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キャンパスドリーマー(10)”純ジャパ”の私が国際協力を志すまで

authored by Co-media
キャンパスドリーマー(10) ”純ジャパ”の私が国際協力を志すまで

 エディンバラ大学やロンドン大学大学院(LSE)留学、国際NGOやUNICEFインターン。国際協力という「やりたいこと」に向かって、慶大在学中からグローバルな活躍をしてきた水上友理恵さん。彼女の原動力となった、世界級の出会いとは。

水上友理恵(みずかみ・ゆりえ)さん
1991年生まれ。2014年に慶應大学法学部法律学科を卒業後、渡英。2015年ロンドン大学大学院(LSE)社会学部人権学科を修了。慶大在学中エディンバラ大学に交換留学を経験した。国際NGOのHuman Rights Watch、国連児童基金(UNICEF)のインターン他、高校生のためのサマースクールHLABの徳島代表を務める。2016年4月、国際協力機構(JICA)に就職。

「目の前のいじめを止められなかった」。中学時代の挫折

――ずっと人権問題にご関心があって、進路を選択していますよね。幼少期に何か原体験があったのですか?

 キャリアウーマンの母の背中を見て育ったことが原体験にありますね。「なんで私の母は、他の家庭のお母さんと比べて家にいないのだろう。大変そうなのだろう。働いているのだろう」ということを不思議に思うと同時に、頑張る母の姿にあこがれてもいました。「女性が働くこと」や「女性の自立」を、自然と考える家庭環境で育ったんです。

 中学生時代は学級委員を務めていたのですが、なぜかいつも、いじめが激しいクラスに当たってしまって、目の前で友達がいじめられている状況がありました。当時の私は学級委員として、いじめられている子の家に行ったり、ホームルームを開いたり、「いじめを止めることはできないのだろうか」と思っていたんです。でも結局、いじめられていた何人かは学校をやめてしまい、いじめていた子もクラスにいづらくなって違う高校に行ってしまいました。

 さらに衝撃的だったのが、一生懸命いじめ問題を解決しようと努力していた担任の先生が、突然担任を辞めてしまったんです。私ひとりの正義感だけでは、目の前にあるいじめ問題を解決できなかった。壮絶ないじめを目の当たりにして、「本当に通用する正義って何なんだろう」と思いました。目の前で苦しんでいる人がいるのに、自分は何もできなかったという、挫折感を味わいましたね。

――なるほど。強烈な挫折感を味わったわけですね。

 中学時代はいい成績をとり、かけっこも速くて、学級委員もやって、部活もやっている、超典型的な優等生を目指していました。与えられた目標を達成することで、満たされるような気がしたんですね。でも、優等生になっても何もできなかった。自分の無力さを、いじめの一件で感じたんです。信じて全力投球していたものが崩れてしまった反動で、「それなら、優等生やめようかな」と。それで、高校時代はやんちゃなことばかりしていました。部活の合宿中に抜け出したり、茶髪にメイク、ミニスカートの女子高生でした。

――それはいじめという陰湿なものへの反発ですか?

 そうかもしれませんね。その時から「自分は何のために生きるのだろう」と考えるようにもなりました。自分が優等生になっても、周りと自分を幸せにできるとは限らない、と悟ってしまったので。その時から生きる意味を模索していたんです。

 その頃、世界で起きている問題に関心を持ち始めました。中学の時に読んだ『生きながら火に焼かれて』(スアド著)という本に衝撃を受けたことが、きっかけでした。ヨルダンの少女が結婚前に彼氏を作ったことで、家族に油をかけられ火をつけられてしまうのですが、なんとか生き延びる話です。当時、私には恋人がいたので「もし違う国に生まれていたら、この本で読んだ少女のように殺されていたかもしれない」と思いました。

――それで海外留学に興味をもったんですね。

 生きづらさ、息苦しさ、将来やりたいことのわからなさみたいなものから、とにかく抜け出したくって。「もっと生きやすい環境があるなら、そこに住もう。環境を変えて、それでも解決しないんだったら自分の問題だ」と思い、自分をよりよく知るためにも海外へ行こうと思いました。

 それから、世界で起こっている人権侵害をもっと勉強したい、なるべく早いうちに海外に行きたいと思うようになったのも理由の一つです。結局、交換留学が充実していそうな慶應義塾大学を選びました。

「当たり前」が崩された、二度の留学経験

――では留学についてお聞きしします。大学2年生の時、英国エディンバラ大学に交換留学したんですよね?

 はい。交換留学は人生が変わった体験でした。エディンバラに到着して2週間目、留学先の友達に「友理恵、Sorryって言い過ぎだよ。もっと自分自身を愛しなよ」と言われました。「自分に自信が持てない私」を見抜かれていたんだと思います。「やりたいことを好きになってもいいし、好きなことをやってもいいし。どっちでもいいんだよ。自分自身をもっと愛しなよ」と強く言われました。

 今まで「自分自身を愛する」なんて、日本の教育でも私の家庭でもあまり言われたことがなかったから、「自分自身を愛していいの?」と最初は驚きました。でも確かに、「自分のことを好きになれば、自然と自分のやりたいことを好きになれるのかもしれない」とその時気づかされました。そこから、「自分のことをまず好きになれば、自分に自信が持てるかもしれない」とも思って。自分を好きになって、自信を持たないと、自分のやりたいことすら分からないということは、今でも大切にしている人生の教えです。

――精神面で影響を受けたのですね。言語や勉強の面で壁を感じたことは無かったのですか?

 エッセーの書き方が最初全く分からず、とても苦労しました。

――日本の高等教育では、なかなか習わないですよね。

 「自分の意見を書きなさい」と言われても、困ってしまって。日本だと、教授の教科書を丸写ししても、単位をもらえることが多かったんですよね。一方、海外では論拠とする論文を論理的に分析し、自分なりの結論を導かなくてはいけない。当時は、学術的なオリジナリティーを求められることの意味がなかなか理解できず、とても苦労しました。「あなたの論文は、何が言いたいのか分からない」と最初のエッセーで教授に言われて、その場で泣きました。「どうすればいいですか」と言っても、冷たく「はい、がんばって」と。自分の頭で考えさせられましたね。

――ロンドン大学の大学院(LSE)に進まれていますよね。大学院はどうでしたか?

 一言で言うと、自分のなかの「当たり前」が全てひっくり返されました。まず、交換留学をした時の比ではない大量の論文に追われ、「留学は楽しいだけではないのだな」と(笑)。私は人権学科を選んだのですが、様々な国から多様な経験をもった学生が来ていて、みんな英語ができるのは当然だし、すでに博士号や弁護士資格を持っている学生もいて、圧倒されました。

 そして、人権を批判的に考える授業も新鮮でした。植民地支配の観点から人権思想を批判するのは、大英帝国だった歴史を持つイギリスならでは。それまで、「人権は当たり前のように守るもの」と思っていましたが、いろいろな見方があることを学びました。

 また、初めてシェアハウスを経験したのですが、忘れられない思い出となりました(笑)。自分はラテン系の性格なので、ラテン系の子と気が合うと思っていて、イタリア人の女の子と住むことにしたんです。ポジティブで楽天的なイメージを勝手にイタリア人に対して抱いていました。でも実はその子が、家ではめちゃめちゃストイックで、神経質で、ネガティブで。論文提出前にはピリピリし始めて、「あなたとは一緒に勉強できない!」と言って家を出て行ってしまったんです。

 一緒に住むことによって自分が予想していたのとは違う友達の一面を初めて知って、そこで自分がステレオタイプで人を判断していたことに気づきました。多様性の中で暮らしてみないと、自分の中の「当たり前」で人や物事を判断してしまう。留学はその「当たり前」を崩す貴重な経験だと思います。

間近で見た「世の中が変わる瞬間」

――大学時代、ケニアにも行っていますよね。

 ケニアに行ったことも、人生を変える出来事でしたね。ケニアに駐在している国連職員の方の家に、2週間くらいホームステイしました。その方が、マサイ族やスラム街に住む女性たちを紹介してくださったんです。スラムは今まで嗅いだことのない強烈な匂いがして、ベッドの上に座っただけで足全体が虫に食われて、真っ赤にただれてしまいました。スラムに入った瞬間に、「地獄のような場所に来てしまった。本当に極限状態で暮らしているんだ」と感じてしまったんです。

 でも現地に住んでいるシングルマザーに、「スラムの暮らしはどうですか」と聞いたら、「自分の住んでいた村より断然いい」と。「村の方がきれいだし、自然も豊かだと思うのですが、なぜですか?」と思わず聞いてしまいました。すると、「伝統と慣習を重んじる村では、シングルマザーに対する偏見がとても強いし、稼いだお金も自分が自由に使えるわけではなく、長老やコミュニティの目を気にしなくてはいけない。でもスラムでは娘と私だけの暮らし。稼いだお金の使い道は、自分で自由に決められ、自分の好きなように生きられる。子どもの教育も自分の思い通りにできる。だから、スラムのほうがいい。絶対に村には帰りたくない」と言っていて。

 先進国から来た、当時20歳だった私が、「スラムは汚くて住みにくそう」と勝手に思っていたけれど、そこに住んでいる人からしたら、圧倒的に自由で生きやすい世界なのかもしれない。現地の人にとって何が幸せかというのは聞いてみなければ分からないというのが、スラムに行って分かったことでした。

――このケニア滞在は、どういう経緯で実現したんですか?

 中学の同級生に「アフリカに行きたい」と言っていたら、たまたま「俺の家族がアフリカにいるよ、行く?」と提案してくれて、即答して5分ぐらいでアフリカ行きが決まりました(笑)。「こういうことをやりたい。こういうところに行きたい」と周りの人にたくさん言っていると、自然とそのチャンスが巡ってくると信じているんです。そのようなチャンスをくれた方々には、心から感謝しています。

――帰国後、インターンもなさっていますよね。

 国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)でインターンをしていました。HRW日本代表で弁護士の土井香苗さんにずっとあこがれていたんです。出会う大人みんなに「土井香苗さんに会いたい」と言い続けていたら、「僕、友人だよ」という大人が現れて、大学1年生の時に土井香苗さんにお会いすることができました。

 土井さんに「インターンとして、HRWで働かせてください」と伝えたところ、「それだったら、次の3つに挑戦してみて」と。「海外経験を積むこと、人権侵害が実際に行われてる現地に行くこと、そして専門性を身につけること」とのアドバイスをいただき、それがエディンバラ大留学の決定打となりました。この時もやはり、「会いたい。行きたい。やりたい」と周りに言っていたら、チャンスが巡ってきたんですよね。

――留学を経て、3年生の夏からHRWでインターンを始めたのですね。どんな仕事をしたのですか?

 主にLGBT関連ですね。今でこそ、LGBTと言ったらみんななんとなく分かるし、「LGBTの人にも平等に権利が与えられるべきだ」という主張に共感してくれる人も増えてきましたが、2012年当時は「職場でのLGBTの方の権利は守られていますか」と聞いても、「うちにはそのような社員はおりません」と答える企業もありました。

 その時にHRWのスタッフでLGBTの権利プログラムアドボカシーディレクターの、ボリス・ディトリッヒ氏が来日したんです。オランダの国会議員として、世界で初めて同性愛者の結婚を認める法案を可決させたのがボリス氏でした。私はそのボリス氏が応援してくださっていた「LGBTと職場」シンポジウムの立ち上げに携わることができたんです。シンポジウムの参加者や協力者が回を重ねるうちに増えてきて、メディアでも取り上げていただけるようになり、大きなムーブメントになっていきました。草の根活動から始めたことが世界を変えていく瞬間を目の当たりにしました。

 一緒に仕事をしている時に、ボリス氏が"Future is not in front of us. It is inside of us."と言ってくれたんです。「未来は勝手に目の前に現れるものではなくて、自分たちの中にある」と。まさに私はそれを目の当たりにしたんですよね。中学の時には「正義の力は全然役に立たないのか」と無力感を覚えました。でも、HRWの活動を通じて「自分自身が未来の創り手なんだ。一人じゃ何もできないかもしれないけど、いろんな人たちが一緒になって行動すれば、世の中を良くしていけるんだ」ということを心の底から実感できました。

――高校生向けサマースクール「HLAB(エイチラボ)」の、徳島代表もやっていましたよね?

 HLABは「世界と出会い、自分と出会う」をテーマに高校生たちにリベラルアーツを体感してもらう、合宿型サマースクールです。世界のトップリーダーや、ハーバード大学を始めとした国内外の大学生との「国境を越えた人と学問との出会い」を通じて、高校生が自分の内面と向き合うきっかけを創ります。私は2013年夏にまずHLAB東京の実行委員として参加し、その後、2014年に創設されたHLAB徳島の運営委員長を務めました。

――幼少期に学級委員長を務めた時は、「トップに立っても1人の力じゃ何も変えられない」という挫折経験があったとおっしゃっていましたが、時を経て今度はHLABの委員長という立場になって、どう感じましたか?

 チームの大切さを痛感しましたね。1人じゃ何もできないけれど、特技を持った仲間を集めれば、実はいろいろなことができるのだと気づかせてもらいました。HLABでの活動を通じて、「人に心を許す」という経験を積むことができました。

――大学院時代にUNICEF(国連児童基金)のインターンもやっているんですよね。

 2015年に日本国政府主催の「女性が輝く社会に向けたシンポジウム(WAW!)」に登壇した時に出会った、UNICEFの職員の方がとてもかっこよくて、「UNICEF東京事務所でインターンしたい」と思ったのがきっかけです。インターン中に「国連アウトリーチ・ミッション」という、日本人の国連職員を増やすために海外の人事トップが来日して開催するセミナーに同行させてもらいました。

 それまで私は、グローバルな職場では「日本人は会議で黙っていて役に立たない」などのネガティブな印象を持たれていると思いこんでいたのですが、その人事トップは「日本人はまじめに働いてくれるし、不正が少ない。謙虚だが、言うべきことはきちっと言うし、すごく信頼されている」と。海外から見た日本人の素晴らしさを知って、「日本人だから」と自虐的に引け目を感じることはないのだと、気づきました。

「やりたいこと」はとにかく周りに言いまくれ

――水上さんご自身の今後の進路を教えてください。

 一番重要なのは、当事者の声を聞くことだから、現地に行っていろんな人に出会って、声を聞いて、生き方を見て、現地の人にとって何が本当に必要とされているのか、肌で感じたいと思っています。また、大学院での研究テーマだった人権思想と文化慣習についても、ずっと考え続けていきたいです。「普遍的な人権」を追求する「国際社会」がある一方で、何が人権侵害であり、人権侵害にあたらないのかという基準を設定し、全世界に浸透させるのは非常に難しい。

 ケニアのマサイ族では、法律よりも部族やコミュニティの伝統や慣習が優先されてしまうことが多いと聞きました。ただ、そういった伝統や慣習はだんだんと変わっていくものだと思います。例えば、今やマサイ族にとって携帯電話を持つことは当たり前で、「今、お前のところの牛どうしてる?」なんてやり取りがしばしばあるそうです(笑)。未来は現代に生きる私たちが作っていくものだと信じているし、「支援をする側」と「支援される側」という二項対立を超えて、「関わるコミュニティの未来を共に創っていく」という存在でありたいと思っています。

――海外での就職は考えなかったのですか?

 もちろん考えました。でも大学院で、西洋と非西洋という区別を否が応でも考えさせられた時、「日本ってすごくおもしろいな」と気づいたんです。非西洋であり、経済的地位も高く、国際協力も行っている国、日本に興味がわいてきました。だから、「日本をまず知りたい。日本に帰ろう」と思いました。「それから世界に出ても全然遅くないんじゃないか」って。

――留学やインターンなど、水上さんは目的があって大学に進学して、着実にステップアップしていったような印象を受けます。日本の大学生は、受験勉強はすごく頑張るけれど、大学で自由を持て余してしまう人が多いと思うのですが、どう思いますか?

 大学時代って、既成概念や世間体、親の言うことから完全に解放される、ある意味特殊な時間ですよね。そんな完全なる自由を与えられた時、やりたいことに出会う人もいると思うんです。一方で、本当に自分のやりたいことが見えないまま就職活動に突入して、苦しんでしまう場合もありますよね。私自身は、やりたいことはあるけれど、どのように就職活動をすればやりたいことができるのか分からず、悩み苦しんだ時期があります。最近では、「自分がどこで何をしたいのかという問いは、ずっと持ち続けるものなのかもしれない」と思うようになりました。ただ、それをひたむきに考えていくことが大切だと思っています。

――やりたいことがあったり関心があったりしても、なかなか行動に移せないという読者が多くいるのですが、水上さんがいつも一歩踏み出せているのはなぜだと思いますか?

 何かやりたいと思うことがあれば、遠慮せずにとにかく周りに言いまくっています(笑)。やりたいことを言葉にしてみると、誰かが情報をくれるようになり、人を紹介してくれたり、協力してくれるようになります。「他人に言ったからにはやらなくちゃ」という有言実行の精神も芽生えて、自分にもよいプレッシャーになりますし(笑)。

 熱意や努力はもちろん必要ですが、「こういうことをやりたい」と言っていたら、有難いことに周りが自分をどんどん引っ張っていってくれるような経験が幾度とありました。「自分1人で何かをやらなきゃいけない」と考えるとしんどいですよね。でも思いを言葉にして、周りを巻き込むと、自分のやりたいことに協力してくれて、チームとして自分のやりたいことを達成できる。

 それと、チームができれば、自分が完璧人間でなくても大丈夫(笑)。「自分はこういうことができない」と認めれば、周りの人たちが「これ埋めてあげるよ」と協力してくれるようになります。弱さを隠して強がると、人が離れていく時があります。人間は誰もが完璧ではない。それをあえて認めた方が、チームワークも上手くいくし、お互い惹かれあうと思うのです。

 あとはロールモデルを探すこと。有名人や成功者だと目指すには遠すぎるときがありますよね。むしろ、自分の同級生や親しい先輩で「この人輝いているな」という人を目標にしてみる。それが近い存在の人であれば、「あの人にもできたんだから、私にもできるかも」と思えて励みになります。

――「やりたいことが見つからない」という人に対しては、何かメッセージはありますか?

 「やりたいことが見つからない」というのは、ごくごく普通のこと。そういうときは、心のなかの「怒り」を感じてみてください。生活のなかで、イライラして気に食わないことを見つけたら、チャンスです。怒りは社会に対してかもしれないし、自分の置かれた境遇に対してかもしれない。怒りを覚えるということは、「こうあるべきだ」という自分なりの理想があって、でも現実がそうではないということ。そこに「やりたいこと」のヒントがあるのではないでしょうか。

――水上さんは、最初から目指している方向はぶれていなくて、一本道を歩んできたように思えます。一方で、もう就職活動を始めてしまって、その時に突然「やりたいことって何だろう」と考え始める人も多くいると思うんです。そんな学生に、「まだ遅くないんだ」と伝えてあげられるようなアドバイスをお願いします。

 一本道を歩んできたように見えるかもしれませんが、私も進路についてはものすごく悩んできたし、今後も悩み続けると思います。夢をあきらめる人が一番多いのは、20代の半ばだと聞いたことがあります。ちょうど入社して1~2年目で、限界を感じてしまう人もいるのかもしれません。私も、「いつか自分の限界を感じてしまう日が来るのだろうか」と怖くなる時があります。

 けれどもこれからは、日本も欧米のように、新卒で入った会社をリストラされるのも当たり前な社会になっていく。だから、企業や組織に入ったからといって自動的に自分の進路が決まってしまうわけではなくて、私たちはいつレールが無くなるか分からない時代に生きているんです。

 それはむしろチャンスかもしれません。今後いつレールがなくなってもいいように「自分の人生は自分で切り開いていくんだ」という危機感を、どんな組織にいても持ち続ける必要が出てきたと思います。自分の人生を自分で握っているか、他人まかせにしているかで、進路が分かれてくると思いますし、だからこそ「自分は何がしたいのか、未来に対して何ができるのか」ということを企業や組織に入ってからも自分に問い続けなくてはいけません。自分自身が見たいと思える未来を創るのは、今生きているわたしたち自身です。
(Co-media2016年3月9日掲載)

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