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世界的デザイナーが語る
もう一つのシリコンバレー史

世界的デザイナーが語るもう一つのシリコンバレー史

 シリコンバレーでは1980年代半ばからデザイン会社が研究開発の受託からコンサルティング、マーケティングへと業務内容を広げながら企業の経営に深く入り込んでいった。その結果、素人でも使いやすいIT(情報技術)サービスや機器が次々に生まれ、強さの源になった。その中核的な役割を担ったのが、デザインコンサルティング会社の米IDEO(アイディオ)だ。当時、同社の中でその課程を見ていた世界的な工業デザイナー、深沢直人氏にデザインの役割などについて聞いた。(聞き手はシリコンバレー支局 兼松雄一郎)

日本にはコンサルもできるデザイナーがいない

 ――シリコンバレーではデザイナーの定義が日本よりはるかに広い。

 「世の中の人はまだデザイナーを絵を描く人だと思っている。だが、デザインからコンサルへと守備範囲が広がっており、経営への関与を強めている」

 「欧米と比較した場合、デザイナーの職能は日本だけが違う。米国は近代デザインを確立した独デザイン学校『バウハウス』の時代からデザインが自前でないことに慣れている。外部デザイナーに任せる文化がある。日本では考えにくいが、欧米ではデザインセンターが有名デザイナーを雇うのは珍しくない。デザイナーは普通は独立心が旺盛な人たちで、様々な企業の仕事を受注するのが基本だ」

 ――日本のデザイン産業における課題は。

 「日本は外注を嫌うところがあり、社内デザイナーを養成する仕組みになっている。たまに有名デザイナーを使うが、単発の発注が多く、その目的も社内に取り込むためだ。たまに過激なものが生まれても次につながっていかない。機密保持の問題が大きいのかもしれない。創作を極めようとしたときに突き詰めきれない環境だ」

良品計画の壁掛け式CDプレーヤーのデザインで知られる深沢直人氏

 「私はIDEOでコンサルティングを学んだ。日本にはコンサルもやれるデザイナーがまずいない。特にものづくりが分かる工業デザイナーで、経営もできる人材がいない。デザイナー業界全体が疲弊している。今となっては壊滅状態。私のようなのはユニークな存在で、知恵袋、駆け込み寺的に使ってもらっている。もっともうかってもいいのに、と思っているぐらいだ」

 「日本企業では予算に限りがあるので、社外から1人で入っていって社内デザイナーと組む形で自分で仕事をつくっていった。これなら私一人のコストで済む。KDDIなど長い期間一緒にやっている顧客が多い。(代表作の一つで2000年発売の)良品計画の『壁掛式CDプレーヤー』は現会長の金井政明氏に直接売り込んだ」

消費者の無意識の傾向をつかみ、データで裏付ける

 ――現代のデザインコンサルの仕事を端的にいうと。

 「直感的なひらめきから社会の『兆し』、集合的な無意識をつかみ、それをデータで裏付ける。デザインは感覚的にやるが、そこにあとで分析したものを加える。米国が特にそうだが、大企業ではどうしても裏付けが必要で、それなしには経営陣は納得してくれない。米国ではデザイナーはプレゼンで自然に鍛えられる。日本で近いものを挙げるとすれば、広告代理店のクリエイターだろう。データを結びつけてプレゼンする。数値を出さないとデザイナーもすぐにクビを切られる」

深沢氏がデザインした無印良品の「壁掛式CDプレーヤー」(左)とKDDIの携帯電話「INFOBAR2」

 「一方、欧州では経営層とデザイナーが直結しているのでプレゼンの必要はあまりない。10人くらいの少数精鋭で組織を回す。米国でもアップルのスティーブ・ジョブズ氏はデザイナーと通じ合っていた。感度がある一部の人しか組織に残れないのが欧米、感度がない人も食べさせるのが日本だ。欧州に近いモデルを日本でやっているのが、私が経営陣に助言している良品計画だ」

 ――これほどデザイナーが活躍するようになったのはシリコンバレーで生まれたデザインコンサルIDEOの成功が大きい。IDEOを歴史的にどう位置づけるか。

 「IDEOは実態としてはスタンフォード大出身のエンジニア集団がデザイン会社IDトゥーを買って誕生した。当時私はIDトゥーにいて人間の使いやすさを基準にした『インタラクションデザイン』などIDEOのデザイン思考のもとになる哲学を確立した世界的デザイナーのビル・モグリッジ氏らと働いていた。僕はIDEO誕生の反対派の旗頭だった。大企業になる必要はないと考えていたからだ」

米国ではエンジニアがヒーロー、IDEOでデザイナーも尊敬の対象に

 「しかし、結果としてIDEOのおかげでデザイナーがエンジニアから尊敬されるようになった。歴史的には欧州はデザイナーがヒーローだが、米国ではそれはエンジニア。だから当時、シリコンバレーの純粋なデザイナーにはほとんど米国人はおらず、英独など欧州出身者が多かった。IDEOでも米国系は数%ぐらいしかいなかった」

 「ハイテク機器のデザインはシリコンバレーが中心で始まった。欧州、特に英国のデザイナーは自国に産業が乏しく食えないので、米国で職を探した。米国のデザインの大学に留学してきていた。日本からはあまり人は来なかった」

 ――IDEOの仕事のやり方で他のコンサルと違っている部分は。

 「IDEOはコンサルティング企業として単なる調査をやっているのではない。サービスに力を入れている。複雑な問題を整理し、うまく視覚化する。ブレインストーミングなんかで盛り上げるのもうまい。ただ、自分は英語がうまいわけでもないので、うまく乗れないところはあった」

深沢氏が働いていたIDEOのサンフランシスコオフィス

 「他のコンサルティング会社との最大の違いは最終成果物に必ず結びつけること。そういう契約になっている。そのためのノウハウを蓄積し、それをまるごと企業に売り込んでいる。だから自分で技術投資もする。エンジニアの大半が企業の中にいる日本とは大きく違う」

 「プロジェクトを丸ごと受けるので、顧客にとっては社外にR&Dセンターを持つようなものだ。その代わり単なるデザイン会社とは金額の桁が違う。企業のプロジェクトリーダーがIDEOを雇って手柄にする仕組みになっている」

ジョナサン・アイブ氏の面接官をしたことも

 ――IDEOではどういう人材が育成されてきたのか。

 「IDEOでは職能をあまり意識しなかった。技術も起業も数値の管理もできる人材を育てようとしていた。MBA、工学、デザイン、言い換えればビジネスと芸術を組み合わせた商売をやり始めていた。IDEOにはエンジニアが多いが、純粋なデザイナーというのは案外、少ない」

IDEOは米アップルの初代マウスの開発にも携わった

 「スタンフォード大学にIDEOにいるような領域横断的な人材を育てる教育機関『dスクール』ができたのもこうした人材へのニーズの高さが背景にある」

 「デザイナーの報酬体系は時間給でコンサルタントそのもの。非常に価値が明確で、その時給が転職市場での価値になっていく。(販売額などに応じた)ロイヤルティーでもうけているデザイナーは本当に一握りで、基本はコンサルで稼ぐ。人材の引き留めは難しい。IDEOの発足当時は20代が多かった。入れ替わりは激しい。当時から残っているのはティム・ブラウン最高経営責任者(CEO)だけだ」

 「IDEOには優秀な人材が多かったのでヘッドハンターがまず最初に見る存在だった。電話がバンバンかかってきていた。ナイキからもきた。ナイキにもIDEO出身者がごろごろいる」

 ――IDEO出身者がシリコンバレーに散らばり、アップルなど多くの企業で活躍している。

 「デザインで評価してもらい、僕のところにアップルから名指しで仕事が来ていた。創業者のスティーブ・ジョブズ氏がアップルに復帰する前からIDEOからアップルへ人材が動き始めていた。復帰時には4、5人は引き抜いていった。当時、アップルは生産もわかって部品会社ともやりとりできるデザイナーを集め始めていた。世界的デザイナーのジョニー(ジョナサン)・アイブ氏のグループのコアメンバーはほとんどがIDEO出身者で、いまもそれほど変わっていないはずだ」

 「まだ無名の若手デザイナーだったアイブ氏がIDEOに応募してきたこともあった。僕は面接官の一人だった。結局、アップルがアイブ氏を拾い、僕はアップルから仕事を受けていたので一緒に働いた。彼は地味なタイプだったのでジョブズ氏がトップデザイナーに指名した時は業界の人たちは意表をつかれた」

 ――アイブ氏との直接の交流はあるか。

 「有名になってからアップルの秘密のデザインスタジオに案内してもらったことはある。(独ブラウンのトップデザイナーとして知られた)ディーター・ラムス氏が後継者とみなしたデザイナーが何人かだけいて、アイブ氏と私がそうだ。ラムス氏の自宅に行くと、彼のためにアイブ氏が特別に切削し贈呈したパソコンが置いてあった」

目立つデザインからそぎ落とすデザインに

 「アイブ氏は成長していったのだと思う。ボンダイブルーのカラーバリエーションで消費をあおった『iMac』から方向転換し、現在のミニマリズムに作風を変えていった」

 「2000年前後は、(とにかく目立つ外観が特徴の)『ポストモダニズム』から、有名デザイナーのフィリップ・スタルク氏とかが引っ張った過激な(造形の)『エモーショナルデザイン』への移行期だった。その影響を多くのデザイナーが引きずっていた。ミニマリズムは90年代には流行らなかった。それを代表するラムス氏も過去の人という扱いだった」

 「ラムス氏は人間性が強い、暖かみを感じさせる人で、これ以上のものはもう作れないとデザインをやめ、自分の作品をタイムカプセルに入れてしまっていた」

 「そんな中、97年ごろからだろうか、自分の中で実験を繰り返し、(派手なデザインの競争から)一斉にすーと手を引こうと思った私のようなデザイナーが世界で何人かだけいた。違った動きをしているデザイナーの存在が分かりやすかった。デザインによって何か付加価値を加えるよりも、そぎ落として『素』でいく。日本だと良品計画がそれに気づいていた会社だった。最初は包装の省略しかやっていなかったが、工業デザインを手掛け始めていた」

 ――デザイナーとしてどういう切り口で消費社会の今後をみているか。

 「ここ30年くらい各個人がそれぞれ別のモノを使おうとしてきた。だが、簡単にシェア、共有できてしまう時代になり、それがなくなっている。iPhoneもそうだが、何億人もの人が同じものを使う時代が来た。自分の車を持たなくても、他人のクルマでいい、というふうになりつつある。消費者向け家電は市場がなくなってしまった。今までは消費者に向かってものを開発していたが、世の中は『B2B(企業間取引)』に向かう傾向がある。インフラのようにモノを売り、消費者がそれを共有する」

無個性の時代、デザイナーもデザインも見えなくなっていく

 「むしろみんなと同じものの方がいい。どうせ持たないといけないものなら長く持てるものを買う。あんまり簡単に商品に手を出さない。欲しいが我慢したい。矛盾した気持ちを持っている。我慢して、ほどほどのモノを買い、それを美徳だと思っている」

世界的デザイナーの深沢直人氏

 「社会が個性なんかいらないという方向に行ったので、これからデザイナーもデザインも見えなくなっていく。マーケティングやコンサルティングと融合して経営の一部になっていく」

 ――最近のデザインのトレンドとして何に注目しているか。

 「ジョン・マエダ氏の考え出した『インタラクションデザイン(デザインとプログラミングを融合させユーザーの動作に反応する画像ソフト)』はすごかった。だが、あっという間にマネをされてしまった。インタラクションデザイナーはなかなか食えないなと思った。結局、マエダ氏も教育者になり、ベンチャーキャピタル(VC)でコンサルをやっている」

 ――90年代以降、韓国や台湾はシリコンバレーのデザイン会社をうまく利用してデザインを改善し、台頭してきた。いまの日本の相対的な競争力をどうみているか。

 「いまはデザインが消えていく時代だ。サムスン電子に代表されるような韓国、台湾などの『キャッチアップモデル』はフェードアウトしていく。技術に近いところでデザイン産業を使っているので、デザイナーの姿がまだ誤解されている」

 「一方、端からみると日本は企業が弱くなった、デザイナーも目立たないように見えるが、日本はもう政策を転換している。モノを売るだけではなく、サービスにカジを切っている。それで合っている。たとえば家電メーカーでテレビの売りが『4K』だと考えているところは淘汰されていくだろう。次のリーダーはもうそこを見ていない。違うところで準備をしている。日本も保守的じゃなくなってきた」

 「日本に戻ったとき、道路を走っていても、ホテルのシャワーを浴びても感じるのは身の回りの一般のサービス、モノの仕上がりのものすごいレベルの高さだ。これは他国がまねできない強みだ」

経営層とデザイナーが一体 欧州企業に近い良品計画

 ――米国に挑戦したきっかけは。

 「日本の企業内デザイナーで終わりたくなかった。経験を積むために渡米した」

 「当時はアップルのデザイン哲学をつくり上げた(デザイン会社の)フロッグ・デザインが大きな成功を収めていた。憧れの存在だった。面接を受けにいって『入れてやってもいいよ』と言ってもらえたが、結局採用されなかった。その後、ぼろぼろになったポートフォリオ(自分の作品リスト)が送り返されて来た。何か感じるところがあった。後になってもともといたセイコーエプソンがフロッグの日本の最初の顧客だったことが分かった」

 「米国で活躍できたので、90年代半ばに日本に帰った。それで東京にIDEOの支社を作った。6年やって家電系の顧客を開拓して独立した。その影響でIDEOはいったん東京事務所を閉めて上海に集約した」

 「独立後、欧州と日本の仕事がほとんどだった。欧州の仕事が来すぎて手いっぱいだった。欧州ではデザイナーをスターとして前面に出すシステムがあるので、仕事がしやすい。いまは欧州の市場が冷えてきて、米国の仕事が増えてきている」

 ――いまは良品計画の経営陣に助言している。どういう問題意識を持っているか。

 「経営層とデザイナーが一体になって、欧州に近いモデルを日本でやっているのが良品計画だ。プレゼンなしに経営者と意思疎通ができる。最初からそうだったのかは分からないが、『MUJI』という巨大なシンボルを動かしていくために、欧州のブランドと同じような手法が自然にできていったのかもしれない」

 「どうでもいいものをどうでもよく作っていた雑貨業の中で良品計画は優れたモノを作ってきた。いわば『雑貨のチャンピオン』だ。ものすごく生産性が上がっている。今までは価値がなかったものをうまく使う(デザインする)と十分にいける(価値が上がる)ことを実現している。生活に安心感を与えている存在だ」

 「だが、まだそぎ落とせる部分がある。自分たちが作り上げた世界に甘えている。MUJIの『これでいい』というコンセプトは難しい。未熟なものに甘んじることもできる。世界を制覇するぐらいやってほしい。他社が手が届かないと感じるぐらいの圧倒的な洗練、美学を実現してほしい」

農業やホテルなどMUJI的な考え方でできることがまだある

 ――MUJIは日本の中間層に支えられてきたブランドだと思うが、ライフスタイルの多様性が増す中で、どういう「フツーさ」、「これでいい」という感覚を今後打ち出していくことになるのか。

 「我々は新しい『フツー』を発見しないといけないのかもしれない。新しい『フツー』というのは難しい」

 「MUJIの強いところは会社をでかくしたくないところだ。消費する商品を売っているのに、消費しない生活、ほどほどの抑制をうたっている。富裕層開拓というのは会社の方向性として違うが、かといって富裕層が全く使わないということになってもいけない。すたれないもの、食べ過ぎたら戻ってくるお茶漬けのような存在として必要とされている」

 「今までやってきたように直営商売で途中のマージンをカットして、安くできるところはまだある。例えば家電では日本のメーカーが衰退したために、日本メーカー経由で間接的に使っていた中国の生産委託先に直接発注できるようになった」

 「戸建て住宅もやっているが、まだMUJI的な考え方でできることがある。ホテルとか、農業とか、違う産業に出て行ける。やれることはいっぱいある。MUJIという哲学を通じ、デザイナーというより、『デザイン思考』ができる人がそれを担っていく」

 「いまの時代はアップルに代表されるように単なる商品の外観だけではなく、店舗の体験まで洗練されてきている。ダサいからいい、というようなのは許されなくなる。なぜここにこういうモノがあるのか、使っているのかへの意識が高くなっている。そうした質の高い暮らしの中では、埋め込まれた洗練されたモノは『借景』のようにそこにある。それはわびさびと冷えの世界だ」
[日経電子版2016年5月4日付]

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