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liberal arts-大学生の常識

医者だからできる迫真のCG
東大理III出身の異才

医者だからできる迫真のCG東大理III出身の異才

 自分の好きなことを趣味程度に楽しむのが凡人。本物の異才は違う。これでもかというほどの情熱を注ぎ、理想を追求するための知識と技能を身に付ける。サイアメント(東京・文京)の瀬尾拡史社長(30)がその一人だ。きちんとした科学知識に基づいた3次元CG(コンピューターグラフィックス)を作る――。そのために、難関の東京大学理科III類に進み、医師免許も取得した。専門の知識に裏付けされた正確さと同時に、美しく、分かりやすく科学を映像化する。その実力は世界も認める(以下、敬称略)。

 「まあこれで心臓シミュレーションの研究成果を世界に広げる一助となった」。米ロサンゼルスの会議場でスポットを浴びる中、ステージでトロフィーを受け取った瀬尾は、喝采を送る観客を落ち着いた目で見つめていた。2015年8月10日、世界最大のCG学会「SIGGRAPH 2015」の表彰式だ。瀬尾の作品がビジュアライゼーション/シミュレーション部門の最優秀賞を獲得したのだ。

 アニメやゲームなどのエンターテインメント系の作品が上映される中、まるで新種の生き物であるかのように動く心臓の姿をCGで再現した瀬尾の作品は異彩を放っていた。東京大学が理化学研究所や富士通と協力して開発した心臓の動きをコンピューター上で再現するシミュレーター「UT-Heart」。瀬尾はそのデータを取り入れ、心臓や血液の動きを精密に可視化した。

「マルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータUT-Heart」の一場面。画像提供は理化学研究所 HPCI戦略プログラム 分野1「予測する生命科学・医療および創薬基盤」。動画は同プログラムのホームページで公開している

 世界的な展示会で表彰を受けながらも、これといった達成感はなかった。獲得できるという確信があったからだ。これまでにない正確さで心臓の動作を再現しつつ、映像としての美しさやインパクトもある。心臓内部を探検するかのように視点を切り替える巧みな構成は、医師など専門家でもうなるはずだ。もちろん一般の人が楽しめるように、分かりやすい構成やナレーション、音楽はこだわり抜いた。

NHKの科学ドキュメンタリーに衝撃

 瀬尾が社長を務めるサイアメントは科学に特化したCG制作会社だ。デジタル社会の進展などを背景に、CGの需要は高まる一方で、同社には研究所や放送など様々な業界から依頼が舞い込む。特に医療分野に強く、11年の発足以来、心臓シミュレーションのほか、肺疾患の啓発用CM、iPS細胞を解説するアプリ、テレビドラマ「彼岸島」のオープニング映像など多数のプロジェクトを手がけてきた。

 同社が目標として掲げるのが、難しい科学の世界を「正しく、楽しく」伝えること。社名のサイアメントにはサイエンスとエンターテインメントを融合するという意味を込めた。瀬尾が医師免許を取ったのは、この理想を実現するためだ。

サイエンスCG制作のベンチャー企業、サイアメント社長の瀬尾拡史(せお・ひろふみ)氏。正しい科学を追求したCGを作るために医学を学び、医師の免許を取得した

 中途半端な知識でわかりやすさばかりを追求すると、本質とずれた映像ができあがってしまう。「サイエンスのCGは単に可視化するだけでは意味がない」。専門家が見ても妥当性に納得でき、価値を感じさせる見せ方をしなければならない。だからこそ、現場の医師と対等に医療の話ができなければならないというのが瀬尾の持論だ。

 しかし、最初からこうした考えがあったわけではない。数学者やエンジニアになりたいと思った時期もあったという。転機は中学2年生のころにテレビで見た科学番組との出合いだった。

 1998年、中高一貫の進学校、筑波大学付属駒場に入学した瀬尾は、部活に「パーソナルコンピュータ研究部」を選んだ。プログラミングという世界があることを初めて知ったほどの初心者だったが、次第にのめり込んでいく。

 2年生になり、先輩が「今年はCGをやる」とテーマを決めた。数式を使って球体などの3次元(3D)映像を作り出す。同級生とCGや数学の勉強会を開いたほか、理論書を読んで勉強を進めた。

 そんなとき、自宅で何の気なしにテレビをつけると、科学ドキュメンタリーが始まった。NHKスペシャルの「驚異の小宇宙・人体3 遺伝子・DNA」だ。遺伝子に変異が加わることでガンなどの病気がどう引き起こされるのか、老化や人間の心にどう影響を与えるのか。そのメカニズムをCG映像で見せるという番組だ。

 画面に引き込まれた。科学知識に基づいて、現実に見えないはずのものを映像にする。「こんなCGの使い方があるのか」と衝撃を受けた。「ジュラシック・パーク」のようなCG映画とは違った興奮だった。いつしか「自分でもいつか科学の面白さを伝えるCGを作りたい」という意識が芽生えるようになっていた。

科学の本質を学ぶため東大へ

瀬尾氏が中学2年生の時に制作したCG。Cやアセンブラといったコンピューター言語を駆使して球体の光や反射を表した。画像提供:瀬尾拡史氏

 その後もパソコン研究部の活動は続き、いつしか幾何学的な物体が飛び回るといった様子を画面内で作り出せるようになった。3年生のときは部長にも就任。高校生になるとCGの編集ツールを使い、文化祭のイベントや学校紹介などの動画制作に没頭した。

 高校卒業が迫り、進路を考える時期となった。CGは続けたい。でも正直、ハリウッド映画を作るほどのセンスはない。なにせ美術の成績は「ごく普通」。絵を描くことは好きじゃない。美術大学に入るのは100年たっても無理だ。

 中学時代に見たNHKの番組のような、科学のCGを追求したい。となれば、見た目だけのCGでは意味がない。正しく、科学に基づいた映像を作り出したい。何を学ぶか。結論は医学だった。「医学は大学に入らないと本格的に学べない。実際に患者を診療してみないと分からない部分があるはず」と考えたからだ。

 東大は自宅から通いやすく、中学高校の先輩も多い。「だったらまあどこが一番いいかとなれば東大だろう」。一浪して東京大学理科III類に合格。2005年4月に入学した。

2年分の単位を半年で取得しダブルスクール

瀬尾氏がデジタルハリウッドの卒業制作で手掛けた「細胞の世界」のリニューアル版。動画はサイアメントのホームページやYouTubeで公開している。画像提供:サイアメント

 本格的なCG技術を習得するには、まとまった時間が必要だ。当時はインターネット上にCGソフトに関する情報が少なく、専門の学校で学ぶのが一番の近道だった。

 そのために瀬尾が取った手段が思い切っていた。「大学の2年分の単位を半年で取る」というものだ。月曜日の1限から金曜の5限までびっしりと授業を入れた。密度の濃い大学の講義が続けば、途中で息切れしそうだが、「中学高校でも3時すぎまで授業があって、パソコン研究部があり、塾にも行った。その延長と考えれば大変ではなかった」。前期が終わる9月までに単位を取ると、以降は「1日1~2コマ程度」と授業はスカスカになった。

 CGの学校はクリエーター向けの専門校「デジタルハリウッド」(デジハリ)を選んだ。授業は週1日だけの半年コース。土曜日の6時間の授業で、ハリウッドでも使われているCGソフトの使い方を学んだ。東大の授業が終わったら、残りの時間はデジハリに行き、課題制作などに取り組んだ。授業が終了したあとの夏休みには卒業制作に取り組む。らせん状のDNAや、雲のように核を覆う小胞体など幻想的な「細胞の世界」を映像化した。その作品は9月のデジハリ内の講評会で優秀と認められ、その後に表彰を受けた。

裁判員第1号事件でCG制作

裁判員制度の模擬裁判の資料として制作した動画。心臓が傷つくことで心拍動が停止する「心タンポナーデ」が発生するまでの過程を解説している。こちらの動画もYouTubeで「Cardiac tamponade Japanese version (心タンポナーデ) 」のタイトルで公開中。画像提供:瀬尾拡史氏

 07年、大学3年生となり医学生としての勉強が本格的に始まると、再びCGの才能を発揮する機会に出合う。相談役になった法医学の教授にCGの話をすると「君、そのCGっていうのを使うと何か裁判員制度に役立つものってできるの」と尋ねてきた。教授は、09年から始まる裁判員制度の運用方法を検討する仕事に取り組んでいたのだ。

 「できます」と即答した瀬尾は、裁判員制度のためにCG制作を始める。実は自宅にはCG用のパソコンやソフトがなく、教授の打診は渡りに船だった。新しいパソコンやソフトを研究室にそろえてもらい、早速プロジェクトに着手した。平日は授業やテストを受けながら、プロジェクトが佳境に入ると休日に研究室にこもる日々が続いた。

 4年生になり、模擬裁判の資料として心臓に受けた傷の位置や心拍動が停止する様子が分かる動画を作成した。5年生になると、09年8月の裁判員裁判第1号事件で、被害者の傷の状況を示すCG画像が使われた。この功績が認められ、10年3月には東京大学総長賞及び総長大賞を受賞した。

医療の発展にCG活用

 裁判員制度のプロジェクトが一段落したあと、医師国家試験の時期となった。6年生の終わりまでは、さすがの瀬尾でもCGには手を付けず、みっちり勉強したという。

東大の本郷キャンパスにあるインキュベーション施設内にオフィスを構える。瀬尾氏は東京大学医学部の博士課程にも在籍している

 医師免許の取得後は、東京大学医学部の付属病院で研修医となった。呼吸器内科の先輩医師から相談を受け、気管支の立体構造をCGで再現したiPadアプリを作った。現場の医師の意見を取り入れながら、支援ツールを作る経験を通し、確信した。医療の知識と、CGの技術を融合させることで、治療や手術を効率化できて、患者の負担も軽減できる。奇跡のような成果が出せるかもしれない。それを続けるには自分で会社をつくるしかない。

 11年、瀬尾は研修医を続けながら会社を立ち上げる。12年に社名をサイアメントとして活動を開始した。

 しかし、多くのスタートアップ企業が描く上場などのストーリーには興味はない。「だってこの部屋を見てくださいよ」と手を広げる。会社がある東大インキュベーション施設のがらんとした一室にはパソコンが2台あるだけだ。

 「数億円の投資なんて必要ないんです」。現在の事業規模であれば、瀬尾ともう1人の技術者のほか、外部のCGプロダクションと連携することで十分に高品質なCGが制作できる。それだけの知識と技能は蓄積してきた。

 普段はクールな性格の瀬尾の胸を揺さぶった一言がある。「私の心臓には小さな穴が開いているのですが、どこなのか初めて分かりました」。子ども向けのイベントで講演した後に、ある低学年の女の子が話しかけてきた。心臓の構造について医者から説明を受けていたが十分に理解できなかった。それが講演で見せたUT-Heartの映像によって一目で把握できたのだという。「こういうやり取りが1番うれしい」と話す。

 現在、東京大学の博士課程に在籍する。CGと気管支というテーマで論文を完成させる予定だ。検査時間を短くし、患者の負担を減らすための気管支検査のシミュレーション用ソフトも作り上げる。

 「世界中の治療の現場で役立つシステムを作りたい」と力を込める。医学とCG、2つの才能を持つ瀬尾の手によって、CGは見て楽しむだけではなく、医師を支援し、患者を助けるツールへと進化しようとしている。
(電子編集部 松元英樹)[日経電子版2016年3月2日付]

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