日本経済新聞 関連サイト

OK
liberal arts-大学生の常識

「多重人格」の女優兼監督
演じたい役は自分が創る

「多重人格」の女優兼監督演じたい役は自分が創る

 「自分の中の"マグマ"を突き動かす役にはなかなか出会えないんですよ」。2月中旬に公開された映画「マンガ肉と僕」の舞台挨拶を終え、主演女優の杉野希妃(31)は真っすぐなまなざしで語り始めた。「だから自分で役を探し、作るしかないんです」

 杉野は大手資本に頼らず、自ら制作会社「和エンタテインメント」を経営する。女優としてだけでなく、プロデューサーや監督の「顔」も持つ多才な映画人だ。手がけた作品は10本を超える。今回の映画でも杉野がメガホンを取り、脚本を書いた。なぜ、この作品に入れ込んだのか。

「多重人格」と表現

 演じるのは男性に嫌われるために自ら太り、気弱な大学生の部屋に居つく異常なキャラクター、サトミ。原作を読んで「なぜサトミは生まれたのか。深いなーって。私、共鳴しちゃったのかも」。他人との距離をうまく測れない不器用さ。「いらだち」や「悲しみ」は、時にはおどけて見せる杉野自身が抱えるマグマのひとつだった。自ら作品をつくり、演じるのは自然の流れだった。

 「私は多重人格なのかもしれない」。杉野は自らの内面をこう表現する。複雑さと曲折に満ちた人生がいまの杉野の生き方、働き方を形づくった。

大手資本に頼らず、自ら制作会社「和エンタテインメント」を経営する女優の杉野希妃さん(31)。「自分の中のマグマを突き動かす役にはなかなか出会えない」

 広島県に生まれ、カトリック系の進学校で中高生時代を過ごした。このときは自分の意思で動いた記憶がない。厳しい両親や校則に耐え「18歳になれば自由になると信じて反抗期もなかった」。それが東京の大学に進学してから一変する。

 杉野を変えたのは1本の韓国映画「猟奇的な彼女」だ。「韓国のダサいイメージが変わった」。杉野は韓国映画にのめり込み、大学3年のときに休学して、韓国留学に飛び立った。

 留学からわずか2カ月で受けたオーディションを通過し、見事に女優デビューを果たす。「とにかく種をまく。会いたい人や、やりたいことを常に周りに伝えるんです」。単身で飛び込んだ韓国で、杉野は周囲を圧倒する行動力を身につけた。

 帰国後は芸能事務所に属したが、ここでも転機があった。あるマレーシア映画を見て感銘を受け、その監督と会えるルートを必死に探した。そこで次の映画は日本との合作で、映画プロデューサーの小野光輔(52)が関わるという。杉野はすぐに小野を訪ねて口説き落とし、制作プロジェクトに加わった。「日本の俳優は常に受け身。もっと自分でやったほうが楽しい」。芸能事務所は辞めた。

 小野は「みんな彼女の熱意についていくのが大変」と話し、杉野の才能に太鼓判を押す。本来、女優とプロデューサーは脚本の読み方が異なるが「初めから両方できるセンスを感じた」という。

 マレーシアとの合作映画は監督が急逝したため、頓挫したが、映画制作への思いは冷めなかった。2010年に初のプロデュース作「歓待」を世に出す。突然の来訪者に翻弄される家族の姿を描いた内容は高く評価され、東京国際映画祭で受賞。主演も担った杉野の名は一気に知れ渡った。

衰えない貪欲さ

 その後、杉野の歩みは順調だ。監督も手がけるようになり、国内外で受賞歴を重ねる。インディーズ映画だけでなく、映画業界全体を活気づける存在になっていった。

 だが今でも杉野の流儀は変わらない。1本の映画の予算は低く、撮影期間は10日間足らず。俳優や監督などの役割を細かく分類するのが主流になった今の日本映画界では異色の手法だ。「杉野はときには日本映画界で浮いた存在になっている」と小野は語るが、その言葉の裏側には硬直的ともいえる「業界の常識」に対するいらだちがある。

 15年1月。杉野はオランダの映画祭に出席した帰り道、交通事故にあった。下半身5カ所を骨折する重傷で7回も手術をした。「歩けなくなるかもしれない」と言われたが、「起こっていることには意味がある。自分自身を対象にしたドキュメンタリー映画を作ってみようかな」と脚本を書き出したことがあるという。杉野はどんな状況に置かれても、新しいことに挑戦する貪欲さが衰えない。

 杉野は在日韓国人3世だ。だが、このこと自体が自らの生き方を決定づけているとは思わない。「私は自我が強すぎるのかもしれない」。自分の内面はもっとえたいのしれないものであり、その正体を探るために映画を作り続ける。杉野が抱える自我の暴走は止まらない。
=敬称略
(水口二季)[日経産業新聞から転載、日経電子版2016年3月3日付]

【関連記事】
「アニメの続きは現実で 自治体・企業、コラボで広がる 」
「小劇団に活躍の場を 専門学校や劇場がコラボ」
「『U-23』女優、続々抜てき 学園・恋愛ドラマ活況 」

「日経College Cafe」のお勧め記事はこちら>>