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[ career-働き方 ]

書道家 安田舞さんインタビュー(上) パティシエを辞めて筆を取った理由

authored by 和田有紀子Out;Elite(アウトエリート)編集部
書道家 安田舞さんインタビュー(上)  パティシエを辞めて筆を取った理由

書道家 安田舞さんインタビュー(上)

 国内のみならず海外をも舞台に活動の幅を広げる若き女性書道家・超一流の勝負文字伝道師、安田舞さん。女性らしい見た目からは想像もつかないような力強い書を生み出し、ブランドロゴや名刺の制作から、店舗壁への書き下ろし、国内外の様々なイベントでの書道パフォーマンスなど、常に新たなことに挑戦し続けています。

 2015年10月にはフランス・パリのルーブル美術館で作品を展示したほか、書き下ろしパフォーマンスの機会にも恵まれ、言葉の通じない人々と「書」を通じて繋がり合いました。4歳から書道を始め、一度は就職の道に進んだ彼女が、もう一度筆を取ろうと決意した経緯や書道家として大切にしていることをお聞きします。

――安田さんが書道家という道を選択された経緯を教えてください。

安田 書道にしても絵にしても、とにかく自分の感性で何かを表現するのが好きな子どもだったので、4歳のときにたまたま家の近くにあった書道教室に通い始めました。高校を卒業するときに今後の進路を決める大事な岐路に立ちました。選択肢としては、19歳まで教室に通い続けた書道のほか、絵を描くのも好きだったので美大に進学する、その頃料理にもはまっていたので製菓に行く道の3つ。

 でも、芸術の道は突き詰めていくと終わりがないし、正直なところ将来ちゃんと食べていけるのか若干の不安もあったので、まずは製菓の専門学校に進学することにしました。今でこそ様々なスタイルの書道家の方がいますが、当時は「書道を仕事にする=書道教室の先生」という図式しかありませんでした。終わりのない道を進むのであれば今すぐでなくともよいのではないか、という気持ちもありました。

書道家の前はパティシエ!

――では、卒業後はお菓子職人に?

安田 はい。パティシエとしてケーキを作っていました。自分のケーキが売れて、お客さんの喜んだ顔を見るのは楽しかったですし、やりがいもあったのですが、パティシエの世界は見た目は華やかでも実はものすごく肉体労働なんです。家と会社の往復生活が続き、体調も崩してしまった。待遇もそんなに良いわけではなく、この会社で長く勤めるのは難しいかなと感じ、思いきって辞職しました。そうして時間のゆとりができたので、自然と自分と向き合うことが多くなった。

 「私はこれからの人生で何がしたいんだろうか」

 そんな自問自答の日々。そして、今までほとんど読んだことがなかった自己啓発やエッセイ、心理学などの本を読み、経済やビジネス、心理学、メンタルなどのセミナーにも片っ端から参加しました。そこでは、それまで自分が出会ったことのないタイプの人々と知り合い、多様な価値観、収入の取り方、生き方、仕事の仕方があるのだと気づき、自分の固定観念が崩れて目の前が開けていくのを感じました。

――そうして色々なものに触れて、自分と向き合う中で導き出した答えが「書道家」?

安田 はい。多様な考え方や生き方に触れているうちに、「人には一人ひとり生まれてきた意味や使命が必ずある」と思い、「それなら安田舞はこの人生で自分にしかできないこととして何をするのか」と自分に問い続けました。そして、最初に浮かんだのが幼少期から続けている書道でした。書道で人の役に立ちたいと。

自分に合うことをブラッシュアップ

――なるほど。先ほど安田さんは、「書道を仕事にする=書道教室の先生」しか道がないと思っていたとおっしゃっていましたが、どのように活動を始められたのでしょうか。

安田 最初の最初は、私に「超一流の勝負文字伝道師」の肩書きを提案くださった人生の恩師からの助言で講座を開きました。それまで一度もやったことはなかったのですが、その恩師や参加者の方々の口コミで徐々にお仕事の依頼をいただけるようになりました。

 活動を始めた当初は自分に何ができるのか、書道家としてどのような仕事が自分に合っているのか、どのように商品づくりをするのかなど何もわからなかったので、いただいたお仕事はとにかく自分なりに100%で応えてみようと思い取り組みました。そうしてやってみると、自分に向いていること、他のアーティストさんの方が向いていることがわかってきたので、自分に合うことをブラッシュアップして今のスタイルに辿り着きました。

――独立してやっていくことに不安はありませんでしたか。

安田 アーティストという職業は日本では特に立ち位置が難しく、最初は芸術で本当に収入を得られるのかなど若干不安もありました。ただ、自分にできることは何でもやってみたいという気持ちが強く、「やってみないとわからへん」と、前だけを見て進んでいたように思います。そのときの私は怖い物知らずと言いますか、恐れるものがあってないような心持ちでした。(つづく)