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規制緩和は何のため(40)「遺伝子治療」を説明できますか?

戸崎肇 authored by 戸崎肇早稲田大学教授・経済学者
規制緩和は何のため(40) 「遺伝子治療」を説明できますか?

 遺伝子治療に注目が集まっています。日本では規制緩和によって、欧米よりも新薬の開発期間を短縮できるようになりました。日本の製薬会社は好機としてとらえ、遺伝子治療薬の激しい開発・販売競争を繰り広げています。

遺伝子の機能を抑制・補完して治療

 遺伝子治療とは、人間の体内に特定の遺伝子を注入し、正常な機能を果たしていない遺伝子に対して、働きを抑制したり補完したりして、病気を治療するものです。生まれた時点で遺伝子が欠陥をもっていたために障害を抱えている人々を救ったり、何らかの理由で失われた組織を再生させることで身体機能を回復させたりすることが可能になると期待されています。

 新薬開発期間の規制を緩和する法律は、2014年11月に施行されました。医薬品医療機器法(旧薬事法)の下では、治療薬や医療製品が市販できるようになるまでに3段階の臨床試験を行わなければなりませんでした。その後、ようやく承認が得られ、市場で販売することができたのです。臨床研究を開始してから市販できるまでの期間が長くなり、費用もそれだけ大きくなっていました。特に最終段階の臨床試験では、最も多くの被験者が必要となり、費用負担が重かったのです。

新薬の開発に期待がかかる。写真は、仙台市の国家戦略特区を積極的に活用して先進医療を加速しようとする東北大病院

市販後に最終承認が可能に

 これに対して、新制度では第2段階の臨床試験が終わった時点で、一定の治療効果が確認できれば暫定的な承認が与えられることになり、市販もできるようになったのです。そして、市販後にその効果に関するデータを集め、その製品の有効性が最終的に確認できれば、正式に承認されます。市販までの期間も数年に短縮できますし、市販後のデータ収集になりますから、効果を確認するための費用も抑えることが可能になりました。

 政府がこうした規制緩和を行った背景には主に2つの事情があります。1つは、日本の製薬業界が欧米と比べてその規模や収益力において後れを取っている現状です。政府は世界に先行するような開発環境を整えることで、日本の製薬業界の国際競争力が高まるよう、バックアップしているのです。

大きな潜在市場

 特に遺伝子治療の分野は大きな魅力にあふれています。遺伝子治療薬の市場規模は全世界ベースで2020年に4000億ドル(約4兆7000億円)にも上るという試算がなされています(2016年2月1日付日本経済新聞)。しかも、そのほとんどが製品化されていないのです。これほど「おいしい」市場はなかなかほかでは見出すことはできません。

 TPPの進展によって、製薬分野も今後さらに厳しい競争環境にさらされます。この時点で何としても他国に先行し、競争優位を形成したいところです。政府が戦略的に規制を見直してきている1つの証左といえるでしょう。

がんや糖尿病の治療にも期待

 2つめは製薬事業自体の問題です。製薬業界には、従来の化学合成型の医薬品開発はもはや限界に達しつつあるとの認識があります。そのため、新たな方向性を早く見出し、方向転換していく必要があり、遺伝子治療や再生医療はその極めて有望な分野として位置づけています。

 さて、具体的にはどのような遺伝子治療薬が市場で販売されようとしているのでしょうか。たとえばがんの治療薬です。アステラス製薬は従来の抗がん剤では治療できなかった進行がんに対する治療薬の開発に乗り出しました。このほか、糖尿病などが原因で、足の血流が悪くなり、悪化すれば足を切断しなければならない「重症虚血肢」の治療薬も市販化されようとしています。

製薬業界の国際間競争が激しく

 こうした日本の製薬会社の動きに外国の製薬会社も注目しており、日本の製薬会社との提携を図ったりして、日本の一人勝ちにならないよう、その動きを利用し、牽制するよう行動しています。

製薬業界の国際間競争も激化する。写真は、病院の待合室で順番を待つ患者(大阪府内)

 製薬業界の動きはともあれ、とにかく有望な治療法がこれまでよりも早く利用できるようになったことは、何よりも難病に苦しむ患者の皆さんにとって朗報といえるでしょう。健常者には想像できない苦しみに悩む人々にとって、少しでも軽減できる可能性があれば、試してみたいというのが自然の感情でしょう。

 確かに、生命の安全性に係る重要なことですから、政府が製薬の臨床試験のあり方に慎重な姿勢を保持することは間違ってはいません。しかし、これまで、開発はできてはいるが承認が得られていないがゆえに、無念のうちに亡くなった人々の存在も無視することはできません。医療の分野にインフォームドコンセント、つまり、患者の同意のもとにある種の治療行為を行う場合があるように、製薬の分野においても、より積極的に新製品を広く患者が試す機会を設けていくべきではないかと考えています。

 高齢化が進み、寿命が延びている中、遺伝子治療に対する期待はますます高まっています。

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