楽園の駒場生活から苦悩の研究生活へ
留学経験なしからのマルチリンガル(2)
秋山燿平の留学経験なしからのマルチリンガル
大学生デビュー
3年間の受験勉強を経て上京してきた私は、大学という自由な空間に驚きを隠せませんでした。隙間が目立つ時間割表、空席が目立つ教室。塾に行かずとも東大合格を実現させる進学校で過ごしてきた私にとって、このような光景はまさに異質に映りました。しかし、慣れてみればそこは楽園。受験生活で知らず知らずのうちに溜まっていたストレスから一気に解放され、私はこの自由を全力で享受しました。よく言う「大学生デビュー型」ですね。人生で初めて髪の毛を染め、様々なサークルを掛け持ち、そして塾講師のアルバイトで飲み会費を稼ぐ......。通っていた高校が女子率1割と非常に少なく、「恋」に恋していた私は合コンにも積極的に顔を出しました。
「せっかくだし、点数高いとこ行くか」
このような生活を盲目的に続けて迎えた、東大名物「進学振り分け」。大学2年生前期までに受講した講義の点数全てを平均した点数が自分の「持ち点」となり、その点数によって自分が選べる学部・学科が決まります。東大の講義の多くは出席点があまり重視されず、期末試験の点数がそのまま点数として反映されることが少なくありません。私は運に味方されて試験で偶然にも高得点を複数獲得し、比較的高い平均点を持っていました。そのため、基本的には医学部を除く全ての学部・学科に進学することができる状態だったのです。
しかし、上記のような生活を続けていた私は、「自分が将来何を研究したいのか」を決められるはずもありません。困り果てた私は、「せっかく点数が良かったのだから、高い点数じゃないと入れないところに行くか」という安易な考えから、理系で医学部の次に高い点数を要求される薬学部を選びました(しかし、この年に限り薬学部の志望者が激減し、定員割れ。結局何点でも入れたという事実を後に知ることになります)。
研究者を生み出す場所に紛れ込んだ自分
進学振り分けを終えて薬学部へ進学した私は、徐々にこの学部の存在意義を知ることになります。東大薬学部は「創薬研究者を生み出すための場所」でした。薬剤師の資格を取れる6年生コースはそもそも定員が1割しかないにもかかわらず定員割れの状態、そして修士課程進学率は95%以上、博士課程進学率が約50%。
4年生の研究室配属以降は1日12時間研究室にいることが一般的で、土曜に参加必須のセミナーが組み込まれる(全てがそうではありませんが、このような研究室が少なくないのは事実です)。「将来研究者になりたい」と思っている学生にとってはこれ以上ない素晴らしい環境です。しかし、私のように「なんとなく点数が高いから」という理由で入る場所ではありませんでした。ただ、もう入ったのだから後悔はしないでおこうと、主に行きたい研究室を決めるために毎日行われる、各研究室持ち回りの実習に必死で取り組みました。
やっぱり自分は向いてない
真剣に実習に取り組んだものの、すぐに自分が研究者に向いていないことが露呈します。フラスコを落として割り、危険物質をこぼす。他の学生が先生のチェックを受けて早々に帰宅する中、不器用な手で夜遅くまでビーカーと格闘する日々でした。プロスポーツ選手と同じで短期契約であり、結果を残さないといけない研究者に、こんな初歩的なミスを連発する自分がなれるはずもありません。徐々に「研究者は無理だな」という思いが確信へと変わっていきます。周りの同級生が難解な化学の問題についてラウンジで活発に議論している姿を見ても、そこに加わろうと重い腰を上げることもありませんでした。ほとんどの学生が来年からどの研究室に行くかを楽しそうに考えている中、私は大学2年までのあの楽園のような日々を思い返していました。
新しいアイデンティティーを探しに
しかし良い研究者を生み出すために存在し、そのための教育を行う薬学部に身を置きながら、研究者にはならない。このような選択を行った時、自分の中に一つの疑問が芽生えます。
「このまま卒業したら、自分はどんな価値を社会に提供できるのだろうか?」
薬学部で学ぶ内容は創薬研究者になるためのもの。その他の道に進む場合、役に立つものは多くありません。そのため研究者にならないと決めた場合、自分はどのような価値を持って社会に出て行くのかがよく分からなくなってしまったのです。高校3年間必死に勉強して入った東大を卒業し、特別な価値もなく社会に出る......。私はこの事実を受け入れたくありませんでした。
「新しい自分の確固たるアイデンティティーを作りたい」。このように強く思い始めます。そしてそのヒントを探しに行くべく、3年生の夏休みにアメリカ・サンディエゴに「アイデンティティー探しの旅」に出かけることを決めました。
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