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羅針盤NEO(10)「なぜ分数の割り算はひっくり返して掛けるか」を説明せよ!

羅針盤NEO(10) 「なぜ分数の割り算はひっくり返して掛けるか」を説明せよ!
authored by 村上憲郎 元グーグル米国本社副社長兼日本法人社長、前名誉会長

 この連載の第8回目「動き始めた教育改革~数学で学ぶべきこと」と題した記事の中で、文科省が明治維新以来150年続けてきた日本の教育を大きく転換しようとし始めているということを紹介した。ただそこでは、特に、国内の大学入試改革への取り組みを中心に解説した。今回は、義務教育段階への導入が検討され進みつつあるICTを利活用した教育について、一言物申し上げておきたいと思う。ICTとは、言わずもがなのことであるが、Information and Communication Technology、情報通信技術のことです。平たく言えば、コンピューターとインターネットを利活用した教育を小中学校で実施しようと言うわけです。

 ここでコンピューターというのは、もっぱらアップルのiPadやグーグルのNEXUSといった、いわゆるタブレットPCが暗黙の上で想定されています。そこで、当然議論となってくるのは、生徒1人に1台がこれも想定されているタブレットPCは、個人所有を前提とすべきか学校備品とすべきかということです。これはいまどき当然、個人所有ということになると思われます。

ICT教育は家庭のブロードバンド環境が大事

 となると次の議論は、家庭の経済状況を勘案すれば、個人購入か学校支給か、ということになります。この議論に結論はなく、それこそ、家庭の経済状況を勘案して様々にということになると思われます。それよりも重要な議論は、個人購入、学校支給にかかわらず、標準機種指定か、異機種混在を許すかということになってきます。現場の先生方のご負担を考えると標準機種指定に傾きがちな議論は、ここでは、これもいまどき当然、異機種混在を許すべきだと申し上げておきたい。その上で、現場の先生方のご負担をできるだけ軽減するために、少なくとも使用する主要なソフトの統一とまでは行かなくとも、少なくとも操作性の近似性を配慮するとだけ、言い訳しておきます。

 家庭の経済状況を勘案する上で、更に重要なのは、各家庭のブロードバンド環境の格差でしょうか。後に説明する「反転学習」を成功させるためには、家庭での学習が需要な条件となるからです。生徒のタブレットPCが、家庭からでも十分な帯域を持ったブロードバンドでインターネットに接続されなければならない。つまり、各家庭のブロードバンド環境の格差を放置してはならない。電気も十分に行き届いていない最貧国では、電気が引けてない家庭の生徒たちは、夜になると街灯の下に集って勉強をするという話を聞いたことがあります。これと同様のことを、日本の経済的に恵まれない家庭の生徒たちにさせてはなりません。地域(無料)WiFiといったことを伴わせて整備すべきかもしれないと思います。

反転学習を成功させる電子教科書とは

 さて、次に整備しなければならないのは電子教科書です。これは、現在、世に行われている電子書籍のような、現行の紙の教科書をそのままにした「その電子読み」ではダメです。テキスト・動画・静止画を縦横無尽に駆使した、本当のeラーニングを実現できる電子教科書を目指すべきです。ここで本当のeラーニングといったのは、「腑に落ちる」ラーニング、例えば「分数の割り算は、ひっくり返して掛ける」と覚えるのではなく、それを納得させることのできるテキスト・動画・静止画を縦横無尽に駆使した電子教科書の登場が望まれると言う意味です。

 チョット先を急ぎすぎたようです。私はこの連載の第1回目の記事「君はそれでも東大を目指すのか~グローバル時代を生き抜くために」の中で、以下のように主張しました。

 「明治以来、日本の教育は欧米先進国に追い付くために、効率よく正解を覚えこむことが主眼になってきた。しかしグローバル人材に求められているものは違う。問題そのものを発見する、考え付く、その上で、その正解があるかどうかもわからない問題の答えを求めて考え抜くという方向に、日本の教育は大きく舵を切らなければならない」

 とすると、「分数の割り算は、ひっくり返して掛ける」と覚えさせるのではないとしても、それを納得させることのできるテキスト・動画・静止画を縦横無尽に駆使した電子教科書を直ちに与えてしまうというのも、目的に叶っているとは言いがたい。つまり、電子教科書は、「分数の割り算は、どうすれば良いと思うか?」あるいは、「分数の割り算は、ひっくり返して掛けると良いという説があるが、どうしてだと思うか?」と問うべきでしょう。これが、「反転学習」の出発点であるからです。

 「反転学習」(flip teaching 又はflipped classroom)とは、まずこのような課題を生徒に与え、自宅学習で考えさせて、その考えた結果を次の授業に持ち寄らせ、辿り着いた答えの多様性、例え同じ答えに辿り着いたとしても、その答えに至る過程の多様性を発表させて、その多様性を体験させる。そのようにして、多様性の表現、共有、それをめぐる質疑、つまりは、協働学習を実現させることを目標とする新しい授業形態のことを言います。

 このようにして、学校でも家庭でもインターネットに繋がったタブレットPCを駆使したICT利活用教育が始まろうとしているのです。そして、次に考えなければならないのが、ICTそのものを理解させる教育です。

「コンピューターに負けない」という意識を醸成

 ICTそのものを理解させる教育とは、端的に言うと「コンピューターを理解させる」教育ということです。つまり、コンピューターは人間がプログラムしてこそ動くということを理解させる。そのためには、コンピューターの簡単な仕組みを理解させたうえで、コンピューターの簡単なプログラミングを学習させて、生徒自身の書いた簡単なプログラムでコンピューターを動かして見る体験をさせることです。この目的は、生徒たちに、「コンピューターなんかに負けない」という意識の醸成、もっと言うと、「コンピューターが組み込まれた機械(ロボットに代表されるスマートマシン)なんかに負けない」と言う意識の醸成です。

 このような「ICTそのものを理解させる教育」に最適の教材は、この連載の第3回目の記事「雇用チャンスはこうすれば広がる~電子回路の基本を身に着けよう」で紹介したRaspberry Pi(ラズベリーパイ)という名前の超小型コンピューターです。その記事の中で、こう主張しました。

 「今後の更なるICTの利活用の進展の大きな柱は、IoT(Internet of Things)=『物のインターネット』であります。『物』がインターネットに繋がる時代が始まったのです。そして、インターネットに繋がる『物』は内部にコンピューターが埋め込まれた『スマートマシン』です」

 前述したように、スマートマシンの代表はロボットです。ロボットもまた、スマートマシンとしてインターネットに繋がりIoTの重要な構成要素となります。そして、重要なので敢えて繰り返しますが、ICTそのものを理解させる教育の目的は、「ロボットに代表されるスマートマシン(コンピューターが組み込まれた機械)なんかに負けない」と言う意識の醸成です。

 Raspberry Piの剥き出しの電子回路基板は、「何だ。ロボットに代表されるスマートマシンといっても、こんなコンピューターが組み込まれた機械に過ぎないんだ」という意識を醸成するのに最適です。今年の夏には、この「ICTそのものを理解させる教育」を先取りしようと言うわけではなかったかと思いますが、夏休みの自由研究としてRaspberry Piを使った電子工作で遊ぶことを選ばれた親子が多数いたに違いありません。頼もしい限りです。

 この連載の主な読者である大学生、若い社会人の方々はいつもの様に、「そんなこと言われても、自分たちには手遅れではないか!」と思われたかと思います。勿論、手遅れではありません。例えば、「分数の割り算は、ひっくり返して掛ける」と言うことの、小学生が納得できる説明を考えて見るだけでも、自分のこれまで受けてきた教育に何が欠けていたのかといったことを含めて、多くのことに気付かされるはずです。ご健闘を祈ります。

村上憲郎(むらかみ・のりお) 1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル米本社副社長兼日本法人社長、11年まで名誉会長を務める。現在、村上憲郎事務所代表。

撮影協力:東京理科大学