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グローバルZEN問答(4)「良いこと」は難しい
~本当の“世のため”とは

松山大耕 authored by 松山大耕臨済宗大本山・妙心寺退蔵院副住職
グローバルZEN問答(4) 「良いこと」は難しい~本当の“世のため”とは

 「いつかはクラウン」「ケンとメリーのスカイライン」「ジョニクロ」。ひと昔前は、日本国中、誰もが羨むようなステータスがありました。会社で出世をし、大きな車に乗って、一軒家を建てる。世間には確固たる成功のパターンがあり、それらを所有することが万人に共通の夢でした。

 しかし、2015年の日本にはそういったものはありません。価値観が多様化し、誰もが感じるステータスやシンボルはなかなか見出すことができなくなりました。では、今を生きる若者は何をモチベーションとして生きているのでしょうか。

「ソーシャル」という文字が増えた理由

 最近、大学生や20代社会人向けのセミナーの広告を見ると、さまざまな場面で「ソーシャル」という文字を目にします。ソーシャル・ワーカー、ソーシャル・アントレプレナー、ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・メディア......。「ソーシャル」とは、社会的な・社交的なという意味ですが、人間関係を重視し、社会とのつながりを求めていく。つまりは、世のため人のためにつながる活動が重んじられるようになってきた証だと思います。

 「近頃の若いもんは」というセリフはメソポタミア文明の碑文の中にもあるそうですが、ひと昔前よりも、「今の若いもん」のほうがよっぽど殊勝な志を持っているような気がします。しかし、「いい人」が多い若者たちの姿を見て、私は違和感を覚えることもいくつかあります。

 先日、途上国の子供たちに教育プログラムを提供する活動をはじめた学生さんにお会いしました。途上国、しかも、地方に住む子供たちには、なかなか教育の機会が与えられない。そういった子供たちにもネットを使って一流の教育を安価に提供できれば、社会が変わっていくのではないか。そういう思いから、活動を始めたそうです。大変すばらしいビジョンを持っていて、彼からは世のため人のために尽くそうという気持ちが溢れていました。

 しかし、じゃあ、どうやってその資金をねん出しているのか、と尋ねたところ、まずは自分が講演などをして得た資金からやりくりしながら、寄付を募って活動していると答えてくれました。「確かに君のやっていることはすばらしい。でも、それでは長続きしないんじゃないか。ぼろ儲けをする必要はないけれども、仕事に見合った対価を得ないと、せっかくの良い活動もすぐにダメになってしまうよ」。私は彼にそう助言しました。

持続的に社会貢献をするには

 NGOでもNPOでもソーシャル・ビジネスでも、日本では社会的な活動は身銭を切って無償に近い形でやらねばならないという風潮がいまだに残っています。しかし、どんなに良いことをしていても、自分の身を削り続けることはできません。良いことをするには、それに見合った対価を得るのは必要不可欠です。

 そして、良いことというのは精神的にもかなりのタフさが求められます。社会に貢献したいという若者は多いですが、金銭的にも精神的にもボロボロになってしまう人をたくさん見てきました。すばらしい志を持つことも重要ですが、継続して活動できる仕組みと、自分自身の心のケアができてはじめて持続的に社会貢献ができるのです。

 アンパンマンだって、食べさせ続けていたら顔がなくなってしまうのであって、ジャムおじさんの存在は必要不可欠です。「良いひと」に限って、そこが欠けている人が多く見受けられます。若者には是非、ジャムおじさんのような身も心も満たしてくれる存在を見つけてほしいと思います。

 そして、もう1点気になるのは「良いことをしたい」という気持ちが、必ずしも良いことにつながらないということです。昨年、ダボス会議に出席しましたが、ある学者さんとの会話が印象的でした。

 「ここには世界中からお金持ちが集まります。彼らは到底自分ひとりで使い切れないほどの資産を持っています。だから、何か世の中に貢献したい。しかし、私が危惧しているのは、良いことをしたいという気持ちが必ずしも良いことに繋がっていないということです。

 お金持ちの人は世界中から「良いこと」を探し求め、彼らをサポートしたいと考えます。たとえば、アフリカの途上国ですばらしい活動をしているNPOがあったとします。お金持ちは「良いこと」をしたいから、彼らに何百万ドルもの資金を援助します。そうすると、どうなるでしょうか。

社会貢献とエゴイズム

 今まで、何とか自分たちの力でなんとかやりくりして運営をしていたところに巨額の資金が提供されたとしたら。そこには突然、利権が生まれます。そして、ねたみや恨みが発生します。今まで地道に社会貢献していた活動が、突然巨額の援助を得ることで、かえって「良いこと」ができなくなってしまう。そんな場面を数々目の当たりにしました。日本は寄付の文化がないと嘆いている人も多いと聞きますが、寄付することが必ずしも社会貢献に繋がらないことも多々あるのです」

 この視点は非常に重要です。「良いことをしたい」という気持ちは大切なことです。しかし、相手の結果も顧みず、その思いが独りよがりのものであったとしたら、それは自己満足にしかすぎません。「せっかく良いことをしてやったのに」「彼らのためを思ってやってきたのに」そう思うこともあるでしょう。しかし、自分の思いが相手のため、世の中のためになっていないのであれば、それは社会貢献ではなく、単なるエゴイズムです。あくまでも謙虚に節度をもって社会と接する。気持ちだけが先行して、その姿勢が欠けている人も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

 社会に貢献したいという志は尊いものです。しかし、社会はそんなに単純なものではありません。まずは、自分自身をしっかりと顧み、物質的にも精神的にも自立を果たし、謙虚な態度で社会に接する。そこではじめて、真の意味で世のため人のためになる活動ができるのではないでしょうか。

松山大耕(まつやま・だいこう) 臨済宗大本山・妙心寺退蔵院副住職。1978年京都市生まれ。2003年東京大学大学院農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺での3年半の修行生活後、2006年より現職。外国人に禅体験を紹介するツアーや国内外での講演などを通じて、禅や日本文化の発信を続けている。政府観光庁のVisit Japan 大使、京都市の京都観光おもてなし大使も務める。著書に「大事なことから忘れなさい」(世界文化社2014年)がある。

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