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温泉宿を“爆”買収
中国人は地方観光の救世主か

温泉宿を“爆”買収中国人は地方観光の救世主か

 2015年度の訪日外国人(インバウンド)数が2000万人を超えた。観光地は盛り上がりをみせているが、その裏で異変が起きている。温泉地にある旅館やホテルの経営者が次々と外国人に入れ替わっているのだ。政府や自治体が「観光立国」に熱を上げる一方、経営難や後継者不足にあえぐ旅館やホテルの衰退は確実に進んでいた。経営を断念した売却物件を買っていくのは外国人ばかりで、その多くは中国人だ。日本の温泉旅館を狙う彼らの思惑はどこにあるのか。

10億円の物件を即決

 「この場でサインしましょう」。中国人男性が3軒の旅館購入を決めた瞬間だった。総額10億円にのぼる。中国人男性は「詳細を詰めるために近いうちに来日する」といって中国に帰っていった。「最初から買うつもりの場合は値引き交渉をしない。そして即決する」。物件を仲介したホテル旅館経営研究所(東京・中央)代表の辻右資はあらためて強く実感した。

 東京・銀座にある辻のオフィスに、中国人男性が訪れたのは3月中旬のこと。約束の10時前に受付のベルを鳴らしたその男性は、上海で複数のホテルを運営している経営者だという。そこから4時間に及ぶ商談が始まった。

フロントには中国語で「朝食はバイキング形式」と書かれている(山梨県笛吹市)

 「この旅館の敷地は建て増しできるか」「運営は誰かに任せられるのか」――。中国人の男性は電卓をたたきながら細かい質問をしていく。最大の関心事は投資に対するリターン(利益)がどのくらいあるかだった。辻が提案したのは日本各地の有名温泉地にある5カ所の旅館とホテル。売却額はどれも3億円以上になる。なかには高級旅館で知られる関東近郊の老舗旅館もあった。「いずれの物件も企業や個人が所有していたが、オーナーの高齢化で後継者がみつからず、やむなく手放すことにしたようだ」(辻)。

 金沢、箱根、蔵王......。中国人の男性は辻と面談する前、6泊7日の日程で5カ所の物件をすべて駆け足で視察し、うち2カ所は実際に宿泊した。通訳や物件の案内役など3人を引き連れた「視察ツアー」の目的は、購入する価値があるかどうか。その見極めだった。来訪の目的は旅館側に明かさず、あくまで一般の旅行者としてふるまったという。

 男性はもともと日本の温泉が好きで、観光でなんども来日していた。真剣な表情で建物の状態や客室スタッフのサービスなどを見ていた。夕食にも舌鼓を打った。同行した案内役は「本気で買うつもりできている」と感じたという。

経営だけ入れ替わる

 外国人による旅館やホテルの買収は増えているが、正確な実態をつかむのは難しいとされる。昨年12月に「雲海テラス」で知られる星野リゾート・トマム(北海道占冠村)の全株式を中国企業が180億円で取得した買収劇。これは大きく報道されたが、通常は表に出ることは少ないという。宿泊客が知らない間にオーナーが入れ替わっているケースがほとんどだ。経営者が交代しても従業員はそのまま雇用されることが多い。

 不動産シンクタンクの都市未来総合研究所(東京・中央)によると、公表された案件をまとめただけでも外国企業による旅館・ホテルの売買件数は2015年に46件と前年比2.7倍になった。主任研究員の下向井邦博は増加の背景について「訪日外国人が増え、大都市では旅館やホテルの稼働率が上がっている。客室単価も上昇し、投資先として魅力が高いと感じている」とみる。

 一気に増え始めたのは2020年の東京五輪・パラリンピック開催が決まってからだ。売買を仲介する辻のもとには毎日のように購入を打診する問い合わせが入る。売却リストには箱根や伊豆、金沢、湯布院など日本の代表的な温泉地が並ぶ。最近は中国人だけでなく、台湾やシンガポールの投資家からも問い合わせが増えている。「この物件の概要を送ってほしい」。資料を受け取って気に入ると、あとは現地を見て購入するかどうかすぐ決断する。一見すると強気にも思えるが、彼らが当て込んでいるのが急増する訪日外国人だ。

 日本政府が政策として推し進める訪日外国人の誘致。その数は2015年度に2000万人を突破した。2020年には2倍の4000万人に増やす計画だ。外国人ツアー客の観光プランは東京、大阪、富士山などいわゆる「ゴールデンルート」を回るものだが、大都市ではホテルなどの部屋不足が深刻化している。その波は地方の温泉地にも波及し、各地で苦境にあえぐ旅館やホテルにとって「救世主」となる可能性を持っている。

客も中国人に絞る

 「手を挙げたのは中国人だけだった」。2014年冬、大阪府内にある温泉ホテルを売却した不動産会社の関係者は当時を振り返る。大阪市内から離れた場所にあるホテルは客室数35、築40年以上で老朽化が目立っていた。客数も減少し、経営を立て直すには部屋のリニューアルや浴室の改修などに1億円以上が必要だった。ただ改修しても客数が上向く見込みはなく、この不動産会社は売却を決めたという。

 買い手を募ったが、名乗りを挙げた3人すべてが中国人だった。物件としての魅力はそれほど高くはなかったが、「ゴールデンルートにあったことで救われた」という。売却額は1億5000万円。購入したのは訪日外国人を専門に扱う旅行会社の中国人経営者だった。ところが所有権が移った直後、ホテルは様変わりする。宿泊客のターゲットを中国人に絞ったのだ。

 部屋ごとに出していた朝食はバイキング形式になり、宴会場として使っていた大広間は客室に改装。家族客の自家用車がとまっていた駐車場は大型観光バスで埋まった。その結果、日本人客はあっという間に減っていったという。ただ、客室の稼働率は急上昇し、「ほぼ満室に近い状態になっている」(関係者)。運営コストをギリギリまで抑えることで格安の中国人ツアーを取り込み、利益を上げる戦略だ。

 買収された旅館やホテルの多くは中国人専門の宿泊施設へと変わる。それは地元にとっても決して悪いことばかりではないようだ。

ある旅館の復活

 桃の産地で知られる山梨県笛吹市。東京から電車で1時間半ほどの「奥座敷」といわれる石和温泉がある。全盛期には年間300万人いた日本人の宿泊者は半分弱にまで落ち込んでいる。最近、目立つようになったのが外国人だ。なかでも6割を占める中国人は2~3割増で伸びている。そして、この地でも数年前から中国系企業による買収が相次いでいる。石和温泉で営業している旅館・ホテルは49。このうち6施設を中国人経営者が所有する。

中国人経営者が買収したホテルは宿泊客が中国人だけになった(山梨県笛吹市)

 その一つが「緑水亭 やまぶき」だ。旅館は経営破綻した後、いったん日本語学校になったがそれを中国人が買い取った。旅館にはいまも日本語学校の名残を感じる看板が残されている。JR石和温泉駅前の観光案内所で「いまは営業していないと思いますよ」と言われたが、実際には営業は続いていた。なぜ地元では知られていないのか。

 元留学生だという中国人支配人に聞くと、「うちはPRする必要がない。中国の旅行会社から直接、ツアー客を紹介されるから」と説明する。毎日40人程度の中国人ツアー客が宿泊するという。昼過ぎの館内は電気が消されており、薄暗い。到着はいつも夜7時ごろで、翌朝には次の宿泊地へ慌ただしく出発する。滞在中はホテルの外に出ることがないという。「日本人のようにタクシーに乗って買い物や飲みに行くことはない。お金は落としていかないよね」。タクシー運転手は複雑な表情で話す。

 それでも地元で歓迎の声は少なくない。石和温泉旅館共同組合の理事長で、自らも旅館を経営する山下安広は「中国系の旅館とは共存共栄でやっている」と話す。日本人宿泊者が減り続けるなか、「外国人が来ないと経営が成り立たない」からだ。中国系の旅館だけでは対応できない宿泊客を紹介してもらうことがある。代わりに日本の接客スタイルである「おもてなし」を教えている。

ステータス目的も

 中国人による旅館への投資は必ずしも利益を上げる目的だけではないようだ。東京都北区にある印刷会社、アールコーポレーション代表の舘正子は中国で生まれ、30年前に来日して日本国籍を取得した。中国の北京市にも事務所を持ち、日本企業の海外進出を支援するビジネスも手がける。彼女の幅広い人脈を見込んで最近、中国の富裕層から「日本の温泉旅館を案内してほしい」という要望が増えているという。

 1月に来日した中国・北京に住む不動産会社の男性経営者は、箱根や鬼怒川温泉、石和温泉に宿泊し、いたく気に入った様子だった。「いい物件があれば買いたい」と話したという。目的は旅館やホテルへの投資の見返りというより、「ステータス」にあると舘はみている。富裕層の多くは日本の食べ物や温泉が好きでしばしば観光に訪れている。ブランド価値の高い有名旅館を自分の所有にできることが、彼らのプライドをくすぐるようだ。

 そして、もう一つの理由が「資産の移転」だ。中国の富裕層は資産を国内だけでなく、海外にも分散して保有している。国内の不動産市場が冷え込んできており、資産を海外に移す動きが加速している。日本もその有力な候補となっているのだ。日本の地価はずっと下がり続けており、今が買い時と判断している。

 宿泊施設の経営に詳しい井門観光研究所(東京・千代田)代表の井門隆夫は「中小規模の旅館は老朽化した施設を改修する余裕がなく、客室の稼働率も低い」と指摘する。復活のカギとなるのが急増する訪日外国人だ。しかし、なかには外国人客のマナーの悪さを口実に積極的に受け入れをしない旅館も少なくないという。そうした旅館の姿勢が井門にはもどかしく見える。「客を増やす可能性があるのに動いていない」

 急増する訪日外国人は、投資家としても、顧客としても、地方の観光産業建て直しの鍵を握る。一方、このブームが去れば何が残るかという不安も残る。温泉地の旅館やホテルの経営者にとっては悩ましい選択だ。
=敬称略
(古山和弘)[日経電子版2016年5月16日付]

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