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大学のオンライン講義
日本定着を阻む壁

大学のオンライン講義日本定着を阻む壁

 大学などの講義をインターネット経由で誰もが無料で受けられる「大規模公開オンライン講座」(MOOC=ムーク)が日本でも広がってきた。昨年4月に配信が始まり、およそ1年半で講座数が80を超え、受講者も約40万人まで増えた。先行した米国のMOOCが2000万人以上の受講者を集めているのに比べ、日本の市場規模はまだ小さい。だが日本版は大学以外にも官公庁や企業が特色のある講義を配信し、独自の道を歩み始めている。日本版MOOCは根づくのか。また定着への課題は何か。

情報系、実学系が社会人にヒット

 日本版MOOCは主要大学や企業が2013年10月に設立した「日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)」が推進母体になっている。講座は大学などが独自に制作し、NTTドコモグループのドコモgacco(ガッコ、東京・港)、遠隔教育サービス大手のネットラーニング(同・新宿)、放送大学の各サイト(プラットフォーム)を通じて配信する。受講者は原則無料で講義を受けられ、受講を終えると修了証をもらえる。配信会社はMOOCとは別に、プラットフォームを有料で企業などに貸し出すことで収益を得ている。

 講座数や受講者獲得で先行したのがgaccoだ。募集中を含めて約70講座が開講し、登録者も40万人に達した。なかでも人気を集めるのが情報セキュリティーや統計学など情報科学系の講座だ。

日本でもMOOCの受講者が広がり始めた(ドコモgaccoが提供するネット講義「Evernoteで広がるgaccoの学びスタイル」から)

 今年5月に開講した「情報セキュリティ『超』入門」は、情報セキュリティ大学院大学(神奈川県)の教授陣がサイバー攻撃の実例や対処法をわかりやすく解説し、1万1000人の受講生を集めた。日本統計学会などが昨年秋に開講した「統計学I データ分析の基礎」や、総務省統計局が今春始めた「社会人のためのデータサイエンス入門」もそれぞれ2万5000人、1万人超の受講生を集め、統計学は続編が企画された。ここ数年、消費動向の分析や市場調査などでビッグデータが脚光を浴びるなか、データ分析の基礎を学べる講義内容が評判を呼んだ。

 ほかにもグロービス経営大学院の「経営(マネジメント)入門」、明治大の「会計プロフェッショナル入門」など実学系の講座も「受講生が手堅く集まる分野」(ドコモgacco)。「3Dプリンタとデジタルファブリケーション」(慶応大)、「スポーツビジネス入門」(早稲田大)など、話題の分野に着目して素早く授業を企画する機動性もセールスポイントになりつつある。

 講座メニューを反映してか、受講者は社会人らが中心だ。推進協議会によると、JMOOCの受講登録者のうち59%を社会人(フルタイム就業者)が占め、定年退職者が多いとみられる「無職」(15%)、パートタイム・アルバイト(9%)がそれに続く。一方で、大学生、大学院生、高校生以下は合わせても12%にとどまる。米国の主要MOOCでは30歳未満の受講生が過半を占め、学生が主役になっているのに比べると、対照的だ。

 推進協議会の福原美三常務理事(明治大特任教授)は「米MOOCでは一流大の講義を受講できるうえ、修了証がいずれ単位として認められるのでは、という思惑も広がり、多くの学生を集めた。一方、JMOOCは当初から『多様な生涯学習者に実践的な知識を提供する』ことを理念のひとつに掲げており、米国と違った道を歩むのは当然のことだ」と話す。

鮮明になる米MOOCとの違い

 実際、開講から1年半足らずで、日本版MOOCは米MOOCとはかなり違った姿になってきた。

 米MOOCが急成長したのは2012年以降のこと。スタンフォード大の教員が学内ベンチャーとして「コーセラ」、ハーバード大とマサチューセッツ工科大(MIT)が「エデックス」をそれぞれ立ち上げてサービスを開始。他の主要大学もこぞってコーセラなどに相乗りして講座を提供し、爆発的な勢いで受講生を増やした。

 成功の背景には、授業を提供する大学側の明確な戦略があった。ひとつが、MOOCを通じて大学の情報発信力を高め、国内外から優秀な学生を集めることだ。MITのネット講座を受けて抜群の成績をあげたモンゴル人高校生が同大学に入学するなど、海外から優秀な留学生を集める手段としてMOOCは定着しつつある。

 もうひとつが、MOOCを通じて受講者の学習履歴や成績などの「ビッグデータ」を収集して、教育手法の改善や就職の仲介などに活用することだ。成績優秀者を企業などに紹介し、就職仲介で報酬を得るビジネスモデルも注目された。

 ここにきて話題性こそ薄れたものの、米MOOCは高等教育のひとつの手段として地位を確かにしつつある。最大手のコーセラは今年8月末時点で約1100の講座を配信し、登録者も1500万人近くに膨らんだ。エデックスも世界の79大学が約650講座を配信し、500万人以上の登録者を集めている。

問われる国内大学の対応

著名教授を起用して人気を集めた講義も(ドコモgaccoが提供した東大・本郷教授の授業風景)

 一方で、JMOOCの場合、戦略的な活用を打ち出している大学はまだ一握りにとどまる。

 東大はJMOOCの開始と同時に、日本中世史の研究で知られる本郷和人教授の授業を配信し、対面授業とも組み合わせて高校生ら若い受講者も集めた。京大も山中伸弥教授が監修した「よくわかる! iPS細胞」を配信した。両大学とも米MOOCでは別の授業を配信しており、「海外からの留学生集めには米MOOC、国内向けにはJMOOC」と使い分ける戦略を描いている。

 法政大が来年1月、田中優子学長が直々に授業を担当する「江戸文化入門」の開講を予定したり、大手前大の「ひとと動物の心理学」のように授業内容に工夫をこらしたりして、JMOOCを大学の知名度アップに生かそうとする大学も増え始めてはいる。

 だが、大多数の大学ではMOOCへの関心はなお低い。現在、JMOOCの会員になっている大学の数は45にとどまり、国内に約770ある国公私立大学の1割にも満たないことが、それを物語る。

 そもそもJMOOCが発足した大きな目的は「国内のすべての大学にオンライン講座への門戸を開く」ことにあった。米コーセラやエデックスは開設以来、米国以外の大学の参加を「各国のトップ数校」に限っており、日本からは東大、京大、東工大などにとどまる。既存のMOOCを利用しない限り、大学が自前でプラットフォームを築き、授業を配信するのは難しい。少子化で多くの大学が学生集めに悩むなか、「中堅大や地方大こそJMOOCに参加する意義がある」という見方も当初は多かった。

 またMOOCは、通常の対面授業と組み合わせて学習効果を高める手段としても注目されてきた。受講者がネットで予習して知識を習得し、対面授業では自由討論を増やすなどして理解を深める方法だ。これは「反転学習」と呼ばれ、米国ではそれを目的にMOOCを導入する大学が増えているほか、JMOOCでも多くの講座で実験的に取り入れている。

 しかし、日本ではこうした活用法に注目する大学もまだ少ない。「JMOOCの認知度が低いことだけが理由ではない。MOOCが広がると、大学教員はこれまでのように漫然と同じ講義を続けるわけにいかず、魅力的な講義にする創意工夫を迫られる。そうした変革を拒む教員がまだ多いことが、JMOOCが広がらない最大の原因」とみる関係者は多い。

 ドコモgaccoの伊能美和子社長はJMOOCの今後の展開について「新たな学びの場をつくり、知を提供することがJMOOCの使命。開始から1年以上たち、知は大学だけでなく企業や地方などにも眠っていることに気づいた。それらを発掘することで受講者を増やしていきたい」と話す。

 JMOOCをビジネスとしてとらえた場合、それは正攻法に違いない。だが日本の大学にはネット講義で提供するに足る「知」があまりに乏しいということならば、大学関係者は重く受け止めるべきだろう。

(編集委員 久保田啓介)[日経電子版2015年9月7日付]

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