日本市場開拓で学んだこと
ウイスキーガール(4)
小嶋冬子のウイスキーガール
KOVAL蒸留所にいる日本人は私一人だけです。働き始めた当初はコミュニケーションの点で本当に苦労しました。従業員のほとんどが第2言語は話しませんし、話されている英語も教科書で学ぶようなものではありませんでした。彼らの独特の英語の訛りも加わり、まさに生きた英語に驚かされる日々でした。そういった環境下、日本人としてではなく個人としてどこまで興味を持ってもらえるかも重要でした。
初めてのウイスキー作り
現地に着いてからの数カ月、毎日現場に入り、初めてのウイスキー作りを経験しました。右も左も分からない状態からのスタートで、初めは拙い英語でしたが積極的に質問しました。蒸留所の職人たちは私に分かるまで、それこそ子供に噛んで聞かせるように、丁寧に説明をしてくれました。特に、蒸留における専門用語は日常会話とは違い、徹底的に理解しなければならないものでした。でも、辛いと感じたことは1度もなく、充実した生活でした。彼らと一緒に話したり、笑ったり、たまに喧嘩したりすることもありましたが、そのおかげで意思疎通も円滑に取れるようなり、次第に私にとって大切な居場所になっていきました。
KOVALの職人は皆若く、ウイスキー作りへの強い情熱を持った人たちです。作業内では40~50kgの重さのお酒を頻繁に運んだりする力作業がとても多いのですが、彼らと一緒ならそれさえも楽しく感じました。毎日夜遅くまで一緒にお酒を飲みながら、将来どんなお酒を造りたいかという話ばかり。そんな彼らと日々過ごし、心からKOVALを好きになりました。
彼らが作ったウイスキーを日本市場で展開したいと強く思うようになり、会社も同意してくれました。本格的な日本市場参入に向けて動き出したのです。ちょうどその頃、私は大学の授業があるために日本へ帰国。その後は、シカゴと日本を行き来する生活を送りました。日本の大学へ通いながらの市場開拓は不安もありましたが、彼らとたくさんの人の支えのもと、現在KOVALは日本市場への参入を果たし、展開を続けています。
イベント出展で浮いた存在に!?
2015年6月にKOVALは正式に日本市場参入を果たしましたが、初の展示会はその半年前に開催されたウイスキーの展示会でした。シカゴからそのイベントの主催者に連絡を取り、すべての準備をシカゴで終わらせ帰国しました。その展示会はウイスキーのイベントとしては国内最大級のものでした。日本では数少ないインポーターが世界各国のウイスキーを輸入しています。ということは、品数は相当ありますがインポーターの数は抑えられています。
そのため、イベントに出展するインポーター同士は顔見知りが多く、KOVALはかなり浮いた、というか皆様に注目していただきました。代理店契約やインポーターも何も決まってない海外の蒸留所がいきなり涼しい顔して出展してるんですから(笑)。でも、その分たくさんの方に注目していただいたり、この様子をテレビで紹介してもらったりしました。私はこの経験からKOVALを1つの輸入商品としてではなく、1つのブランドとして押し出していく必要性を学びました。
その後、私が日本にいるときはイベントの企画、出展、運営、ブランドの価値形成における営業、輸出における貿易関係、出版社への記事の掲載依頼などを基本的に行っています。蒸留所からは日本にいるのは私1人ということもあり、戸惑うことも多いですが、支えになるのはやはり蒸留所の人たちと経験した日々です。彼らと過ごした時間を支えに、日本で仕事をしています。また、インポーターとお仕事をすることも多いのですが、いつも暖かくご対応くださる方たちなので、たくさん助けられながらお仕事しています。
シカゴにいる時は製造現場に戻ると共に、日本での市場のありかたについてオフィスの人間と深く話し合います。市場を展開していくにあたり、シカゴでも私ができる仕事も増えています。前回シカゴへ戻った時には日本からのインポーターを案内したり、シカゴ日米協会という組織へ私がゲストとして現地の人を前にプレゼンテーションをしたりと、仕事にも幅が出てきています。
最近はシカゴで日本へのプロモーションビデオとして、KOVALのお酒を使ったビデオへ出演させて頂きました。プロの人にヘアメイクをしてもらい、街中を歩きながらの撮影は初めてのことで緊張しましたが、とても貴重な経験をさせて頂きました。これは仕事である以上に、ビデオとして形に残るというのは嬉しいものでした。
先日は、こんな嬉しいことがありました。日本を代表すると言われているあるバーを訪問した時、KOVALの商品がズラッとカウンターに並んでいるのを見ました。その嬉しさは今までに経験したことのないものでした。私だけでは成し得なかったこの感動は、多くの人の支えがあってこそなのだと痛感しました。
私の今までと、これから
音楽から大学進学、スコットランドへの留学、シカゴでのウイスキー作り、日本での市場開拓といった経験。そこにはいつも強い情熱がありました。そんな私の気持ちを様々な人が受け入れ、視野を広げてくれました。そんな中で、人と違うからこその孤独に強く苦しんだことも、少なくありませんでした。しかし、諦めずにここまで来ることができました。どんなに無駄に見えたような時間だって、無駄ではありませんでしたし、自分の経験すべてが今に繋がっていると確信しています。今は、最高の蒸留所の仲間と共に、この気持ちを形にするために日本での市場をさらに拡大させていきたいと思っています。
理想を叶えるのには努力と覚悟、孤独、想像以上のお金が必要だと思います。もともと器用ではない私は、この4年間でその忙しさや様々な失敗によって、何度も諦めようと思いました。でも夢があったからこそ頑張ることができ、素敵な人たちと出会えたから、続けることができました。大変だったけれども充実感に満ちていて、最高に楽しかったと言えます。これからも、大変でもこの生活を暫く続けていきたいと思っています。何よりも、私が心から幸せだと感じる瞬間は確かにそんな状況の中にあるからです。
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