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卒業の季節に学生へ贈る言葉(上)仲間より1年早く卒業した私が考えること

斉藤ウィリアム浩幸 authored by 斉藤ウィリアム浩幸インテカー社長
卒業の季節に学生へ贈る言葉(上) 仲間より1年早く卒業した私が考えること

 学生の皆さん、日本で3月といえば卒業の時期ですね。コンサルタントで内閣府参与の齋藤ウィリアム浩幸さん(インテカー社長)が2015年5月、母校の米ダミアン高校で卒業式に招かれ、祝辞スピーチに登壇しました。日本の学生の皆さんにも参考になることがあろうかと思い、発言趣旨の和訳を3回に分けて、日経カレッジカフェでお届けします。

◇    ◇

良いスピーチとは?

 今日、私がここにいる理由を皆さんはすでにご存じですね。卒業式の祝賀スピーチに登壇する者は、卒業生のお手本であることを期待されます。私も例に漏れません。懸命に勉学に励んで、卒業という困難な成功をつかんだダミアン高校卒業生の皆さんが、一層やる気に燃えて、将来には大きな仕事を成し遂げ、世界に「ダミアン」の名を轟かせたいと思うようになる......。そんなスピーチを用意してくれなんていう無茶な依頼は、他に例があるでしょうか。

 困ったことに、さほど遠くない昔。本当に、ごく最近の、昨日のことのように思えるくらいの身近な昔のことです。私自身もダミアン高校の卒業生の席に座っていました。皆さんと同じようにちゃんと椅子に座って、身体をそわそわ動かしながら、何でこんな角帽とガウンを着ていなければならないのだろうと考えていたりしたのです。当時の私は次のアインシュタインやビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズになろうと夢見ていたでしょうか。とんでもない、そんなこと、一瞬も考えたことはありませんでした。

 その代わりに、腕時計を何度もチラ見しながら、壇上にいる人に心の中で悪態をついていたのです。「1秒でも早くこのつまらない話が終わって欲しい」というようにね。時代がどれだけ便利になっても学生が考えることはいつも同じです。二十数年前の当時は、スマートフォンがなかったですけれども、ただそれだけの違いです。ですから、今日のスピーチはあまり長くならないように、かといって、私を呼んでくださった方々に失礼があるほどには短すぎないように、ちょうど良い長さにしようと思います。では、「ちょうど良い」とはどれくらいでしょうか。

 イギリスの政治家であり作家でもあったウィンストン・チャーチルは気の利いたことを言いました。「良いスピーチとは女性のスカートのようなものだ。スカートであることがわかる長さと、好奇心をかきたてるだけの短さが必要である」。今日の私のスピーチは、スカートのようなものです。

ルールとは、賢者が手引きし、愚者が従うもの

 学生時代の私は変わり者でした。この点は皆さんと同じですね。私は小学生の頃からコンピューターに夢中でした。寝室にいるのに、外の世界とつながっている。この感覚は現代の若者にとっては「何を今さら当たり前のことを」と思えるでしょうが、1980年代の子ども、つまり皆さんのご両親に近い年代の人間にとっては、インターネットとの接続は大興奮ものの革命的な大事件だったのです。

 卒業式で気持ちが高ぶっている今日は、良い機会です。普段は会話が少なかったご両親に聞いてみてください。インターネットが出現する前の時代、1人1台のパソコンやスマートフォンがない時代にどうやってデートの約束をしていたのか、と。西海岸の男性が東海岸の女性と連絡を取り合う未来は今やごく当たり前の日常ですが、ましてや海を越えた海外の人と何時間電話をしてもタダだなんて「信じられない!」と言われるような時代が、かつてあったのです。

 今となっては時効を迎えたかと思うので白状しますが、当時の私は、人類にとって新しい玩具であるインターネットを使うとどんなことができるか試してみたくて仕方ありませんでした。有料の長距離電話を無料でかけるなど、百%合法、とは言えない悪戯もちょくちょく実験してみたものです。

 そんな好奇心にあふれるヤングな私が、好きだったことわざがあります。「ルールとは、賢者が手引きし、愚者が従うものである」。日常生活において、私は比較的、良い子だったと思います。進んでルールを無視することはなかったですし、むしろ納得できる社会のルールには従うべきと考えていました。ただし、すべてのルールに盲目的に同調することには「怖さ」を感じてもいました。世の中には数限りなくルールがあり、そのうちの多くは自由を束縛するものなのだと直感していたのです。

学校制度をハックする思いつきは実行されるべきだったか

 実のところ、私がハマっていたのは「ハッキング」です。現在、ハッキングという言葉は、否定的な意味と物騒な含みを持つ言葉として認識されるようになりました。しかしこの言葉は、生まれた当初には非常に良い意味で使われていたのです。例えば、近道を見つけるとか、問題解決の方法を探すといった意味合いです。ハックの上にライフの一語を添えて「ライフハック」と言うと生活をより良いものにするためのちょっとしたアイディアと、好意的な雰囲気になりますよね。

 つまり、何かを「ハックする」ということは、既存のシステムや体制を独創的な新しい視点で見直し改善することとイコールなのです。高校入学当時の私は、常習的なコンピューターハッカーでした。しかも私は、同じ手法を使えば学校という「体制」もハックできるのではないかと気づきました。時間割の隙間に上級コースを詰め込めるだけ詰め込んで一心不乱に勉強すれば、他の学友よりも1~2学期分、早く卒業できるのではないかと考えたのです。当時の私はこの思いつきに夢中で、一刻も早く高校を終え、大学を終え、学生時代を駆け抜けて、大人になりたいと願っていました。同級生の誰よりも早く単位を稼いで、結果として、私は通常よりまるまる1年も早く卒業式の中庭を歩く栄誉を手にして、周囲から「こんなことは前代未聞だ」と驚かれて話題になり、ハックの成果は最初に想定していた以上です。

 しかし、今もし私の目の前に、私と同じように他の仲間より1年早く卒業できる生徒がいたとしたら私は言うでしょう。「そのハックを考え直してみないか」と。私は時々、あっという間に過ぎ去ってしまった学生時代を振り返り、悲しい気持ちになります。友だちとの付き合い。卒業パーティー。カイロ(カトリック教徒の学生を対象とした親睦研修)......。まぁ、運動が苦手だった私にとって体育の授業や運動会をスキップできたことは喜ばしいことではあったのですが、早く大人になろうと急ぎすぎたあまり、割愛してきた「喜び」は数え尽くせないと感じるのです。

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