモをする学生(1968年6月、安田講堂前)

 この運動は、その後「五月革命」と呼ばれるようになります。ドゴール大統領の退陣につながっていったからです。

 この年、西ドイツでもカリスマ的指導者ルディ・ドチュケ指導の下、学生運動が盛り上がり、その中から過激な「ドイツ赤軍」が生まれます。この様子など、日本の学生運動の過激化から「日本赤軍」が誕生したことを髣髴(ほうふつ)とさせます。

 一方、米国内では黒人差別撤廃を求める公民権運動の指導者だったマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されました。全米各地の大学ではベトナム戦争反対の集会も開かれ、出動した州兵によって学生がキャンパス内で射殺される事件も起きました。

現在の東大安田講堂

 当時は東西冷戦時代。東側においても体制変革の動きが起きました。チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離)では共産党が民主化へと動き出しますが、ソ連軍をはじめとするワルシャワ条約機構軍の戦車部隊によって押しつぶされます。いわゆる「プラハの春」です。

 どうして東西両陣営の内部で同時に体制への「異議申し立て」が起きたのか。このうち東側では、ソ連でスターリン批判が起きたことをきっかけに体制への不満が爆発しました。

 一方、西側では激化するベトナム戦争への嫌悪感が広がっていました。

 日本やドイツ、フランスでは自国政府が米国政府と共同歩調をとっていることへの不満や、共産主義運動組織がスターリン批判を契機に分裂し、一部が過激化したことも要因でした。

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 しかし、それ以上に戦後十数年たって安定してきた社会への不満や変化を求めた若者たちの情熱が一気に噴き出たのでしょう。

大学で講義をする池上彰氏

 当時、先進国では大学の大衆化が進んでいました。それまで一握りのエリートでしかなかった大学生の数が激増。そんな中で自分の立ち位置を模索した学生たちが多かったのだと思います。

 当時の大学生たちは、あらゆることに怒りを募らせ、「変革」を求めていました。彼らが求めた「変革」とはなにか。立て看板が全くなくなった平和なキャンパスを見るたびに、答えが見つからない問いを立ててしまいます。

[日本経済新聞朝刊2018年10月8日付、「18歳プラス」面から転載]

 ※大岡山は池上教授の活動拠点である東京工業大学のキャンパス名に由来します。日経電子版に「現代史を歩く」「大岡山通信」「教養講座」を掲載しています。

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