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規制緩和は何のため(7)なぜバスが足りないのか
観光立国への長い道のり

戸崎肇 authored by 戸崎肇早稲田大学教授・経済学者
規制緩和は何のため(7) なぜバスが足りないのか観光立国への長い道のり

 日本の観光政策が足元から崩れようとしていています。観光バスが足りないのです。中国をはじめ、海外からの観光客が多く訪れる北海道では、正規の営業許可を得たバス会社の車両が需要に追い付かず、潜り営業の「白バス」が横行し始めています。白バスは安全面などの管理に問題があり、利用者にとっては望ましい事態ではありません。なぜこのようなことになったのでしょうか。

新規参入を促し、競争自由に

 バス事業は乗合バス事業と貸切バス事業に分かれます。乗合バスは定められた路線を定期的に回り、乗客を乗り降りさせるもの。私たちの日常生活にとってとても身近な存在です。これに対して貸切バスは、バスを運転者ごと借り切って、自分の好きなところに運行させます。スキーツアーなどに使われるバスを思い浮かべるといいでしょう。

 バス事業は公共性が高く、安全性をしっかりと担保しなければならない観点から、長らく需給調整規制が行われてきました。しかし、規制で守られているために、創意工夫がこらされませんでした。効率が悪く、サービスも悪いという批判を受け、規制緩和によって事業者間の競争を促進することになったのです。

高級感あふれる観光バスも登場した。座席数はわずか10席

 2000年、貸切バス事業が先行して規制緩和されます。従来の需給調整規制を前提とした免許制を廃止し、輸送の安全性を担保できるような要件を備えているかを審査する、許可制に移行したのです。同時に、運賃の設定に関しても、事業者の創意工夫をこらして多様な運賃を設定できるようにしました。

 この結果、大きな変化が表れました。貸切バス事業への新規参入が増え、一気に過当競争の状態になったのです。運賃は下落の一途。それはそれで利用者にはありがたいことですが、貸切バス事業者の経営状態は悪化し、労働者の待遇も下がっていきます。バス事業の安全性を担保するのは、何よりも個々の運転者です。彼らが過酷な労働環境に置かれることによって、重大事故が起こる素地が形成されていきました。

ツアーバスの深刻な事故

 2007年2月のこと、長野県のあずみ野観光というバス会社が、大阪府でモノレールの橋脚に衝突し、乗務員・乗客に死傷者を出してしまいます。この会社は家族経営の零細企業で、過労運転が事故の原因でした。2012年には、関越自動車道で北陸から東京ディズニーランドに向かっていたバスが側壁に激突。7人の死者を出してしまいました。こちらの原因は運転者の過労による居眠り運転。いずれもツアーバスと呼ばれるもので、バス事業の規制緩和の問題を鮮明に浮かび上がらせることになりました。

海外からの観光客が急増。観光バスの利用も盛んに

 ツアーバスは旅行会社がツアーのためとして貸切バス事業者からバスを借り、都市間輸送サービスをあたかも乗合バスのように提供するものです。正規の乗合バス事業であれば、バス停を設置しなければなりませんし、乗務員の労務管理もしっかりと行わなければなりません。

 しかし、ツアーバスはあくまでも「貸切」として、そのようなルールに従わず、駐車場などで旅行会社の社員が利用者をチェックし、運転者は長距離運行を交代要員なしで1人でこなします。労務管理がずさんなため、関越自動車道の事故を引き起こした運転者の場合は所属するバス会社以外でも、アルバイトとして運転していたことからくる過労運転でした。

安全対策へ管理強化

 関越自動車道の事故を重く見た政府は、対策に乗り出します。2012年7月、それまで高速乗合バスと高速ツアーバスに分かれていた管理体制を「新高速乗合バス制度」として一本化し、ツアーバスへの規制を強化しました。異例ともいえる素早い政府の対応でした。それほど、ツアーバスを問題視する動きが強かったということです。

 このツアーバスは、全国各地の乗合バス事業にも大きな影響を与えました。そもそも乗合バス事業は総じて厳しい経営環境にあります。人口減に加え、マイカーの保有率が高まったことから、需要層の急激な減少に見舞われているからです。

 長期的なデフレ経済を背景に、長距離を中心とする都市間のバス輸送は大きな人気を博してきました。大手のバス事業者は、そこからあがる収益で、低採算のローカル路線の運営を維持しているのです。その収益性の高い部分をツアーバス事業者に浸食されることで、経営が行き詰まっていくのです。03年8月に、経営が悪化した熊本県の九州産業交通が、政府系の産業再生機構(当時)の支援を受ける事態になりました。

路上で二重駐車する観光バスに対して、発進を呼びかけるパトカーの様子=一部画像処理しています

運転者育成が火急、観光立国への課題

 こうした状況は、バス運転者の育成を遅らせることになりました。地方のバス路線は軒並み苦しい経営状況にありますし、都市部においても思い切った事業拡大を図る環境にはありません。運転者を雇用しようとする需要が小さく、バス運転に必要な大型二種免許を取得できる自動車運転教習所の数も激減してしまいました。

 ところがそこへ起こったのが、訪日観光客の急増です。バスの運転者を急いで増やそうとしても、教習所が限られています。免許をとったからといって即戦力にはなりません。実際に営業運転するには、相当の経験が必要です。観光立国を目指す日本は、こうした面にも目を向けなければなりません。運転者不足は高齢化が進む乗合事業にも表れてきました。

「ルールを守らないバス事業者を排除し、免許制度も改革を」と強調する筆者

悪質事業者を排除、免許制度も改革を

 対策を急ぐべきです。まずは、何よりもバスの運転者として安定した労働環境、給与が保証され、若い人でも業界に入ってきて定着できるような環境を整備する必要があります。そのためには、競争ルールを守らない悪質事業者を排除する制度を設けることです。バス業界に対する法令違反がないか徹底して監査し、違反者を厳罰に処すことが欠かせません。監査は国だけでは限界が大きいため、バス協会や労働組合が機能を補完する義務を負うのです。

 バスを運転できる免許についても、講習の在り方を見直して、より実態に即した知識と技量の取得に力を入れることです。取得費用も下げ、取得希望者を増やす必要があります。自動車運転教習所のあり方まで含めた議論をする時が来ているのです。

 並行して、バス会社はサービス向上や新サービスの開発・提供にきちんと取り組んで、利用者を増やしていかなければなりません。そうした収益の向上を原資として、労働環境を整備していくほか道はないでしょう。 

戸崎肇(とざき・はじめ) 1963年大阪府生まれ。京都大学経済学部卒、日本航空に入社。在職中は社会人大学院に通う。経済学者に転進するため、博士号取得にめどをつけ日航を退社。帝京大学、明治大学勤務を経て現在、早稲田大学ビジネススクール教授。航空政策・空港経営、交通一般の情勢に詳しい。趣味はランニングと読書。交通産業を体感的に理解しようと最近、バスの運転免許を取得した。

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