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気候変動の今(1)地球温暖化を食い止める国際会議で感じた違和感とは

気候変動の今(1) 地球温暖化を食い止める国際会議で感じた違和感とは
authored by Climate Youth Japan

Climate Youth Japan(CYJ)の気候変動の今(1)

 気候変動問題に高い関心を持って活動しているネットワーク型NGO「Climate Youth Japan(CYJ)」。CYJのキーワードは、「気候変動」「政策」「ユースの意見発信」です。CYJの活動に関わるスタッフの想いを紹介します。1回目は京都大学4回生の吉岡渚さんです。

初めての被災地ボランティア

 泥の中から出てくる、色褪せたアルバムの写真。水を吸ってとんでもない重さになった衣服。抉られた床や割れた窓の破片。籠り切った部屋の中は、夏の暑さでじめじめとしていた。

 2011年夏、私は初めての災害救援活動に参加した。紀伊半島を襲った台風12号による豪雨災害だ。救援活動といっても、水害に遭った家屋でお手伝いするくらいしかできない。夏の暑さの中、6日間床下の泥かきや家財の運び出しを手伝わせてもらった。初めて被災した家というものを見た私にとって、そこは非日常の世界だった。荒れる川やなぎ倒された木々を目にしながら、私は自然災害の脅威を実感した。

紀伊半島豪雨災害のボランティア活動

 大学1年生からボランティア団体に所属し、東日本大震災の復興支援や日本各地の緊急災害救援に積極的に参加していた。もともと環境問題に関心があり、大学ではそうした活動がしたいと思っていたが、どういうわけか心が惹かれたのはエコサークルではなくボランティア活動。大学生活でどっぷりとはまってしまうことになった転機は、まさにこの水害の救援活動だった。

自然への恐怖から環境問題に

 しかし、環境問題と災害は無関係ではない。むしろ密接な関係を持っている。地球温暖化の影響で豪雨、台風といった気象災害は増加すると言われている。人がどうにかできる範囲を超える力で人間に襲いかかってくる自然は、私たちにとって大きな恐怖だ。私が環境問題に興味を持ったのも、出発点はそうした恐怖だった。

 10歳の頃、初めて環境問題を知った。自分が生きているうちに地球に住めなくなるのではないか、その恐怖心がいつのまにか、自分がどうにかしなくてはならないという使命感に変わっていった。多くの環境問題の中でも、地球温暖化あるいは気候変動に強い関心を持っているのは、その恐怖がわたしではない誰かにとってより身近で、リアルなものであると知ったからである。

COP18会議場にて

 そのきっかけは、2012年冬に参加した、国連気候変動枠組条約第18回締約国会議(COP18)だった。はじめは大学で専攻している政策学の観点から、環境問題に関する国際会議の場を実際に見てみたいという好奇心だった。当時から、国や世界の仕組みが変わらなければ、大きく社会を変えることは難しいと考えていたため、国際会議でどういった話し合いがなされているかに興味を持っていた。運良く会議を傍聴させてもらう機会をいただき、迷わず一人でカタール・ドーハへと旅立った。

COP18で見たものとは

 国際会議というと、偉い人が少人数で交渉をして何かをどんどん決めて行ってしまうイメージを持っていたが、COPはそうではない。これはわたしも現地に行かなければ知らなかったことだろう。自分と同年代の若い人たちが、将来世代につけを回すような交渉の妥協を非難している。あるいは、交渉の進展を後押ししている。そんな光景を数多く見た。彼らはまた、気候変動の影響を受けやすい発展途上国の若者の声を代弁していた。「今こうしている間にも気候変動の影響は世界中であらわれている、これ以上交渉の進展が遅れるわけにはいかない」ということを、メッセージボードやパフォーマンスで表現していた。

 国際交渉は完璧なものではなく、国の利害対立や経済の優先などで時に地球の未来にとって必ずしもベストな選択ができないものだ。わたしも彼らと行動していくうちに、あるひとつの違和感を持つようになった。それは、国際交渉と、現場の遠さだ。国際交渉は一体何のために、誰のためにあるのだろう。冷房の効いた会議場には店が立ち並び、食べ物にも困らない。交渉官の駆け引きの動きに没頭する自分も含めて、国際交渉という場は、地球温暖化を食い止めるという目的からあまりに遠いように感じた。

 ちょうど、COP18の交渉期間中にフィリピンを台風24号が襲ったことを受けて、フィリピンの交渉官が言った" If not us, then who? If not now, then when?" という一言は、わたしにとってとても刺さる言葉だった。COPでの経験から、わたしは気候変動問題の被害を身近に、リアル受けている人々の存在に気付き、その力になりたいという考えを持つようになった。

 その翌年にも、台風がフィリピンを襲った。6000人以上の死者を出した台風ヨランダを受け、わたしもボランティアとして現地に赴いた。わたしは誰のために、何のために地球温暖化と向き合いたいのか、確かめたいという気持ちからだった。ヨランダの被害を受けた村では、子供を含む人々の防災意識こそ高いものの、木造の建物、経済的な問題から被害が大きくなっているようだった。

COP18でのユースの活動写真

豊かな暮らしを求めた結果

 もっとも印象に残っているのは、ヨランダの被害を受けた沿岸に住む女性の一言である。
「私たちが罪深いから、こんなことになってしまったんでしょう」。

 わたしは即座に、「ちがうのに」と心の中でつぶやいていた。地球温暖化の原因は人為起源であることが科学的にもほぼ確実だと言われている。わたしたち先進国が、豊かな暮らしを追い求めてきた結果だ。なぜ、誰かにこんな思いをさせなければならなかったのだろう。わたしは日本という豊かな国に住んでいて、何をしなければならないのだろう。そんな自問を繰り返した。そして、わたしはこうしたことがフィリピンのような遠い国だけの話でないことも知っていた。日本各地の災害救援活動に何度も参加して、災害の脅威を何度も目の当たりにしている。この問題は、わたしたちのすぐ身近なところにまで迫っているのだ。

フィリピンのこどもたちと

 フィリピンで防災ワークショップを開いた時、現地の人々からの意見で驚かされたのは、防災には「木を植える」ことが必要だというものだった。対処療法ではなく、根元を絶っていく。地球をケアしていくことこそ、災害が日常となることを防ぐのだと。はじめは、災害ボランティア活動と、環境問題に関心があることは何の関係もないことだと思っていた。しかし、COP、フィリピンでのボランティア経験を通じて考えが大きく変わった。日本で自由に暮らし、十分な教育機会を与えてもらった自分には、環境問題に関わる使命があるのではないかと思うようになった。

 今のわたしの夢は、環境問題とりわけ気候変動による気象災害の被害を受けやすい人々を救済するための制度を作り出すことだ。具体的なイメージはまだできていないが、もしものときに貧しい人々に必要な資金が回るようにする、あるいは支援の手が早く、確実に届くようにするための仕組みを、どんなに小さな国であろうと持っていてほしい。制度は場所が違えば変わる。必要な場所に、必要な仕組みを、と考えている。その時にも、必ず大切にしたいことは現場のリアルだ。ボランティアがそうであるように、一方通行の考え方では何の役に立たない。「誰かのために何かをすること」とは何か。これはわたしにとって一生のテーマであり、なかなか答えに辿り着くことのできない大きな問いだ。(Climate Youth Japan吉岡 渚(京都大学4回生))

2016年2月27日(土)に東京・渋谷の「Hikarie カンファレンス Room C」で、「キャリア」をテーマに企業・公官庁などで気候変動に関わってこられた方々の経験談をお聞きするイベント『CYJ PRESENTS CAREER × CLIMATE CHANGE』を開催します。詳細はこちら

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