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いでよファースト・ペンギン(下)南三陸を林業で復興、
3人の「よそ者」が仕掛ける

いでよファースト・ペンギン(下) 南三陸を林業で復興、3人の「よそ者」が仕掛ける

 宮城県南三陸町。東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた町に、ポツリ、ポツリと「復興のシンボル」が生まれつつある。地元の森林から切り出した木材で建てた「木の家」だ。シックハウスとは無縁の木の家を互助組織で安く建て、ゆくゆくは林業の復活にもつなげる。プロジェクトを仕掛けたのは被災地に乗り込んだ3羽の「よそ者ペンギン」だった。

木で建てる百年住宅

 木の家を建てているのは2013年に発足した「南三陸木の家づくり互助会」だ。地元森林組合の助けを借りながら、会員が自ら木の伐採や木材の乾燥、家屋の棟上げを手伝うことで建築コストを下げている。仕組みを発案したのは建築家で筑波大学名誉教授の安藤邦広だ。宮城県出身の安藤は震災後、足しげく被災地に通い「地域の高齢化や産業振興、森林保全を考慮するなら、復興住宅はプレハブより木の家にすべきだ」と提唱してきた。

 安藤は日本古来の「板倉構法」を現代によみがえらせようとしている。厚い杉の板をふんだんに使う構法である。日本人は昔から、蔵や神社といった大切な建物を板倉構法で建ててきた。その耐久性は奈良の正倉院や全国に残る古い神社が証明している。木には室内の温度や湿度を一定に保つ力があり「冬暖かく夏は涼しい」(安藤)。夏にクーラーを使う頻度が減り、冬場は結露が少ないのでカビが生えにくい。安藤はこの構法を現代の耐震・耐火基準に合わせて進化させ「百年持つ木の家」を設計した。安藤が設計した福島県いわき市の仮設住宅群は「住みやすい」と被災者に評判で、全国から見学者が訪れた。

「規格化・均質化された建築に豊かさを取り戻したいと語る筑波大学名誉教授の安藤邦広さん

 「木の家を増やそう」と呼びかける安藤の講演を聞いて「これだ」とひらめいたのが、南三陸でボランティアをしていた渡辺啓である。仙台生まれ東京育ちの渡辺は、東京でログハウスの営業マンをしていた。被災した親戚を応援するため会社を休んで南三陸に駆けつけたが、すぐに「長期休暇で何とかなるレベルではない」と感じた。会社を辞め、町の臨時職員になった渡辺は、全国から集まるボランティアを受け入れる仕事を続けているうちに、地元に住む病院職員の女性と知り合い、結婚した。

 渡辺自身、鉄板に囲まれた仮設住宅に住み始めて3年半になる。冬寒く夏は暑い仮設住宅で暮らすうちに、住宅への関心が強くなった。高台移転が始まれば仮設で暮らす人々はみな家を建てることになるが、いったいどんな家を建てればいいのか。そんなことを考えているとき、偶然、安藤の講演を聞いた。

 「都会で暮らす若い人は効率のいいコンクリートの家でいいかもしれないが、田舎で暮らす高齢者や子供は人にやさしい木の家に住むべきだ」という安藤の話に感激した渡辺は、安藤を訪れて協力を求めた。

 ちょうどその頃、安藤と渡辺がやろうとしていることを、たった独りで実行しようとしている男がいた。レーマン・フランク。米フロリダ大学で英語教育を専攻したフランクは英語教師として南三陸を訪れ、そこで地元の女性と結婚した。震災後、建築を学ぶために一度、米国に帰り、南三陸に戻って自力で山小屋を建てた。妻の実家から相続した山の木を伐採し、米国から持ち込んだ製材機で柱や板を作り、地元の人たちの手を借りて棟上げをした。

根付け、グリーンツーリズム

震災後、レーマン・フランクさんは自力で山小屋を建てた

 効率一辺倒の在来型林業は山に重機を入れて端から見境なく木を切り倒す。後に残るのは無残な「はげ山」だ。だから木を切る林業は環境破壊と受け取られがちだ。しかし木材が不足した戦後復興のとき、国の方針で成長が早い杉ばかり植林した日本の森林は、実は不健全な状況にある。多すぎる杉を適度に伐採すれば、森は多様性を取りもどして健康になる。大学で英語と一緒に植物学も学んだフランクは、そのことを知っていた。だからフランクは、これから育つ若木が傷つかないように気を配りながら、老木だけを倒す。そうすれば日あたりが良くなった地面から、様々な樹木の若芽が伸びる。

 フランクは完成した山小屋をゲストハウスにして、体験型ホームステイのサービスを始めた。フランク自身が南三陸の豊かな海や山に宿泊者を連れ出し、津波の痕跡を見せたり、カヤックに乗せたり、草花の名前を教えたりする。「グリーンツーリズム」を南三陸の観光資源に育てようという狙いだ。

 「地元にある豊かな森林資源を使って住み心地のいい家を建て、森林を守りながら林業を復活させる」

 同じ思いを持った安藤、渡辺、フランクらの働きかけに地元の人々や支援者が賛同し、13年9月、「南三陸木の家づくり互助会」が発足した。会員たちは営林署の元職員に伐採を習い、製材所で丸太を乾燥させる作業を手伝い、大工の棟梁(とうりょう)の指示に従って板倉の家を組み上げる。こうした人海戦術により、大手ハウスメーカーの住宅が坪80万円するところを、坪50万円にまで引き下げた。地元産の木材を使うと、宮城県と南三陸町からそれぞれ50万円ずつの補助が出るようにもなった。

「木こり修業中」の渡辺啓さん

 林業を復活させるためには、人材を育てなければならない。かつて地元に17軒あった製材所が今は4軒。「木こり」も悩みの種は後継者不足だ。そこで渡辺は14年10月、合同会社「波伝の森山学校」を立ち上げた。都会から大学生や若い社会人を呼び、伐採や製材、森林整備を体験してもらう学校だ。2カ月に1回、20人から40人が体験に来る。渡辺自身も木こりになるため、青森の営林署で働いていた師匠について修業をしている。

 戦後しばらくして、安い外国産の木材が輸入されるようになると、国産の木材はほとんど使われなくなった。国に手厚く保護された農業とは対照的に、国内の林業は忘れられた産業になった。その結果、大量の杉を植林した全国の山々には人の手が入らなくなった。杉だらけの荒れた山から大量の花粉が飛び、花粉症の原因にもなっている。「日本の森林はパッと見、緑豊かに見えるが、実は荒れ放題の状態」と安藤は言う。

南三陸は宝の山

 だが環境の視点では「荒れた山」も、資源として見れば「宝の山」に変わる。南三陸には復興住宅を全部、板倉構法で建ててもなお余りある豊かな森林資源がある。それを伐採、製材する林業が復活すれば、外材に頼らなくても自給自足で復興できるのだ。

 地元の人々が忘れていた森林資源の存在に気付いたのは、外から南三陸に入ってきた3羽の「よそ者ペンギン」だった。被災地を復興させるという強い気持ちが、彼らを、リスクを恐れぬファースト・ペンギンにした。安藤と渡辺とフランクは今も毎晩のように、製材所で出た端材を燃やすペレットストーブを囲みながら、南三陸の林業を復活させるための策を練っている。=敬称略
(編集委員 大西康之)[日経電子版2014年12月24日付]

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