社会主義大国・ソ連 失敗省みぬ独裁、停滞招く
1991年12月、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊しました。労働者と農民による国家をうたい文句に社会主義大国を築きましたが、軍事力の増強に伴う財政悪化や経済の停滞に陥りました。東西冷戦の末期、世界に民主化の潮流が広がるなか、自ら改革できなかったのです。いまはロシアの首都であるモスクワを訪ね、その歩みを振り返ります。
■社会主義の"ショーウインドー"に
今回の現代史を巡る旅は「赤の広場」からスタートです。政治の中枢部クレムリンや大きな玉ねぎのような屋根を備えた大聖堂を望むことができます。
クレムリンの向かいにはグム百貨店。かつては社会主義の豊かさをアピールする"ショーウインドー"でした。いまは本当に買い物ができる店となり、きらびやかな店内にはブランド品や化粧品などがあふれ、買い物客で混雑していました。
少し歩くと経済学者カール・マルクスの像を見つけました。19世紀、思想家でもあったフリードリヒ・エンゲルスと起草した共産党宣言の一節「万国の労働者よ、団結せよ」が刻まれています。
多くの中国人観光客が記念撮影をしていました。現在の中国もマルクス主義によって建国されました。すっかり資本主義経済を実践するようになった中国の人たちは、どんな思いでみているのでしょうか。
モスクワでは核戦争に備え、地下65メートルに建設された旧・秘密司令部を見学できます。「バンカー42」です。核シェルターを備えます。サッカー場ほどの広さがあり、およそ2500人が90日程度生活できます。冷戦時、関係者は地下鉄駅の職員に変装して、地下鉄のホームから内部に入ったそうです。
50年代、住宅難だったころに建てられた国有団地「フルシチョフカ」がいまも使われています。きれいにリフォームされた1LDKほどの部屋に住むエフゲニアさん(34)に会いました。「約1千万円で購入しました。ソ連時代には5~6人の家族が住むこともあったそうです」
街を歩くだけでも、ソ連の時代の名残に触れることができます。少し歴史をおさらいしておきましょう。
17年、ロシア革命によって帝政ロシアの時代が終わり、混乱の中で指導者ウラジーミル・レーニンが権力を握りました。22年にはソ連が誕生します。後に赤色の国旗にも描かれるハンマーと鎌のデザインは、労働者と農民のシンボルでした。
■「スターリンを後継者にするな」
24年にレーニンが亡くなり、ヨシフ・スターリンが後継者となりました。およそ30年、ソ連を支配します。スターリンとは「鉄の男」を意味する活動家名です。
ソ連は第2次世界大戦で、ドイツ軍と激しい攻防を繰り広げました。大戦では2千万人を超える犠牲者・行方不明者を出したとみられます。大戦後は資本主義陣営と対峙し、社会主義圏を拡大します。周辺国を戦争に備えた緩衝地帯にする狙いがありました。
スターリンが53年に死去すると、偉大な指導者を失ったソ連の人々は悲しみました。日本にも株価暴落となって波及しました。
ところが、ソ連共産党の中央委員会委員などが多数粛清されたことが暴かれ、世界に衝撃が広がりました。犠牲者は数百万人に及ぶという分析もあります。レーニンが「スターリンを後継者にするな」と遺言していたといわれます。粗暴で疑い深いといわれた性格を危惧していたのでしょうか。
ウラジーミル・サフィル元ソ連軍大佐(94)の証言です。「多くの自国民を殺害したリーダーを持つ国は長く存在する資格もない。スターリンは私の多くの仲間を迫害し、殺した。戻ってこない命を数え上げるのは、もうたくさんです」
日本はソ連と56年、日ソ共同宣言に調印して国交を回復。国連加盟へと動き出しました。ただ、北方四島の帰属を巡る議論は決着せず、平和条約は締結されませんでした。ところが、このほど日本とロシアの首脳は、同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意しました。歴史は動いています。
ソ連はアメリカとは直接戦火を交えなかったものの、核兵器開発などの軍拡競争が財政の大きな負担になっていきます。79年に始まったアフガニスタン侵攻では、イスラム圏の兵士を敵に回して泥沼化しました。
一方、農業や工業は行き詰まり経済の停滞を招きます。人々は計画に沿って指示通りに働くことに慣れ、創意工夫ができませんでした。ソ連共産党幹部らは高齢で有効な改革を打てませんでした。
そんな危機感から85年、54歳のミハイル・ゴルバチョフ書記長が誕生します。彼はペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)、新思考外交を推し進めます。89年にはアメリカと冷戦終結を宣言します。
■ソ連時代を懐かしむ声も
当時、世界は民主化へと動き始めていました。ゴルバチョフ氏の改革に危機感を抱いた共産党保守派は、91年にクーデターを起こして対抗します。ここでロシアのボリス・エリツィン大統領と多くの市民がクーデター反対を唱えて立ち上がりました。
10万人ともいわれるデモに参加したドゥボフ・ボリスさん(69)の証言です。「共産党は汚職がひどく、賄賂無しには何もできない国になっていた」。ソ連の時代に戻りたくなかったのだそうです。
クーデターを境に、ソ連と連邦を構成するロシアと主役の座が逆転。エリツィン大統領は共産党の解散を命じ、ソ連を維持できなくなります。やがてクレムリンにはロシアの旗が掲げられました。
ところが意外な発見がありました。世論調査によれば50%以上の市民が「ソ連時代が懐かしい」と感じるそうです。
取材したある男性は「当時は同じ条件で平等。いまは格差が大きく、人々は憎み合っている」と嘆いていました。土産物店では「若者にスターリンのお土産が人気です。尊敬する人が増えているようです」と教えてくれました。
最後に新聞社「ノーバヤ・ガゼータ(新しい新聞)」を訪ねました。政権に批判的な論調で知られます。創刊25年で、何者かによって記者6人が殺されました。
こうした事態に編集長のセルゲイ・コジェウロフさんは「独立した新聞で働く『誇り』が勇気を与えてくれます」と語りました。反対意見を力で封じるスターリン時代の記憶がよみがえります。
ソ連の歴史を振り返ると、理想を実現することの難しさがわかります。独裁者がいると誰も反対できず、失敗を改めることができません。これは現代にも通じます。ソ連の歩みは国づくりとは何かを考えさせてくれる手本でもあるのです。
〈お知らせ〉
コラム「池上彰の現代史を歩く」はテレビ東京系列で放映中の同名番組との連携企画です。ジャーナリストの池上彰氏が、20世紀以降、世界を揺るがしたニュースの舞台などを訪れ、町の表情や人々の暮らしについて取材したこと、歴史や時代背景に関して講義したことを執筆します。
[日本経済新聞朝刊2018年11月19日付]
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