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羅針盤NEO(8)動き始めた教育改革
~数学で学ぶべきこと

羅針盤NEO(8) 動き始めた教育改革~数学で学ぶべきこと
authored by 村上憲郎 元グーグル米国本社副社長兼日本法人社長、前名誉会長

 この連載の第1回目の「君はそれでも東大を目指すのか~グローバル時代を生き抜くために」と題した記事の中で、文科省が明治維新以来150年続けてきた日本の教育を大きく転換しようとし始めているということを匂わせて置きました。特に、IB(International Baccalaureate)を紹介して、「特に注目すべきは、DPと略称されるディプロマ・プログラム(世界2623校・国内19校が認定済み)の急速な普及方針である」と述べました。

 このIB DPは、その後、急速な展開を見せており、国内認定校も既に27校に増え、文科省は、2020年までに、200校に増やすとの目標を明確にしたのです。

 第1回目の記事の中でも紹介したように、IB DPとは、16~19歳を対象としたプログラムで、所定のカリキュラムを2年間履修し、最終試験を経て所定の成績を収めると、国際的に認められる大学入学資格(国際バカロレア資格)が取得できるようになります。原則として、英語、フランス語又はスペイン語で実施されます。

大学入試改革に見る文科省の決意

 文科省は、これに留まらず、国内の大学入試改革への取り組みも加速しています。まず、現行のセンター試験の英語のテスト内容を、「読む、書く、聞く」の3技能に加えて「話す」を加えた4技能をテストする形に2018年実施分から変更することとしました。現行の「聞く」のテストの実施状況にも様々な不完全さが指摘されている中にも関わらず、更に「話す」技能までテストするという方針に、国内の大学入試改革への文科省の並々ならぬ決意が読み取れます。

 文科省は、更に、そのセンター試験そのものも、2019年の実施分を持って終了し、2020年からは、それに替る「大学入学希望者評価テスト(仮称)」を実施すると発表しました。これは米国の例で言うとACT(American College Test)に相当するもので、国語、英語、数学、理科、社会の5教科の達成度を評価するものです。そうなると、米国の例で言うとSAT(Scholastic Assessment Test)に相当するものが必要となり、それが、2019年から実施されるということが発表された「高等学校基礎学力テスト(仮称)」です。こちらは国語、数学、英語で実施され、範囲としては共通必履修科目である「国語総合」「数学I」「コミュニケーション英語I」としています。特に、英語については、センター試験に引き続き、4技能試験として実施し、そのためには、民間の資格・検定試験も積極的に活用するとしています。

 私は第1回目の記事の中で、以下のように主張しました。「明治以来、日本の教育は欧米先進国に追い付くために、効率よく正解を覚えこむことが主眼になってきた。しかしグローバル人材に求められているものは違う。問題そのものを発見する、考え付く、その上で、その正解があるかどうかもわからない問題の答えを求めて考え抜くという方向に、日本の教育は大きく舵を切らなければならない」。

 「大学入学希望者評価テスト(仮称)」は、まさしく、各教科ともに、このような意味合いでの達成度を評価する試験を目指すとされています。

グローバル人材育成にも動き出した

 一方、「高等学校基礎学力テスト(仮称)」の範囲は前述したように、共通必履修科目である「国語総合」「数学I」「コミュニケーション英語I」ですが、特に、英語については、文科省は今後の高校英語の達成目標として、高校卒業生の50%が英検の2級、もしくは準1級のレベルとなると、別途、発表しています。

 このレベルとは、私に言わせると、これも第1回目の記事で定義したグローバル人材の第2段階目「multi-nationalな人材」が必要とする英語力です。multi-nationalな人材とは、海外の出先事務所、支店、子会社等へ転属・転勤して行ける人材を指します。事程左様に、なかなか難しいこのレベルを高校卒業生の50%が達成するという目標から見て、重ねて申し上げますが、文科省の並々ならぬ決意が読み取れます。英語教育改革推進派の私としては、4技能を試験するということを含めて大賛成であり、何も申し上げることはありません。

 申し上げたいことがあるとすれば、「国語総合」「数学I」「コミュニケーション英語I」を共通必履修科目とする現行指導要領、なかでも、数学の教科内容についてです。実は、指導要領そのものも昨年に見直しが諮問され、2017年に答申、2018年に告示の予定であり、未だ物申しても間に合うと思うからでもあります。

数学の教科内容について異論

 現行指導要領においての数学は、「数学活用」「数学I」「数学A」「数学Ⅱ」「数学B」「数学Ⅲ」の6科目である。「数学活用」は、以前には「基礎数学」と呼称されていた科目と同等で、もっぱら大学進学を目指さない高校生向けの科目です。大学進学を目指す高校生向けの科目は、その他の5科目であるが、大学生の高学年や社会人の読者諸君は、「数学C」が無くなったんだと気づくと思います。

 ただ、「数学C」の教科内容のほとんどは、他の科目に配分されたので問題はありません。しかし、配分されずに消えてしまった「数学C」の教科内容が「行列」で、この消滅は大問題だと申し上げたいのであります。「数学B」に配分されている「ベクトル」と、この消滅してしまった「行列」は、併せて「線形代数」と呼ばれる数学の最も大切な基礎分野を構成する基本概念であり、次期指導要領では、絶対に復活すべき教科内容だと申し上げたいのです。

 と申し上げると、「それでは高校生の負担が増える」と言う声が聞こえてきそうです。「『行列』を復活させるなら、現行指導要領で『数学Ⅲ』に復活させた『複素平面』を消すしかありません」と言う声も聞こえてきそうです。百歩譲って「それでは高校生の負担が増える」ということを認めるとするならば、削減すべきは「数学Ⅲ」に復活させた「複素平面」ではなく、「数学Ⅱ」の「三角関数」の内容だと申し上げたいのです。

 大昔からの伝統ですが、日本の高校数学は「三角関数」のやり過ぎ、いや、やらせ過ぎです。「三角関数」の内容としては、せいぜい「三角比」の定義とそのグラフの導入程度に留めるべきです。何故かと言うと、せっかく、自然対数の底eと、その指数関数exを導入済みであるならば、これを「複素平面」上のeとして単位円上に表示することを導入すれば、「三角関数」の内容としては、加法定理も、半角も2倍角も3倍角といった公式も、自明のこととして、わざわざ言及する必要はなくなるからです。

複雑怪奇な概念をシンプルな問題を使って理解する

 私は30年近く前に務めていた米国のコンピュータ会社の米国本社に5年間勤務したことがあり、その時の借り上げ社宅の大家さんが、たまたま、米国の数学教育界の重鎮であられました。あるとき、その方との会話が、当然ながら数学教育に及び、その方は次のようにおっしゃいました。「シンプルな概念を使って複雑怪奇な問題はいくらでも作れるが、子供達に課すべきは、そのような問題を解かせることでは全くなく、シンプルな問題を使って複雑怪奇な概念を、なるべく早く理解させることだ」。

 理科系で、なるべく早く到達させたい複雑怪奇な概念の最たるものは量子力学です。米国の数学教育も決して上手く行っているとは言い難いのですが、少なくとも、シンプルな概念を使った複雑怪奇な問題を解かせるといった無駄なことは一切行っていません。線形代数、微積分、微分方程式、フーリエ変換、解析力学(変分法と正準方程式)といった量子力学に到達するために必要な複雑怪奇な概念を、シンプルな問題(クイズとその方は呼んでいた)を使って理解させるようにしています。

 米国転勤直前に、たまたま長女の中学入試準備を手伝っていた私は、「整数・少数・分数といったシンプルな概念だけを使った複雑怪奇な算数問題」に辟易していましたし、「せいぜい1変数の微積分と三角関数といったシンプルな概念だけを使った複雑怪奇な数学入試問題」と格闘させられた20年前(米国転勤当時)の高校時代の経験を思い出して、「ベクトルも行列も自然対数の底eすらも教えてもらえず、あんな複雑怪奇な入試問題の準備をさせられて無駄だったよなぁ」と納得したのでした。「日本の高校数学は、『三角関数』のやり過ぎ、いや、やらせ過ぎで、それは、大昔からの伝統です」と前述したのは、この三角関数こそが、複雑怪奇な数学入試問題を作るのに格好の材料を提供するから、伝統となってきたということを申し上げたかったからです。

 さて今回は、お読みいただいた大学生や社会人の読者の方々には、またもや「今更、手遅れ」と言った内容のように感じられたかもしれませんが、理科系の方々には、今からでも遅くないので線形代数、微積分、微分方程式、フーリエ変換、解析力学(変分法と正準方程式)を復習の上、是非、量子力学を学んで、宇宙の物質存在の秘密に触れてほしいということと、文科系の方々には、線形代数という、この世界の諸関係を表現する基本的な方法を、学んでおいて損にはなりませんよということを、最後に唐突なメッセージとして申し述べさせて頂いて、取り敢えず、終わらせていただこうと思います。ご健闘をお祈りしております。

村上憲郎(むらかみ・のりお) 1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル米本社副社長兼日本法人社長、11年まで名誉会長を務める。現在、村上憲郎事務所代表。

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